第7話 両親との対峙

「……ルシアン殿下!? 大丈夫ですか! ……誰か!」


 ルシアンが急に息苦しそうにしたので、エステルは慌てて立ち上がり人を呼びに行こうとする。けれど、すぐに本人に腕を掴まれてしまった。


 額に汗を滲ませ、喉元を押さえて呼吸を整えてから、ルシアンは冷静に告げてくる。


「……いやいい。これでわかった。俺が嘘をつけないのは、君に対してだけだ。しかも、君への気持ち限定のようだ」

「……!? でもどうして」


 死に戻り前、こんなことはなかった。加えて、この時期にルシアンが急に訪ねてくることもなければ、こうして気持ちを知ることもなかった。それにルシアンが嘘をつけないなんて聞いたこともない。


(というか、こんなところでルシアン殿下の気持ちを知ってしまっても困るのだけれど……!)


 エステルはここから逃げたいのだ。めでたく脱走が成功すればルシアンとの関係は切れるに違いない。そして、彼の次の婚約者はほぼ間違いなくアイヴィーになるのだろう。


 彼の気持ちを知ったうえで逃げるのは本当に申し訳ないが、同じ未来を辿るのは本当に勘弁してほしかった。


「心当たりはある。大丈夫、エステル嬢が気にすることじゃない」

「ですが……」


(気にしないでと言われても、絶対に無理です……!)


 冷酷な印象すらあった形ばかりの婚約者の初めて見る顔に、エステルは戸惑いを隠せない。


 二人の婚約期間は十年以上に及ぶ。けれど、お天気とあいさつを積み重ねるばかりだったこれまでの十年間よりも、この数分の方が明らかに大きい気がする。


 正直なところ、彼をアイヴィーに押し付けて逃げることに途轍もない罪悪感を持ってしまうぐらいには情が湧いていた。


(これは、ルシアン殿下の気持ちを知って揺れているわけではない……はずなのだけれど)


 感情に整理がつかないでいるエステルを前にしてルシアンはため息を吐く。


「しかし、“顔”が嘘でなく“顔だけ”が嘘になると言うことは、俺はエステル嬢の顔好きだったのか……」


「……え?」

「……!? いや何でもない本当に忘れてくれ」


 頭を抱えて首を振るルシアンに、エステルはただただ赤くなるしかなかった。




 その日、エステルの神殿での仕事は休みになった。


 ルシアンは一旦王城に戻り、両親の帰宅時間に合わせてまたシャルリエ伯爵家にやってきた。


 朝、ルシアンと二人で残念なやりとりをしたサロン。そこに、今はエステルの両親と義妹のアイヴィーが並んで座り、そしてその向かいにエステルとルシアンが腰を下ろしていた。


(……なぜ、私はルシアン殿下側に座っているの……)


「ねえ。どうしてお姉様はルシアン殿下のお隣にお座りなの?」

「アイヴィー。教えたでしょう。こういうときは口を挟んではいけないのよ」

「だって、お母様ぁ」


 エステルは一瞬意識を飛ばしかけたが、アイヴィーも同じことを思っているようだ。母親が窘めてくれたが、これから起きることをエステルは知っている。


 この数分後、両親はエステルに聖女の座をアイヴィーへ明け渡すように告げ、アイヴィーは得意げに微笑むのだ。


 この国で聖女の仕事といえば儀式によって瘴気を浄化することである。その儀式に使われる呪文を発動させるには、光属性の魔力が必要になる。


 エステルは魔力が少なく、儀式に時間がかかる。義妹の方が聖女としてふさわしいのは自分でもわかっていた。……けれど。


(アイヴィーに聖女の座を譲るのはいいの。大歓迎よ。でもこの後、家で私の立場が無くなっていくのがとても悲しい。お父様もお母様もお兄様たちも変わらずに接してくれるけれど、アイヴィーの発言力がどんどん大きくなっていく……)


 そして、一年後には命を狙われて殺されるらしい。そんなのまっぴらごめんである。


(こうなっては仕方がないわ。ルシアン殿下からお父様お母様へのお話を伺った後、さっさと聖女の交代を受け入れましょう。そして、明日にはこの家を出るの)


 荷造りに余裕ができたぶん、生活費の足しになる宝石を選んで持っていこう。今夜中に安全な行き先を決めたい。知らない土地は怖いけれど、ここに残ってアイヴィーに殺されるよりはましに違いなかった。


 ――そんなことを考えていると。


「今日はエステル嬢との婚約の件で話をさせてもらいたい」


 王族らしく、敢えて威圧的に切り出したルシアンの声色に、サロンの空気が引き締まったものになる。


(ルシアン殿下はそんなことをお話ししに……)


 両親は既に聖女の交代を決めているはずだ。そして、そのことをアイヴィーは知っている。当然、神殿には報告済み。


 ここで婚約の話などしたら、エステルとの婚約もアイヴィーとのものに差し替えられるのではないか。さっき、ある種の事故によりルシアンはなぜかエステルのことが好きすぎるらしいと判明してしまった。けれど、それとこれとは別の話である。


 少しの引っ掛かりを呑み込んだエステルが顔を上げると、ルシアンは当然のように宣言した。


「私たちは婚約している。よって、エステル嬢がこの家を出ることを至急承諾してほしい」


(……はい?)


 自分の願いにぴったり合った要求に、エステルは思わず隣のルシアンを見上げてしまう。


 そこにあったのは、さっき見たなぜか溢れ出てしまう本音に苦悶する姿ではない。


 青を含んだ淡いグレーの瞳を鋭く光らせ、冷徹に両親と義妹を見つめる横顔だった。

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