第5話 君が好きすぎる

 シャルリエ伯爵家のサロン。


 エステルは、目の前のこれ以上なく端正な顔立ちの婚約者を眺めながらこれまでのことを回想していた。


 ルシアンと最後に会ったのは、確か辺境の地へ送られる一ヶ月前――つまり今から十一ヶ月後のこと。


(私はルシアン殿下のことをあまり知らないのよね。誕生日や何かの節目の日には必ずプレゼントとカードを贈ってくださるけれど、それ以外はあまりお話しする機会がなくて。お会いしても当たり障りのないご挨拶やお天気の話ぐらいしかしないし)


 結婚が家同士の結びつきを意味する貴族令嬢にとって、婚約者との関係はこんなものだろう。たまにどちらかが真実の愛に目覚めて婚約破棄をしたり面倒なトラブルになる話は聞くが、多くにとっては無縁なものである。


 むしろ、新たな聖女となった義妹・アイヴィーがルシアンと婚約しなかったのが不思議なほどだ。


 ルシアンは飛び抜けてルックスが良く、あらゆることをそつなくこなす。しかも、持っている魔力の属性は極めて珍しく強力な『闇』である。そういった理由から王国中から注目を集める存在だ。


 あの義妹が欲しがらないはずがなかったが、聖女を交代してから婚約者を変えるという話は一度もなかった。


(思えば、私がルシアン殿下の婚約者でいられたこと自体が謎すぎる……)


 しかしどうしてこうなった。


 現実から逃避するのをやめたエステルは、目の前で穴が開きそうなほどこちらを凝視してくる婚約者に視線を戻す。恐らく、緊急の要件があってシャルリエ伯爵家を訪れたのだろう。


 死に戻り前の人生で、ルシアンが事前の約束なしにシャルリエ伯爵家を訪れたことはない。けれど、今はそんなことを気にしている場合ではない。


 なぜなら、夕方には両親から聖女の交代が告げられるのだ。その前には何としてでもこの家を出てしまいたい。


「あの。ルシアン殿下。今日は急にどうなさったのですか」

「……いや。今朝起きてすぐ、君のことを思い出して……それで気がついたら馬に」

「え?」

「……っつ!?」


 どう考えてもおかしすぎる返答にエステルは間の抜けた声を出した。


 しかし、なぜかルシアンの方も信じられないという風に言葉を詰まらせ目を限界まで見開いている。滅多に崩れることのない整った顔に人間らしさが垣間見えて、エステルはそのことにも驚いてしまう。


(やっぱり……様子がおかしいわ)


 ルシアンといえば、エステルとの数ヶ月に一度の面会をまるで義務のように振る舞っていた。こんな風に、額に汗を滲ませて訪ねてくるようなタイプでは断じてなかった。


 こめかみを押さえ軽く頭を振って気を取り直したらしいルシアンは、話題を変える。


「……今日、エステル嬢は神殿に行くのだろう? その後でシャルリエ伯爵夫妻に伝えたいことがある」

「両親に……でしょうか」

「ああ。詳細はそのときに」


 一体何の話なのだろうか。けれど、気安くそれを聞けるほどエステルとルシアンは親しい関係ではない。そして、エステルにはそれ以上に気になることがあった。さっきの開かない扉である。


「さっき、私の部屋の扉が開かなかったのは……魔法を使われたのでしょうか」


「そうだ。ただ、エステル嬢が心配だった。顔を見るまで安心できないが……着替え前の君に会うわけにもいかない。想像以上にかわいかったら困るだろう」

「ーーそうぞういじょうにかわいかったらこまる?」


「とりあえず、部屋の入り口だけでなく窓にも同じ結界を張っていた」

「けっかい」


 数秒の間の後。


「……今、俺は何を言った?」

「いえ何も聞いておりません」


 エステルは即座に聞かなかったことにしたが、なぜかルシアンは青ざめた顔をして口を手で押さえている。


(普段……ルシアン殿下が絶対に口にされない類の言葉が聞こえたような……)


 彼が朝起きてすぐエステルを思い浮かべて特別な感想を持ったことも、彼が持つ貴重な闇魔法を使って結界を張ったことも、これ以上追求はしない方が良さそうである。エステルが知っているルシアンとあまりに違いすぎる。


 午前中の明るい光で満たされたサロンには微妙な沈黙が満ちる。


(これは……お天気の話をするような空気ではないわ……)


 エステルの記憶が正しければ、この日の両親は朝から外出をしていた。そして夕方に戻ってきた後、聖女の交代を告げられる。つまり、両親が戻るまではエステルがルシアンの相手をしなければいけない。


 ルシアンのことは嫌いではないが、エステルはその前にこの家から逃げ出したいのだ。


(何とか話題を変えて……また後日来ていただくことにしたいわ。その頃には、私はこの家にいないけれど)


 決意を固めたエステルは、この面会を終えるべくにっこりと微笑んだ。


「今日は少し驚きました。急に私を気にしてくださったようでしたので、」

「急にじゃない。ずっとだ」

「え?」


 期待とは全く違う答えと彼らしくない言葉遣いにエステルが首を傾げると、ルシアンはさらりと口にする。


「……俺は初めて会ったときからずっと、君が好きすぎるんだ」


(…………)

(…………)


 エステルがその意味を呑み込むまでに、優に十秒ほどかかった。けれど、ルシアンの方も自分が何を言ったのか理解するまでに同じぐらいかかったようである。


「「…………!?!?」」


 必然的に、二人は揃って真っ赤に染まることになってしまった。

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