第6話 ルシアン殿下は嘘がつけない

 幸い、このサロンは人払いがされていてエステルとルシアンの二人きりである。


 マナーとして扉は開け放たれているものの、外で控えているメイドにまではこの会話は聞こえていないだろう。


(今、どう考えてもおかしい言葉が聞こえたような)


 エステルは顔を引き攣らせて固まっていたが、ルシアンも同じである。両手で顔を覆った彼からは「なるほどこういうことか……まじか」という呟きが漏れ聞こえた。


 ちなみに、エステルはルシアンがこういう言葉遣いをする人間だと初めて知ったところだ。完璧で非の打ちどころがなくクールな第二王子殿下はどこに行ったのだろうか。


 彼はこんな風に笑えない冗談を言うためだけに朝から馬を飛ばしてここにやってきたのか。しかし、冗談だと結論づけてしまうには目の前のルシアンの狼狽はリアルすぎた。


 もう訳がわからない。


(とにかく、この家だけでなく……この場からも一刻も早く逃げ出したい……)


 タイミングを見計らい、出口へ案内するために立ちあがろうとエステルが足に力を入れた瞬間。重苦しい沈黙を破り、ルシアンが口を開いた。


「何だこれは」


 こっちが聞きたい。


 エステルが心の中で突っ込みを入れたところで、ルシアンは何とか持ち直したようだった。少し諦めたような表情を浮かべつつ、告げてくる。


「ちょっと待ってくれ」

「は、はい。もちろんですわ」

「今からおかしなことを言うが、聞き流してくれ」

「……承知いたしました」


 嫌な予感しかしないが、聞くしかなかった。


「俺は勉強が好きだった。これまでに一度も、家庭教師との時間をさぼったり脱走したりしたことはない」

「……」

「貴族の館に招かれる茶会も好きだ。招待を受けたら片っ端から参加している。招待状を丸めて断ったことなど、一度もない」

「……」


 これがどういう話なのか何となく察して気まずいエステルの前。ルシアンは足を組み、偉そうに言い放つ。


「いいか。今のは全部嘘だ」

「流れでそうかなとは思いましたが、イメージが違いすぎて驚いています」


(ルシアン殿下って……こんな方だったのね……)


 恐らく、ルシアンは自分が何らかの理由で本当のことしか言えなくなっているかもしれないと疑ったのだろう。


 だから試しに嘘を言ってみたのだ。嘘の内容については言及しないが、完璧な王子様に見えたルシアンの本音に驚いてしまう。


(つまり……さっきの“初めて会った時から君が好きすぎる”って言うのは……)


 エステルを好きだ、というのが本心だとルシアンが認めているのではないか。まさかの本音に、エステルはただ目を瞬くことしかできない。


(いいえ、全然信じられないわ。これは何かの間違いのはず)


「あの……エステル・シャルリエなど嫌いだ、と言ってみるのはどうでしょうか」

「やめてくれ。さすがにそれだけは絶対に言いたくない」


「形ばかりですが一応は婚約者である私を気遣ってくださるのはとてもありがたいです。ですが、私は顔だけ聖女と言われてきましたから、何を言われても大丈夫です」


「それが本当に許せないところだな。何度か手を回したんだが、噂の元を消しても消しても次々に湧いてくる。嫉妬とは恐ろしいものだ」

「――“うわさのもとをけす”?」

「……いや何でもない。忘れてくれ」


 物騒すぎる回答に新たな疑問がどんどん積み上がっていくが、今の話題はそこではなかった。一刻も早くこの話題をおしまいにしたいエステルはきっぱりと告げる。


「別に今さら何を言われても傷つきません。ルシアン様がお思いになる“私の好ましいところ”をお教えくださいませ。もちろんないでしょうから、適当で結構です。“顔だけ”でも“家柄だけ”でも何でも結構ですわ」

「……エステル嬢はなかなかひどいことを言うな」


 エステルの問いにルシアンはなぜか絶望的な顔をした。けれど、決心したように慎重に口を開く。


「……顔」


 そこまではよかった。


「顔だけ……っつ!?」


 ルシアンの形の良い唇から『エステルの顔が好きだ』という趣旨の言葉が紡がれた瞬間、彼の顔色が紫色に染まった。

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