第8話 交渉決裂

 レセプションルームのスクリーンが光る。最高落札額のランキングが入れ替わる。それまで一位だった03番が二位にダウンし、代わりに24番が一位に輝く。最終落札額は一ポイント当たり1890。二位に対してダブルスコア近い。


 葛城早馬のコースターに書かれた番号は03で俺の前のコースターに書かれた番号は24。このギャンブルは俺達の勝ちだ。で、どう出る?


「No.24にあれだけの価値が眠っていたとは。おめでとう、どうやらテストには合格のようだ」


 葛城早馬の表情が歪んだのは一瞬だった。朗らかな声で俺たちにいった。どうやら結果は素直に認めるらしい。もっとも敗北を認めたわけではないのは今のセリフから明らかだ。


「それで交渉というのは?」

「黒崎亨が交渉者なのか。オークションの勝利は高峰君の力だろう」

「豪華客船が物珍しくて何もしていなかったからな。さすがに働かないと報酬が取れない」


 何か言おうとした紗耶香を視線で抑える。早馬は薄く笑った。


「今のシナリオを描いた分はもらえるんじゃないか。高峰君にこの手の駆け引きは出来ない」

「そちらみたいに派手にデコレーションする必要はなかったから、評価は低いかもな」


 俺は近くのテーブルに運ばれてきたトレーを指さした。生ハムの原木から濃い桃色の肉が切り出されている。フランス産の超高級生ハムだ。塩だけで作られているらしい。ちなみに船はこれからタワーを周回して港にもどる。それまでは高級ワインと美食パーティーというわけだ。最後まで優雅だな。


 こちらとしては正念場のはじまりだ。今の言葉でわかるように、俺達がIPを探索していた間、この男は俺達を探索していた。今のは俺達の役割分担を見抜いた、いや確認したってことだ。


 俺の視線に気が付いてハムのトレーを引いてきたコンパニオンに謝絶して早馬に向き直る。


「雇い主は結構評価が辛いんだ」

「雇い主か。このオークション、君たちは二人だけで動いていた。ルルーシアというコグニトームリソース投資家は何をしていたんだ?」

「さあ、会ったこともない人間が何をしてるかなんて知らないな」


 ルルが俺達に預けた資金リソースは18倍になったわけだが、多分それも気にしていない。


「これまでも少なくとも二度、危険な場所に君たちを立たせておいて、自分は背後に隠れたまま。頼むべき人間かな。雇い主の評価ではなく、雇い主を評価することも必要だろう」


 早馬は試すような目で俺を見る。その危険な場所を作った人間が堂々と言う。予想通りこいつの目的はルルだった、それはいいが、なかなか斜め上のカードを切ってくるじゃないか。俺は思わず髪に振れた紗耶香に目配せをする。


「つまり買収か?」

「提携交渉だよ。取引先の多様化はそちらにも利益だとおもうが。君に選択の余地があるならだが」


 エリートの世界ではセットでM&Aっていうんだったか、目の前の男に提携と買収に区別をつけているかは疑問だ。っていうか寝返りか二重スパイかみたいな条件設定だろこれ。


 交渉相手として認めるっていうのはそういうことか。俺と紗耶香が、おそらく俺の方だろうがどの程度の長さのリードでつながれているかを測る。いや、揺さぶりの要素もあるか。ここで俺たちが慌ててルルに連絡リンクしようものなら思うつぼだ。


 このテーブルの位置は奴が決めている。リンクをつないだだけでも情報が取られる可能性は高い。


 オークションを通じてルルの情報を取れないと見るや直接の情報収集に切り替えてきた。SIGINTからHUMINT。それもさっきまで脅していた人間にためらいなく裏切りを持ちかける。そして断られてもOK。切り替えの早さと柔軟性はさすがマネージメントエリートだ。


「首輪は一つで十分だ。二本も付けて窒息したらどうする」


 俺は額を指さした。まるでDPCが入ってるみたいだな。


「つまり私との提携は断ると。君はともかく高峰君は戦う力はないようだが。もし私の提案に応じるなら、高峰君の情報に関してはブラックリストから除いてもいい」

「そういう駆け引きは信用できない相手とは出来ない」

「さて、我が社のデータベースには詳しいだろう」


 紗耶香がテーブルの下で俺の手に自分の手を重ねた。俺は答えた。早馬は冷笑した。今度は俺と紗耶香の分断を図ると。相手の狡猾さに熱くなったのは一瞬、俺の脳裏がフルに回転する。


 葛城早馬のキャラクターが見えてきた。要するにこいつは人間関係に全く価値を認めていない。財団の中にあっても軍団との提携みたいな真似が出来るわけだ。これは推測だが、こいつと軍団の協力者も同じような関係じゃないかな。


 つまり、組織をまたいだ超利己的なチームのマネージメントがこの男の根幹スキルだ。


「完全に拒否と。これでは交渉にならないな」

「勝者だからな、強気に行くさ」

「決裂したら君も困ると思うが」

「情報の独占が出来なくなって困るのはそちらも一緒だ。金の情報たまごを生む鶏を殺すほど愚かじゃないと期待しているんだが」

「やりようはある。常にベストを求めるほど強欲じゃない」


 早馬の表情が冷気を帯びた。まるで売り払う家畜に向ける目。これ以上突っ張るのは難しいな。俺たちの情報が握られている以上、何らかの妥協は必要だ。


「そう言えば賞品はどうした? 業界第一位の情報をくれるんじゃなかったのか」


 逆に試すような目で早馬を見て言った。


「…………あくまで野良犬を気取ると」

「ああ、仕事を自由に選べるのがフリーランスの唯一の長所だからな。雇い主ならともかく、飼い主は要らない」

「鎖につながれた飼い犬の分際で大したはったりだ」


 早馬の声音が初めて崩れた。俺の言っていることを欠片も信じていない。まあ実際演技ロールプレイだけど。つまり俺は黒崎亨なので、平静を装うことが可能。よしよしロールプレイも何とか調子が出てきた。さて、どう出る?


「……いいだろう。もう少しだけ泳がせてやる」


 葛城早馬は低い声でそういうと、壁際のコンパニオンに手で合図をした。コンパニオンが俺の前にワインを置いた。先端が膨らんだ特徴的なコルクのワインだ。


「約束の土産だ。ではパーティーを楽しんでくれたまえ」


 一転して朗らかな笑顔を浮かべると、葛城早馬はテーブルを立った。


 俺の手に重なった紗耶香の手からやっと緊張が解けた。気が付かなかったが二人の汗が混じってすごいことになっている。


「あの、今の交渉の意味は?」


 紗耶香が恐る恐る聞いてきた。ずっと隣で俺に任せているって態度を保っていてくれたが、今のやり取りではわからないよな。


「これに業界第一位の情報が入っているんだろう。もちろん葛城早馬の思惑という毒入りだ」


 罠と分かっている教団の情報を敢て要求する。ルルが求めているというのもあるが、葛城早馬とって利用価値、そして情報収集の余地があると思わせるためだ。


「つまり私たちが教団に対して何らかの行動をとることが葛城さんの利益になり、その私たちの行動を観測することで情報を得る」

「そう奴の最後の台詞はそういうことだろう。多分だが、これに記されている暗号を解く過程も含めてだろうな。常に両にらみだ、そこら辺は感心していい」


 説明したら一瞬で理解した紗耶香。ただ、最後俺が感心するといった時、彼女の手のひらに少し力がこもった。


 つまりまだまだギリギリの情報戦が続く。とはいえ、今回に限って言えば別に負けたわけじゃない。ルルの情報は守ったし、葛城早馬のキャラクターの半分、流儀については見えた。


 後は奴の目的だ。今回の俺達との“個人”的な接触もだが、こいつの流儀は本人にとってもリスキーだ。そこまでのリスクを負って何を求めている。不老長寿、財力、あるいはシンジケート内での地位、つまり権力か?


 あのプライドの高さから言えば最後なんだが……結論するには情報が足りない。だからこそ、次のシナリオはこちらに引き寄せないといけない。


 っていうかもう奴のシナリオには参加したくない。陰湿な作者の性格がよく出ていて、情報戦が大好きな俺ですら辟易とするほどにいやらしい。難易度だけならルルも大概だが、それでもギリギリTRPGといえる。


 そうだな、あいつとは絶対に相いれないってことを改めて確認できたのも収穫かもしれない。


「さて、この土産には何が書いてあるか」


 俺がテーブルの毒酒に手を伸ばした時だった。


 フッ、と明かりが突然消えた。


 俺は反射的に紗耶香を庇うようにして立った。【感覚調律:視覚】を発動しようとした時だった。闇に包まれたレセプションルームに一条の光が差し込んだ。


 会場中央に男の立体画像が映し出された。男は白い仮面とフード付きの灰色のローブを纏っている。中世の巡礼者、あるいはアサシンのような服装だ。


「神をも恐れぬ冒涜者たちよ」


 どこから発せられているのか不明瞭な言葉と共に、白い仮面に浮かんだホログラムの一つ目がレセプションルームを睥睨した。


 何が神をも恐れぬ冒涜者だ。じゃあなんでお前の額にDPCの光が見えるんだ。

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