第9話 再交渉
白い仮面に灰色のローブ。中世の修道僧、いやアサシンのような男がレセプションルームを睥睨している。背景が暗い茜色であることから、どうやら船の上に立っているらしい。ソナーを使わずとも見えるくらいの額の光は、間違いなくモデルのものだ。
映像の男のローブがはためいた。細長い何をか取り出して膝立ちで構えた。それがライフルであることを認識した次の瞬間、中央のテーブルにあった高級ワインの瓶が砕け散った。白いテーブルに赤い液体が広がった。
そして会場はパニックになった。
あのモデルがやったのか? 船の天井から何層もある壁を抜いてこの精度。間違いなくDPを使った武器だ。
前後にある出口に殺到する参加者。だがそれをあざ笑うように防火シャッターが下りる。映像の白い仮面に目のような模様が一つ浮んでいることが分かる。モデルが手に持ったライフルを構えた。シャッターに取り付いた男の背中に赤い同心円が発生した。
次の瞬間、シャッターに血しぶきが散った。血の跡を付けながら、男性がシャッターからずり落ちた。混乱する脳が反射的に『目星』を付けたのは、最初に撃たれたワインの瓶だった。
「紗耶香。下に」
棒立ちの紗耶香の手を引いてテーブルの下に隠れた。天井はもちろん、テーブルにも弾痕はなかった。そこから分かることは奴に認識されては駄目だということだ。震える少女の肩を引き寄せ、上からの視界から隠す。
(ルル。状況はどこまで把握している?)
『……強力な……ミングが展開…………る。……このリンクすらギリギリ……。……デルは…………今は船の一番高い場所に立って……ライフルを構えている。ああやっと少し安定した』
ルルの
(モデルの所属は?)
『不明。ただその船のDeeplayerに該当時間に特異な通信はなかったよ。そして現在は葛城早馬と船のDROS自体の通信は行われていない』
『どういうことでしょうか。葛城さんの仕業なのでは……』
紗耶香が小さくつぶやいた。俺たちを始末するために葛城早馬がモデルを呼び寄せた。それが一番素直な答えだ。だが奴のこれまでの
「事態を打開するために情報交換といかないか」
向かいのテーブルの布が持ち上がった。白いスーツの男がそこに伏せている。せっかくのスーツが肩の所で赤く染まっている。ワインをかぶったらしい。そう言えば丁度中央のテーブルにいたな。白いスーツは良く目立つから覚えている。
「直接聞いたらいいだろう。仲間なんだから」
「この状況を見てそう言うのなら、どうやら価値のある情報は持っていないようだな」
「上の男についてわかることを先にそちらが出せ」
密偵としての本能が駆け引きよりも検証と判断する。
「……教団のモデルだろう」
(ルル。今の情報の裏付けを)
『了解。インビジブル・アイのログを照会。……ジャミング前のDeeplayer痕跡から上空を通過したステルス戦闘機に教団らしき通信を確認できた。葛城早馬とDROSの断絶はその直前に起きていて、それは直前の財団の通信の後だよ』
そう言えば賞品は教団の情報を教えてくれるんだったか。ずいぶんと手回しがいいじゃないか。できればちゃんと梱包して渡してほしかった。
葛城早馬の教団モデルという情報は正しかった。だが、そんなことは保証にはならない。この男が軍団だけでなく教団にも伝手があってもおかしくない。だが、それはルルの今言った情報から却下する。
「どうして教団がお前を狙う? わざわざステルス機まで使って」
「やはりこの状況でも外部との通信が生きてるみたいだな」
早馬が探るような目を向けてくる。こんな時でも情報収集とは感心だ。まあお互い様なんだが。
「質問はこちらだ。シンジケートのメンバー同士は危害を加えないんじゃなかったのか。
「………………私がメンバーと認識されていない。Deeplayerとの通信が途絶している」
早馬が苦々しげに言った。こいつとDROSの接続を切ったのは財団。なるほど……。
「社内でも嫌われてそうだからな。だが、どうして競合他社と連携できる?」
「最大勢力に媚を売る人間はどこにでもいる。陰謀論じゃあるまいし、世界を支配する組織が一枚岩なわけないだろう」
お前自身がそうだものな、と言いそうになるのを抑える。こいつが教団の情報にちょっかいかけたのを、社内政治で利用されたと。リスキーな流儀の付けをこちらに回すんじゃない。
「つまりお前を引き渡せばお引き取り願えるわけかな」
「その時は教団に君たちの情報が伝わることになるだろうな。財団より厄介だぞ」
俺たちは視線をぶつけた。心理学成功、お互いにって感じだけどな。
「主催者として実現可能なシナリオは?」
「この船の進路をタワーに向ける。タワーへのテロ攻撃と認識されれば国防隊が動くだろう。この海上で迅速に第三者を介入させるには他に選択肢はない」
タワーの設置国にとってその防衛は国際的な義務だ。タワーが破壊されれば日本の国力は半減する。そう言えば彼は十年前のテロの際に派遣されていたんだったか。総合的に見て悪くはない。
「大型船の操縦なんてできるのか? 金持ちのクルーザーとはわけが違うだろう」
「船のDROS本体にアクセスを回復できれば可能だ。ブリッジの三層下にある」
DROSはシンジケートメンバーがDeeplayerを使うための設備だったか。船の地図を開く。ここが船体の中央のレセプションルーム。その前にある
つまりこの作戦を実行するには、葛城早馬を上のモデルに気づかれずに真下まで到達させなければいけない。その為に打つべき最善手は……。
「この場で戦闘力を持つのは黒崎亨、君だけだ。違うかな」
葛城早馬の言葉に紗耶香が首を振った。全く同感だ。ただこちらが危険なだけじゃない。この船に呼び寄せ、脅迫した敵組織の幹部をそいつが一番力を発揮できる拠点に送り届ける。絶対にありえない提案だ。
だが今の俺は
「俺が上に向かって奴の注意を引き付ける。その間にDROSに向かえ」
唖然としている紗耶香に耳打ちをして、俺はテーブルからゆっくりとはい出た。
右往左往していた参加者がまた一人、血の花を咲かせて倒れた。
雨の日のサラリーマンよろしく、スーツを傘にテーブルの下から走り出す。混乱する参加者の密度の濃い場所を通って船尾方向のシャッターに近づく。【アクティブ・ソナー】を発する。モデルの注意がこちらに向いた。シャッターに取り付き、下部にある手動のレバーを押し込む。シャッターが上がり始めた。
網膜の裏側に感じる照準が小さくなっていく中、本当のモデルの位置から射線を予測する。次の瞬間、二重のバリアに不可視の弾丸がぶつかった。
ギリギリ頭が入るくらいに上がったシャッターを滑り込むようにくぐった。
シャッターの向こうで、不可視の光がはじけた。俺は白いスーツを左に向かう通路に投げ捨てると、右の角に向かって走った。視界の端で、赤いワインに染まったスーツがはじけるように飛び散った。
『どうして君はいつも勝手にシナリオを変えるんだい』
(今回は俺じゃないだろう)
通路に出た直後に再接続した【リンク】に言い返しながら狭い廊下を走った。背後に現れた照準が揺れながらこちらを追ってくる。網膜に移る船内図で階段の位置を確認、艦橋棟への通路に滑り込む。
背中をかすめるように不可視の衝撃が弾ける。弾丸は突き抜けるが完全に透視できているわけじゃないって感じか。そこら辺を踏まえて囮役のロールプレイをどうするかだが……。
くそ、さっきまでの敵と共闘だって。TRPGなら激熱の
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