第12話 バトル(3/3)
時計と転舵を合わせたような円が二つ、視覚野に認識された。進行方向に対する船の傾きの現在値が青、未来値が赤で表示されている。二つは今完全に重なっている。
「最初はいつものコンビネーションでいいよね」
「ひねっても上手く行くはずないからな。主に俺が」
「了解。じゃ牽制よろしく」
舞奈の言葉が耳に届いたときにはしなやかなJKの体は右にとんでいた。俺は左周りに普通に走ってモデルに近づく。二対一の定番である挟み撃ち。さっきまでさんざんやっては撃退された戦法だ。
ただし状況は変わっている。
視界にオーバーラップしていた青と赤の円の中で、二色がずれる。一秒後に第ゼロ甲板が右に傾いた。角度にして三度程度だが体感としてはずっと大きい。普通の人間は不動の地面を前提に生きていることを実感する。
ちなみに舞奈は傾いた壁をけるように走っている。センスのある人間は“普通”の範囲が広い。
モデルの白い仮面の上で目が勢いよく揺れた後、舞奈に目が向いた。
ダーツを三本引き抜く。三匹の害虫がモデルに迫る。一匹目が拳銃で落とされた。二匹目がローブにはたき落された。最後の一本が奴の仮面に向かって加速した瞬間、二度目の揺れが来た。
白い仮面の直前で
立ち上がったモデルはわき腹を抑えている。初めて有効打が届いた。なまじ俯瞰する視点を持っているために座標のずれに対応できていない。今のところ仮説通りの展開だ。
畳みかけるチャンス。俺は奴の仮面に向かって、まっすぐ
ダーツはあらぬ方向へと飛び去り、モデルは俺に向かって拳銃を撃った。たまらず地面を転がって回避する。なんでだ角度は一致していたはずだぞ。
『今のは操船ではありません。タワーが近く海流が複雑になっています。なるべくフォローしますが、気を付けてください』
紗耶香の警告が届く。安定走行装置の停止によりランダムな揺れも加わっているわけだ。完璧な優位性じゃないのは仕方ない。揺れの一部でも予測できることを活かしていく。
俺と舞奈は交差したり、弧を描いたりの軌道で奴に近づく。TRPGというよりアクションゲームの気分だ。傾いた船体を利用して転がりながら敵の拳銃を躱す、反対側の揺れを利用して立ち上がってダーツを放つ。
モデルの迎撃が遅れニューロトリオンがDPに崩壊したフラッシュが敵の仮面を照らした。その間に、背後の舞奈が攻撃を加える。下から上に一閃が走り、モデルのローブの一部が引きちぎられるようにして宙を舞った。
完全に俺たちが押している。ステージの特性に慣れていく俺たちに対して、二対一で攻め立てられているモデルは、対処が出来ていない。経験値を稼ぐことはできても、それをレベルの上昇に変換するには、キャラクターシートを確認する時間が必要。それは現実でもTRPGでも一緒だ。
だが、それでもギリギリ崩しきれない。奴の
【0:19】
あと二十秒でバッテリーの暴走が引き返せないところを越える。
ここは切り札を切る時だ。
『次、本当にぎりぎりまで傾きます。波の揺れと合成されるので表示より大きいと考えて』
紗耶香の声が聞こえた。同時に赤と青の針が完全に分離する。海流と操船のベクトル合成か。葛城早馬は手を抜いていないらしい。奴の命もかかっているんだから当然だが。
(舞奈、例の
『もちろん。レベル2の力見せてあげる』
舞奈の言葉はレベル4である俺の倍は自信ありげだ。
俺はダーツを二本引き抜いた。二つのダーツにスキルを注入する。未来角度が最大限になるのを確認して、ダーツを高い天井に向けて投擲した。
天井ギリギリまで達したダーツは、モデルに向かって放物線を描いて落下し始める。モデルの目が上を向く。正確な狙いが二つのダーツを照準した。だが次の瞬間、二本は空中で反発するように前後に分かれた。一本はモデルの前に、もう一本は背後に落下する軌道だ。どちらもこのままでは外れる。だが……
二本のダーツが一定の高度に達した瞬間、船体が大きく傾くのと同時に、二つのダーツは前後から奴に向かう軌道になる。
【インセクトダーツ・
今回の隠し玉だ。二つのダーツには反発と引き合う二つの動きが内包されている。二本が目標を挟む位置になった時点で俯瞰角関係なく自動的に挟撃が完成する。モデルの仮面と後頭部へと向かうダーツ。船の揺れに踏ん張ったモデルは一瞬対応が遅れる。ローブがテトラポットにぶつかった波のように乱れる。
前方のダーツが光、後方のダーツが大音響を立ててはじけた。光と音で人間を昏倒させるスタングレネード、ただし二本でそれぞれ効果が独立している。つまり光を防ごうとしたら耳を、逆なら目をという仕組みだ。
攻撃的じゃなくて牽制としての挟撃。
耳と仮面を抑えたモデル。パンっ、という音が広い電源室に響いた。
復原しようとする船を反動として使った舞奈のシューズがバッテリーをけった音だ。残像すら捉えられないスピードでモデルに迫るニューロトリオンの光跡が認知される。モデルから一メートルの距離に着地した小柄なJKのしなやかな足の下で、シューズが地面に粘着する渦のように広がる。
速度を回転に変換する動き。現代の高分子素材化学と、人間の持つ動物的な力が、ニューロトリオンにより融合されたそれは、もしこれをVAの試合で見せられたら一発でファンになるだろうくらいに美麗で力強かった。
少女の体が斜めに傾き、バットを振り切る野球選手のような動きで手の光剣を放つ。俺がやったら足がちぎれそうな運動をこなし、強化した視覚でも認識できるかできないかの速度と力のこもった一閃が斜め下からモデルに迫る。
モデルのローブが不格好に波打ち二重の壁を作る。舞奈の光の剣は絡め捕ろうとした一枚目を切り裂き。圧倒的な力と速度で二枚目にめり込んだ、剣がモデルの体ぎりぎりで止まった瞬間。
ニューロトリオンの光りと共に、重い振動が俺の足元まで届いた。
【
舞奈のレベル2スキルだ。剣に込められた全てのエネルギーをニューロトリオンで振動に変換して敵に届ける。中世騎士の鎧に対する打製武器の衝撃を、剣の速度で実行するチート業だ。本当にチートなのは、最大限のエネルギーをスキルに注ぎ込んだ彼女の戦闘センスだろう。
モデルはその場で崩れた。反対側のバッテリーに直線状のへこみが出現しているのが見えた。もしも液体電池だったら火災が起こっていたくらい強力な攻撃だ。
俺は制御台に駆け込む。
【0:05】
(ルル、間に合うか)
『モデルのDPCの妨害がないならセーフティーの復旧なんて造作ないよ』
制御盤にリンクを通じてルルのハッキングが注入される。周囲の壁に放電をしていたバッテリーがゆっくりと鎮静化していく。
船の上のほうからヘリの羽音が聞こえてきた。『国防隊の本体が到着しました』という紗耶香の報告。俺は舞奈が付きだした拳に自分のそれをぶつけた。
これで少なくとも船が沈むことはなくなる、後は国防隊に任せよう。
耳に衣擦れの音が聞こえたのはその時だった。
ぼろ雑巾の様だったローブが幽霊の様に立ち上がった。
さっきまでと全く違うぎこちない動き。白い仮面に一つの巨大な縦長の瞳が出現している。ローブがまるで本体を吊り下げるように形を作る。次の瞬間、モデルの体は宙に舞い、両袖が左右に延びた。二つの全固体バッテリーの間に横長の十字架が出現したようだ。
警告音が先ほどよりもはるかに強い音量で再開した。船が急加速し始めたのが分かる。
慌てて制御盤を確認する。プログラムそのものは正常に働いている。
『おそらく並列のバッテリーを直列化したんです』
紗耶香の言葉と同時に左右から熱い空気が迫ってきた。
残ったダーツを引き抜き、奴の仮面めがけて投擲する。だがローブのフードが繭のように顔を覆う。体にダーツが突き刺さるのもお構いなしだ。痙攣するようなモデルの体、ただその白い仮面とローブだけが、連動するように光っている。
『教団との通信は切れている。最後に大量のデータが一方的にモデルのDPCに注入されたよ』
ルルの言葉。一番最初のセッションでの不忍池弁天堂のモデルを思い出す。殉教モードとでもいうのか。
「とにかく仮面だ。アレを破壊すれば」
「……無理。これじゃ届いても守りが抜けない」
舞奈は自分の足元を指した。シューズの底が溶けたみたいになっている。舞奈の運動能力はスキルと装備を使いこなすことで超人になっている。モデルの高さはトップアスリートでも届くような距離じゃない。しかも、ローブの自動防御がまだ生きている。
モデルの体を電光が火花のように散る。完全に捨て身、あと数秒持てばいいという、実に合理的で計算しつくされた
だが、それは競技場が水平だったらの話。
(紗耶香、葛城早馬にさっきのをもう一度ってリクエストしてくれ)
二つのバッテリーの間を、ジグザグの光が上に向かって走った。
パリンという音を立てて、仮面が
砕け落ちる仮面と同時に、モデルの体を支えていたローブが力を失う。バッテリーのとっかかりに絡みついたローブによって俺たちの前に釣り下がるモデルの体。DPCが完全に停止しているのを確認して、俺はローブに近づいた。
最後まで
砕けた仮面の向こうに見えたのは俺よりも大分若そうなインド系の顔。その顔には目そのものが存在しなかった。
「国防隊です。これより船内に救助に……」
「了解した。こちらの状況だが……」
スピーカーの声が上から響いた。早馬が落ち着いた声で国防隊とやり取りするのが聞こえてきた。大事故を起こしたイベントの主催者のくせに堂々としたものだ。やっぱりこいつはいけ好かないな。
敵との共闘により友情が芽生えるなんて言うのはTRPGシナリオではあるあるだが、現実はやはりそうはいかないらしい。
僕は船底に倒れた
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