第11話 裏方

 右腕の赤い染みが走るたびに目に入るのが不快だ。


 葛城早馬はいら立ちを感じる自分をそう俯瞰した。服の汚れはこれが終わった後新調すれば解決すると結論、感情に片を付けた。早馬にとって己が意識は目的のために分配されるもっとも貴重な資源だ。


 己が定義する勝利のため、一番優先すべきタスクに意識というリソースを注ぎ込み、そして行動する。それが彼のスタイルだ。




 教団モデルの立体画像が黒崎亨と一緒に消えた後、早馬はレセプションルーム前方のシャッターに向かった。途中で恐怖という無用の感情にとらわれている部下二人に、やることを明確に指示することで立て直させる。


 手動レバーを押し込むわずらわしさと同時に、レセプションルームを出る。階段を降り中央棟の一段下にある倉庫スペースを迂回する経路で艦橋棟の一階を目指す。


「センサーの配置から考えて、右に行った方がいいみたいです」


 背後から若い女性の声と視線が突き刺さる。女性の視線には慣れているが、敵意を向けられるのは珍しい。どうやらパートナーが囮になっている状況がよほど不愉快らしい。確かに黒崎亨の存在いのちは現在貴重なリソースだ。


 黒崎亨が教団モデルの目を引き付けている間に、彼は必要なことを成さなければならない。それこそ事前の打ち合わせ通りに。


 もちろん実際はそれ以上を目指す。早馬がプレイしているゲームの難易度は常にベストを求められる。そう設定したのは早馬自身であり、そこに迷いはなかった。


「やはりこの状況で何らかの通信が生きているんだね。財団の調査では君はそういう意味では普通の人間だったはずだが。耳のアクセサリ、高峰君にはちょっと冒険的だね」

「打ち合わせ通りに動いてください。時間がないのですよね」


 早馬は肩をすくめると、紗耶香の言った通り右の通路を選択した。黒崎亨の示した配役も含め、実に興味深い情報だと思いながら。



 複数のセキュリティ―の解除を意味する電子音と共に、早馬はその部屋に入った。


 艦橋棟の一階のその部屋は一見何の変哲もないスペースだ。目立つものといえば、部屋の中に一つだけ置かれている椅子が有名ブランドの最上位モデルであることくらいだ。


 使用者の重量と圧力を感知して、体に吸い付くようにフィットする椅子に早馬は座る。視界に情報を広げる。アクセス不可となっているDROSを速やかに復旧していく。敵の多い彼にとっては想定済みの妨害であり、対策は用意している。


 ログを確認、敵対派閥の腰ぎんちゃくの仕業だと確認して、頬を小さく吊り上げる。


 業界三位ざいだんというのは利益が出るか出ないかのギリギリに位置する立場であり、業界一位きょうだんに尻尾を振るのは戦略として間違いとは言えない。ただそこにおかしな感情を加えるから打ち手がずさんになる。


 回復したDROSを通じて、船のメインコンピュータにアクセスする。船の立体映像と共に、アシスタントプログラムが彼の命令を、実行可能な操船へと変換していく。


 慣性の方向が変わった。船の進路が面舵、タワーに向けて旋回していく。18ノット程度だった速度も設計上の最大船速である26ノットに向かって上昇していく。本来ならコグニトームが進入禁止海域への進路を許さないが、裏側からの指令は止められない。


 これで打ち合わせ通りの作業は完了だ。だが早馬は手の動きを止めない。モニターに予定通りの警告が現れた。


「進路変更は完了した」

「では、今やっているのは?」


 笑顔で自分の成果を後ろの美人に告げる。返ってきたのは彼の手がせわしく動き、その結果の警告音への問いだ。感情に翻弄されながらも理性を保つ必死な美人というのはそそるものがある。それに敬意を表して早馬は事実を告げる。


「安定航行システムを切っている」

「打ち合わせにはありません」


 紗耶香が咎める。自分の役割に徹しようと必死だ。問題は彼女への指示がどこからきているのか。


「スピードの代償だ。それにこれでゲームに紛れが生まれる。彼が優れたプレイヤーならプラスに、大したことがないプレイヤーならマイナスに働くようなね」

「なにをっ……」


 早馬はこともなげに言った。紗耶香は唖然とした。やはり素直すぎる。駆け引きには向かない性格だ。


 あの男が囮となり、高峰紗耶香がいわば連絡役兼監視役になったのは単に能力ではない。早馬に自分の能力を見せないためにリスクを取ったのだ。この危機的状況にあって情報戦を続けるという意志を持ち続けているということ。


 あの場面でそうプランニングしたならやはりただの飼い犬ではない。盤面中の黒崎亨という駒の重要性を上昇させなければならない。ただし修正の程度を決めるのはこれからだ。その為の舞台を用意する。


「彼にはゲームを楽しんでもらわないといけないしね」

「こんなときに何を言っているんですか。そもそも私たちはあなたのせいで」

「高峰君の非難は妥当だね。でも、彼に関してそれはどうかな。テーブルから出る時のあの男の顔を見なかったのか。君があいつに惚れているなら惜しいことをしたね」


 早馬は嘯いた。そして男に連絡する紗耶香の様子を観察しつつ、DROSの反応を監視する。情報戦ゲームは今も続いている。情報収集の重点はこの二人の背後、ルルーシアであることは変わらない。


「気を付けて」


 次の瞬間床がぐらりと揺れた。たたらを踏んだ紗耶香。早馬は紳士的に紗耶香の肩を支えた。


 ◇  ◇  ◇


 俺に向かってくる敵の着弾が大きくそれた。


 船の進路と速度が突然変わった。そして嵐に突入したように船が揺れる。最後のは予定外だ。紗耶香から通信が入った。安定装置を切った? このいっぱいいっぱいの状況でアドリブを要求するとは。ファンブルしたらどうしてくれる。


 立体図で船の構造と重心を確認する。重心から離れた場所にいるモデルの方が大きく揺れるのは道理だ。一方、俺自身が動かなければソナーの精度は維持される。


 そしてさっきから上空からのDPのラインと船の下部、葛城早馬が向かったDROSからのDPのラインが拮抗し始めている。船内の情報が上のモデルに伝わる量が下がったか。揺れる船の上で、これまでよりもぼやけた視界は俺を認識するのは難しくなるはずだ。


 軍事用語で言えば半数着弾半径の拡大。これを利用して複合装甲を回復、保持して国防隊がテロ対策に駆け付けるまで戦線を維持する。このロールプレイに変更だ。


 直撃コースの弾丸をバリア/アクティブで打ち消し、ソナー/アクティブで各人キャラクターの位置を確認する。


 だが、そこにDPCの反応はなかった。


 再び状況が変わった⁉ 今度は油断ならないNPCの仕業じゃない。


 衛星画像の中、ブリッジ屋根から一歩も動かなかったモデルが天井を蹴った瞬間が映っている。ローブの保護色が解除され幾何学模様が浮かび上がる。マントのように開いたローブが表甲板に向かって降下していくのがコマ送りで見えた。


 行動の変化は、船の進路の変更が理由だ。逆に言えば俺たちの作戦が有効だということで悪いサインじゃない。問題は今後のモデルの意図だ。


 俺の想定では奴はDROSに向かうはずだった。その進路に割り込むシナリオはあった。だが第三甲板、つまり船の表に降りた奴は、艦橋棟ではなく船の前方に向かっている。船の進路が変わった瞬間、まるで事前にシナリオがあったように決断した。


 そうなると敵の目的は極めて単純かつ、あらゆるアクシデントを想定したものになる。


 一つは脱出だ。三十六計逃げるに如かず。目的達成不可能によりプロジェクトを放棄。これはこちらにとっては願ったりかなったりの未来。だが、それならわざわざ下に降りるだろうか。奴は空から来た。


 残った可能性は……。


(ルル。奴の向かう先には何がある?)

『船内地図を確認。この進路は……おそらく動力源だよ』

(動力? モーターは船尾じゃなかったか)

動力源バッテリーだよ。電動EV船の動力系はウエイトの配分上、バッテリーとモーターが前後に分かれている。つまりモデルが向かっているのは』

(この船の中で一番高濃度のエネルギーが蓄積されている場所か)


 スイッチを切るなんて穏便な方針なわけがないよな。


 ◇  ◇  ◇


「古城司令。タワー周辺を航行していた客船が予告なしに進路を変えました。このままではすぐに進入禁止海域に突入します。こちらからの通信にもこたえません」


 東京新湾岸インナーサークルの地下にある国防隊基地。その立地から分かるとおり日本が東京湾タワーを保護するという条約の義務を果たすために存在する。


 指令室で古城晃洋は部下からの報告を冷静な表情で受けた。


「条約に基づき作戦を開始する。シナリオB2」


 晃洋の指示一つで、部下が手配を実行する。タワーに対するテロの想定は幾重にもシナリオ化されている。ただしそれはあくまで通常の相手の場合だ。もしも今回の警告も正しければ事態は想定を超えるだろう。


 部下たちが手順通りに動く中、古城晃洋は耳に手を当てた。


 テックグラスの連絡リスト、その横に浮かび上がった虹色に光る連絡先を選択した。自分に対して警告が発せられないことを確認して古城晃洋の表情が苦いものになった。


「どうやらお前の警告が当たったようだ」


 国家諜報を越えた回線で娘に連絡とは、古城晃洋はため息をつきそうな自分を抑えると、手短に通信を終えると、部下の指揮にもどった。


  ◇  ◇  ◇


 東京湾上空。


 国防隊の所有する偵察用小型無人ヘリが、機首を斜め下に傾け全速力で海上を飛行していた。前方に、明らかに不安定な進路で航行する客船が見えた。


 無人ヘリの下部ゲートが開いた。一房の赤毛がぴょこんと飛び出して海風に揺れた。

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