第10話 囮

 絨毯が敷かれた船内廊下を俺は一人走る。船中央部のレセプションルームを船尾側から出た俺は、右回りに周回しながら、前方部にある艦橋棟へと向かっている。背後から同心円状の赤い模様が追ってくる。


 衛星画像がコマ送りで視覚野に投影される。棒にしか見えないモデルのライフルが俺のほうを向いていくのがなんとか分かる解像度だ。


 【ソナー/パッシブ】の精度が大分上がったことに気が付く。こうやって走りながらでも、ぼやけたDPの輪が縮まってくるのが分かる。その分恐怖も増すわけだが、密偵たるもの“情報”を恐れてはいられない。


 円が俺の胴体を拘束するくらいの大きさになったところで前方左に口を開けた通路へと飛び込む。さっきまでいた空間に紫のDP光がはじけた。今まで見てきた中で一番強烈な光が網膜のニューロトリオンに干渉し、無意味と分かっていても目をつぶってしまうくらい眩しい。


 音も衝撃も感じないのに、もしもあそこにいたら自分がどうなるのか、考えるとぞっとするな。


 俺が飛び込んだのは、さっきまでの絨毯の廊下から一転して、金属壁にペンキを塗っただけの通路だ。お客様用ではなく船員のための区画、艦橋棟に入った証拠だな。


 硬い壁に背中を預け、周囲の様子をうかがう。ソナーの解像度が一気に上がる。俺を見失った赤いDPの輪がせわしなく動いている。


 テックグラスの立体地図を確認する。


 この船は五段構造だ。喫水線下の船底は0階で動力系が置かれている。船の中で一番高いのが四階の艦橋で、その屋根の上にモデルが居る。さっきまで俺がいたレセプションルームは船中央の二階と三階をぶち抜いて作ってある位置関係だ。つまりここは艦橋棟の二階になる。


 モデルまでの距離は階段二つと梯子一つ。だが、俺の目的は船の最上部ではない。あくまで陽動だ。


 レセプションルームに焦点を合わせる。


 船内地図にルルが情報を追加する。二人はレセプションルームの出口に向かおうかというところだ。モデルの眼を引き付けないといけない。


 足に力を入れるのと同時に【ソナー/アクティブ】を発射する。背後をうろついていた赤い輪がすごい勢いで迫ってくるのが検知される。


 迫ってきたぼやけた赤い輪をかろうじてかわす。さっきよりも近い場所でDPがはじける。何とか階段に到達した。直接視認できない敵から一方的に狙撃され続けるのは本当に心臓に良くない。遮蔽も何も関係ないってのが無理ゲーだ。


 葛城早馬はこんな化け物を招待しておきながらエスコートを押し付けてくれたわけだ。エリートを気取るならもっときちんとしたシナリオを用意しろと言いたい。まあ、奴のシナリオが完璧だったら、それはそれで俺たちが危ないわけだな。


 なんだこのクソゲーは、これだから現実でTRPGは駄目なんだよ。って、プレイヤーにもどってる余裕はないぞ。


 戦いの中でも常に情報収集と分析を走らせる。それが密偵としての俺の流儀ロールプレイだ。それはたとえどんな状況でも変わらない。


 これまでのことで少しずつモデルの性質がわかってきた。あの攻撃は正確に言えば“狙撃”ではない。


 最初のワインの瓶の場合、テーブルには傷ひとつついていなかった。DPの射線は物質を関係なく通るが、攻撃自体が貫通しているわけじゃない。ある一点を攻撃しているというべきだ。つまり俺を追ってくる赤い照準は、照準というよりも、モデルの攻撃地点の認識に近いのではないか。


 その認識はいくつかの情報により複合的に形成される。一つはもちろん俺がスキルを使った時に漏れるDPだ。だがそれだけではない。さっき足を止めたのは船内を網羅しているカメラの死角だ。あの時照準が広がったことから、内部の情報にも頼っていることが予想される。


 つまりあのモデルの攻撃の正体は、空間上の一座標にDPの力で破壊のアルゴリズムを運んでくる。正確な位置を認識されたら終わりだが、照準を合わせるには一定の時間がかかる。


 財団は何でもありだが、決定力に欠ける器用貧乏、軍団は体の強化による力押しって印象だった。教団のモデルはもっと冷たくて精密精緻なイメージだ。おかげで肝心の所が分析できない。それは攻撃スキルではなく、攻撃者キャラクターだ。まるでロボットでも相手にしているみたいに人間味がない。条件が整ったら撃つ。その繰り返しのように感じる。


 出来ることは双方の目的と役割から未来の戦場を想定することだ。そしてそれを、情報が更新されるごとに修正していく。奴が俺を完全に認識する前に、こちらの行動パターンを変化させる。それがこの鬼ごっこのやり方だ。


 なんだ、やっぱりいつもと変わらないな。


 よし、まず当たり前の行動をとらなければならない。俺がモデルを純粋に狙撃兵だと思っているなら、取るべき行動は近接一択。


 ◇  ◇  ◇


 船の一番高い場所、操舵室ブリッジの屋根は容赦ない海風にさらされ、重心からもっとも遠いことにより船の振幅も一番大きくなる。だがそこに陣取るローブの男は小動もしない。ローブの裾がまるでテントのように天井に張り付いて固定しているのだ。


 男は膝をついた姿勢でライフルを斜め下に向けて構えていた。


 顔を覆う白い磁器のような仮面には穴一つなく、代りにホログラムのように一つ眼が浮かぶ。虹色の眼は仮面の上を上下左右に動き、獲物を捕らえようとしている。


 狙いはこちらに来る割込みターゲットだ。前触れもなく現れた極めて特殊なDP反応は排除が必要な脅威。神がそう判断した。


 男は目標の情報に、己が位置を重ねる。赤と緑の確率計算が彼の特化した視覚野に認識される。


 赤はターゲット、緑はターゲットの目的地の推定。船内の各種機器からの情報が天上で計算され、結果が彼のもとへと啓示される。ターゲットの情報の蓄積により、赤だけでなく緑の円もその範囲を縮小していく。


 現在、ターゲットは明らかにこちらへの接近を志向している。その現在位置、つまり艦橋棟二階から五階のメインブリッジに上がる階段は三カ所。


 赤い丸と三つの緑の丸がリンクされ、複数の経路が予想される。その中で一番太いリンクに向けて、白い仮面が角度を変えた。ライフルが予定位置へと照準する。


 緑と赤の二つが重なった瞬間、機械のような正確さで引き金が引かれた。


 不可視の弾丸は二つの屋根と二つの廊下を抜けて座標へと直進した。瞬時の後、強烈なDP光が幾重もの壁の向こうで炸裂した。


 ◇  ◇  ◇


 赤い照準が俺の頭部に向かって集中してくる。敵との相対角度を見積もり、弾丸の方向を予測した。次の瞬間、視界のすべてを焼き尽くすような強烈な光が右斜め上ではじけた。


積層装甲コンポジット・バリア:アクティブ0:パッシブ40/50】


 二重のバリアが攻撃の意志アルゴリズムを霧散するDP粒子に変えた。物理弾と違って発動前に干渉できれば効果はほぼゼロ、このスキルはDP兵器アルゴリズムに対して極めて有効だ。


 レベルアップにより獲得した新スキル、【積層装甲コンポジット・バリア】は俺の体全体を取り囲むパッシブバリア上をアクティブバリアが移動する進化スキルだ。全身を防御するパッシブの鎧と部分を固める盾の複合。方向を意識しただけで二重の防壁を実現してくれる優れものだ。


 ルルが言うには二つのバリアについて俺の認識が上がったことで獲得が可能になったらしい。これまでの二つのシナリオで何度も死にかけた経験(値)だと思うと笑えないが、頼りになるのは確かだ。


 同時に、ついに座標を合わせられたという事実。レセプションルームではシャッターが開く前の停止状態だったが、今回は移動状態を認識された。しかも防御面が限定される代わりに硬いアクティブを抜いて、パッシブまで削ってきた。


 近づくと共に威力も上がっているのか、物理的距離よりも認識の精度かもしれない。


 行動パターンを変える時だ。この破裂光が目くらましになってる間に進路を変更する。直前の四階への階段を無視して、別の階段へと方向を変える。


 つまり本当なら最短距離で近づきたいが、敵の攻撃によりやむを得ず迂回したと見せかける。近づくことなく時間が稼げるってわけだ。囮としての最適解。これなら目的達成までバリアは余裕で持つ。


 なんて楽観は一瞬だった。


 角を曲がって直線に来た少しあと、頭上でDPが力を増した。次の瞬間、何かがはじける衝撃が後方から襲った。DPとニューロトリオンの反発が俺の体に響く。俺は前のめりに廊下の上に放り出された。


積層装甲コンポジット・バリア:消失】


 装甲が一瞬で消えていた。パッシブのみの部分に食らった⁉


 俺は通路のわきにあった救命胴着のストレージに身を隠す。


 ぐらぐらの視界と混乱する頭で起こったことを考える。敵との相対的な位置がわかっている、アクティブの方向はあっていたはずだ。いやそうじゃない。衝撃が後方から来たということは、つまり敢て急所のすこし後ろに射線をずらしたってことか。それって頭を打ち抜くのよりも難しいよな。


 楽観論は破棄する。これはもうそんなに時間は稼げないぞ。


 紗耶香の位置を確認する。レセプションルームを出て、艦橋棟の二層目の階段まで来たところ、これを降りればDROS《ゴール》まで少しだ。


 これなら希望はある。もちろん葛城早馬が打ち合わせ通りの行動を取ればだが。

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