第4話
「おかしいな。ここ、さっきも通らなかったか?」
プロデューサーが頭を掻く。
後部座席の三人はスマホをいじりながら、「えー? そうですかぁ?」と顔も上げない。
雪道である。スタットレスタイヤとはいえ、スピードには慎重になる。道順も繰り返し確認して進んでいるはずだ。
なのに、いつも間にかおかしな道に入り込んでしまったらしい。
左手に見えるのは、先ほど出発したはずの貸別荘だ。正面には、古びた洋館が見える。
「ほら、ここ、松本の泊まっている貸別荘だろう?」
「えー、ちょっとプロデューサー、しっかりしてくださいよぉ。遅くなると困るんでー」
「うるせえ」
もう一度引き返す。
二十分後には、車は再び貸別荘の前へと戻って来ていた。
「どうしてだよ」
プロデューサーは頭を抱え、後ろのメンバーたちは帰宅時間がどうとかトイレがどうとかヒステリックにわめいている。
同じことを三度繰り返した。
すでに日は暮れ、辺りは闇に沈んでいる。山奥には街灯もない。これ以上の走行は危険だ。
帰宅をあきらめ、松本の泊まっている貸別荘で一夜を明かすしかあるまい。
文句ばかりのメンバーをたしなめ、プロデューサーは車から降りて貸別荘の戸を叩いた。しかし返事はない。電気もついていないようだ。どこかに出かけているのか。でも、どこに?
「ちょっと、足が冷えすぎなんだけど」
「うちも、トイレ行きたい」
「ねえ、プロデューサー」
プロデューサーは車のドアを開けた。
「寒っ。ちょっとドア閉めてよ」
「松本が戻っていないみたいだ。だから別荘に誰もいない」
「入れないってこと? はー? マジふざけんなって」
こっちの台詞だ小娘、と胸の内でつぶやき、プロデューサーは提案する。
「もうあのお屋敷に行くしかないだろう。明かりが漏れているから、誰かいるはずだ」
案の定、小娘たちは不満を口にした。しかし、じゃあ車で一晩過ごすかと問うとそれも嫌だと言う。
結局、トイレだけは借りようということで、四人そろって洋館に向かった。
ノック。
返事はない。
ノックノック。
返事はない。
「うそだろぉ」
弱音をこぼしながらドアノブを回すと、キイ、という耳障りな音を立てて開く。
「開いた……」
「ねえプロデューサー、あたしもう限界。トイレ探してくるから、もしおうちの人がいたら話しといて」
メンバーの一人が中に入っていく。女子の習性だろうか、「あ、うちもうちも」と、結局三人全員が玄関の奥に消えていった。
一人残されたプロデューサーは辺りを見回した。玄関には明かりがついている。
豪華な玄関だ。
鹿の首。肖像画。西洋の甲冑。そのどれもが自分のことを見ている気がして落ち着かない。
「すみませぇん」
声を上げてみる。
「あの、どなたかおみえですかぁ」
応える者は誰もいない。
三人のメンバーは、順番に用を足し終えた。リビングや廊下は暗く、トイレを探すのに苦労した。生活の形跡はあるものの、人の気配はない。
「絶対、人いないっしょ。鍵のかけ忘れだよ」
「玄関にストーブあったし、一晩あそこで過ごさせてもらおうよ。誰か帰ってきたら、そのときはそのとき」
「こんだけ豪邸だと、うち、なにかパクっちゃうかも」
「ちょっとあんた、その癖どうにかしなよ」
そのとき、玄関の方から絶叫がとどろいた。
プロデューサーの声だ。
「ちょ、何?」
三人とも、慌てて玄関の方へ向かう。しかしそこにプロデューサーの姿はなかった。それどころか、明かりが消され、ガラス戸から差し込む月明りだけが辺りを照らしている。
玄関の中央に、どろりとした黒いものが見える。
「ねえ、あれ、血?」
「どゆこと?」
「ドッキリじゃね?」
小娘どもの襟首を何かがつかんだ。
ホラー映画ばりの絶叫が、三人の口腔からほとばしる。
甲冑が三人の首元をつかまえているのだ。
「ちょっと、あんた、プロデューサーでしょ!」
「何着てんのよ」
小娘どもが手足を無茶苦茶に振り回す。
そのうち一人の手が甲冑の頭に当たった。がらん、と重い音を立てて、頭が落ちる。
その中には何もなかった。
「いやああああああああああ」
頭を失った甲冑はそれでも動き続けていた。三人の襟首を放し、頭を求めてカーペットの上をまさぐっている。
三人は腰を抜かしたようで、甲冑から逃げることもかなわぬまま、カーペットの上に座り込んでいた。
ふと、場違いなピアノの旋律が流れ始める。
三人の背後からだ。
振り向くと、至近距離で、肖像画の中の男が微笑んだ。
「呪われよ」
「ああああああああっ」
三人は立ち上がり、玄関の扉まで駆ける。しかし当然のごとく、扉は開かない。
「どうして開かないの」
「助けてーっ助けてぇーっ」
「ちょっと、いやあああああ」
鹿の首がぬるりと動き、三人の方を見た。それは何かのギミックでも、動物の動きでもなかった。不気味な軟体動物を連想させる動きだ。
鹿の首がゆっくり近づいてくる。その首は不自然なほどに伸びていた。鹿の頭を模倣した触手のようだ。
鹿の首はぐるりと彼女たちの周りを一周した。三人は逃げ場を失うかたちになる。
「夢、これは夢」
「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い」
「やだああああああああああああ」
鹿の首は彼女たちを縛り上げ、上方から覗き込んだ。
鹿の目は異常なほど大きく見開かれ、人間のように白目と黒目が分かれている。
鹿がゆっくり口を開いた。
地の底から湧き出るようなシャウトが放たれる。
三人は意識を手放した。
「いや、ハク。あれはキモいわ」
「わざとだよ」
しれっとした顔でハクが言う。その姿は完全に「壁につけられた鹿の首の剥製」に戻っている。
「俺がモンスターだとしたら、ショウは正統派だったな?」
絵の中で、ショウが「そうであろう?」とふんぞり返る。
「あの状況で『呪われよ』って言われたら、一生のトラウマだわ」
人見は苦笑する。
カッちゃんは頭がまだうまくはまらないのか、両手で支えながらカチャカチャやっている。
「あの子たちキャーキャー騒ぐからうるさかったよ。ボディが空洞だから、響いちゃって響いちゃって」
プロデューサー及び三人の小娘たちは、車の中で意識を失っている。ハクたちの悪魔パワーで、遠く離れた道路の待避所に飛ばれたはずだ。
人見は松本さんに手を差し出した。
そこには、数枚のCD―ROMがある。
彼女が作曲したもの。それと、彼女と人見が作った楽曲だ。
「はい、松本さん。これは返すね」
「あ、ありがとう」
彼女はまだ夢心地なのか、どこか放心した様子でそれを受け取った。
「かなり懲らしめたけれど、どうなるかな?」
ようやく頭をはめ込んだカッちゃんがつぶやく。
「これだけやってもまだ好き勝手を申すなら、次は本当に呪う」
ショウが不穏なことを言う。
ハクが「簡単だ」と笑った。
「カンヅメの最終日、どうせプロデューサーはまたここに来るだろう? そうしたら、ここでもう一度話をすればいい」
「ここ?」
松本さんが首をかしげる。
「そう、この玄関だよ。トラウマにあふれたこの場所で今後を相談すれば、絶対にこちらに有利だ」
「すげえな、悪魔の発想だ」
人見の言葉に、ハクは「悪魔だからね」とウインクした。
正直なところ、今の事務所と袂を分かつならそれでもよいだろう。別の場所でもやっていけるだけの力を彼女はもっている。逆に今の事務所、同じグループで活動するのなら、今まで以上にイニシアチブをとれるはずだ。少なくとも、リーダー格の三人は無茶なことをこれ以上松本さんに吹っ掛けることはできまい。
「なんか、すごい経験をしちゃいました。この数日で」
「それもまた、音楽の糧になるでしょう?」
人見が茶化すと、松本さんは「分かりません」とほほ笑んだ。
「さ、さ、それよりも」
カッちゃんが声を掛けた。見ると、すでにベースを肩からさげている。
「二人が作ったあの曲! せっかくだし演奏しちゃおうよ」
「え? 今?」
人見が困惑して振り向くと、ショウはすでにドラムセットに着席している。
ハクも「二番サビのところでスクリームを入れていいかな?」と松本さんに話しかけている。
「松本さん、歌える? こいつら、音楽バカなんだ」
人見もギターを構えた。
四人の圧に押されてか、松本さんは「が、がんばりますぅ」と消え入りそうな声で言う。
歪んだ重低音が、玄関ホールに響き渡った。
甲冑、肖像画、鹿の首 葉島航 @hajima
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