第7話 オークション (2/2)

『我々の体中には、年齢と共に様々な組織で『老化細胞』が蓄積します。老化細胞とは周囲に炎症などの害を及ぼすにもかかわらず、死を拒む細胞です。要するに人体という企業の各部署に居座る老害というわけです。ここにおられる皆さんとは全く正反対の存在ですね』


 発表者が説明を開始した。マイクを通じて流れるクリアな音声の中に、きわどい冗談が混じる。悠々自適の老人が大多数の会場が沸いた。


『この老化細胞を除去することにより身体を若返らせるのが『セノリシス』理論です。セノリシスの最大の利点は年齢を重ねた人間ほど効果が期待されることです。年齢を重ねれば重ねるほど、体内の老化細胞は増えますから。実際、マウスによる実験ではセノリシスにより寿命の延伸、病気の回復、さらに筋力や知力の回復という顕著な効果が現れました」


 当たり前のように出てきた専門用語を必死でかみ砕く。


 いつまでも組織の中に居座っている老害を排除して組織の若返りを果たすと。老化を治すんじゃなくて、老化した部分の除去。老人を若返らせるよりも首にする方が実現可能な方法に思えるのは確かだ。


「しかし皆さんはこう思っておられるでしょう。セノリシスはマウスのような小動物だけ、人間には効果がなかったと。ペットとしてハムスターをかわいがっておられる方は別でしょうが」


 発表者は肩をすくめていった。「分かっていますとも」と言わんばかりのジェスチャーだ。


「実際、セノリシス新薬は悲惨な結果をもたらしました」


 発表者は表情を真摯なものに改めると、スクリーンにチャートを示した。画期的な老化細胞除去剤を発売した企業の株価が年と共に暴落していくさまだ。最後には裁判記録のリストが並んだ。どうやら若返りどころか、いろいろな病気を引き起こしたらしい。


「良くない意味で有名な薬みたいだな?」

「はい。人間のあらゆる組織の老化細胞を極めて効率的に除去する画期的な新薬でしたが、結果として薬害ともいうべき事態を引き起こしました」


 隣から紗耶香が教えてくれた。老害を排除したのに、会社は活力を取り戻すどころかさらに衰退したわけだ。そりゃ確かにたまらないだろう。


「単純に老化細胞を除去しただけでは、人間のような大型で長寿命の動物にはデメリットの方が大きいのは確かです。ですが我々はこの痛ましい薬害のデータを詳細に解析した結果、老化細胞の除去のメリットが大きな組織もあることを突き止めました。それが血管内皮細胞です」


 発表者が人体の血管網を表示した。赤い動脈と青い静脈が、体の中に張り巡らされている。


「心筋梗塞や脳梗塞といった大血管障害や、腎臓疾患や網膜症という小血管障害に限っては予想よりも減っていたのです。そこで我々は選択的に血管内皮細胞にある老化細胞のみを除去するmRNAワクチンを開発しました」


 発表者がさっと片手をあげると、スクリーンにY字型の抗体が老化細胞にくっつき、免疫細胞がそれを攻撃する動画が流れた。


 会場では小さくうなずいている参加者の姿が見られる。確かに話の流れは説得力があるように聞こえた。もっともそれは科学的な論理性だけではないようだが……。


「それでは一ターン目の落札の開始です」


 ちらほらと入札が上がる。勢いはここまでのトップスリーには及ばない。


「説得力があったように思えたけど、低調の理由は?」

「血管系の疾患が減っているのは確かですが、様々な統計上の操作で体重や飲酒の影響などが都合よく用いられています。対象が高齢者ですから、様々な個人的かつ長期的な要因が関与するので、その選び方次第で……」

「なるほど。数字は嘘をつかないがうそつきは数字を使うと」


 俺は早馬を横目に紗耶香に言った。実際に寿命を延ばすまでは道のりが遠いということだ。本命というより大穴って感じだな。入札を見ても、ほとんどが最低単位である1ポイントであることを思えば、参加者もそのつもりか。


 だが、この男はそんなことは承知の上のはずだ。


「さて、二ターン目の前に、ここで主催者から皆さんにだけ特別にお伝えする情報です。現在上杉の中央ラボで研究中のiPS細胞についてです」


 司会が言った。秘密情報とは盛り上がる仕掛けだな。シナリオ通りなんだろうな。


「これはiPS細胞によって作られた血管内皮細胞の幹細胞ですが、表面に特殊なタンパク質が発現させています。血管内のアポトーシスに反応してホーミングするのです」


 司会の言葉と共に、血管内を流れている白い細胞が、血管に空いた黒い穴に吸い込まれるようにして入り込み、やがて血管の一部に変化する図が流れた。


 会場の空気が変わった。


 まだ二ターン目の開始を告げられていないのに、いくつもの手が上がる。


「今の『カード』の意味は?」

「このIPはmRNAワクチンにより老化細胞にアポトーシスを引き起こすことで機能します」

「…………つまり老害の除去だけじゃなくて、そのあとに新人を補充できると」

「はい。原理的にはワクチンの投与とiPS細胞の点滴だけで、全身の血管系の若返りが可能になります」


 注射と点滴で若返り。実に素晴らしい原理だ。


「現実的には?」

「二つの全く新しい医療技術の組み合わせが人間のような複雑なシステムに対してどう効果をもたらすかの予測などそれこそ不可能です。最悪、先ほどの薬害と同じことが起こる可能性も」


 どんどん上がっていく落札額に、紗耶香が戸惑いの表情になる。冷静に考えれば紗耶香の判断は正しいのだろう。


 シンジケートの目的はメンバーが人間を越えた半神の如き存在になることで、最低でも不老長寿が必要だ。つまりシンジケートは老化や若返りの研究に対して膨大な情報を独占している。そのフロント企業が上杉だ。そこが抱える膨大な秘密の中で、表に出したということは逆に大したことはないのではないか。


 だが、オークションというお祭りの場の雰囲気。一番人気だったという前振り。セノリシスという誰もが大穴ということがわかっている札。そして、その大穴の可能性を秘密情報というスパイスを振りかける演出。実に心理学に沿ったストーリーだ。


 俺の観察ではそれをうまく演じきったのがあの発表者だ。これまでの発表者も決して下手ではなかった。だが、まるでその為の訓練を受けた専門家のようだ。


「あの役者、どこで拾ってきたんだ。司会と息がぴったりじゃないか」

「評価に文句があるなら、質問権を獲得するのも手だろう」


 俺の皮肉に、早馬は薄く笑って挑発してきた。


 紗耶香が確認するように俺を見た。彼女の生物学ロールを用いることは想定していた。紗耶香ならこのIPが隠しているネガティブデータを指摘して沈静化させることも可能だろう。


 だが、その札を切るのは難しい。今から入札に割り込むなら手持ち予算リソースでは足りない。追加でお小遣いをもらわないと“課金”できない。


 俺は【リンク】を開きそうになる自分を抑えた。これは罠だ。


 おそらく早馬はコグニトームリソース投資家“ルル”ーシアが尻尾を出すのを待っている。ルルのSIGINTがどれだけ優秀でも、大量のリソースを移動させるとなれば……。


「1000。最高額更新です」


 司会がいった。そこにはこれまでの最高額の三倍以上の落札価格が表示されていた。落札者のテーブルにシャンパンが運ばれる。早馬が芝居がかった手つきでコースターを開けた。番号は当然『03』だ。


「ではいよいよ最後の『24番』です。稀少疾患アストロモラ症候群のモデル細胞。このIPを最後に持ってきたのは、稀少疾患に挑む志を応援したいという上杉の方針によるものです」


 発表者である老人が壇上に向かう中、とってつけたような司会の賛辞。会場の空気はすっかり弛緩していた。参加者たちはグラスに手を伸ばしている。司会者自ら、これからの発表には経済性がありませんと前置きしてくれたわけだ。


「私の研究は球状半導体産業の迅速な立ち上げの結果生じた有毒化学物質による…………」


 プレビューで聞いたものの短縮版の説明が終わった。司会が入札を促すが、だれも手を上げない。ギラギラした空気は既に薄れ、参加者たちはワインをご相伴にあずかりながら歓談している。肩をすくめた司会者が入札不成立のハンマーを振り上げたとき、俺は手を上げた。


「10ポイント、10」


 ルルから事前に黒崎亨ウオレットに移されていた金だ。一言のために100万とは金のかかるゲームだ。ロールプレイじゃなかったら声が震えるところだ。


「質問権が獲得されました。どうぞ」


 俺は紗耶香を見る。紗耶香は立ち上がる。若い美女が立ち上がったことで、会場の注目が集まる。


「ニューロンとグリアの相互作用は近年、脳の老化と関連することがわかってきています。このIPで生み出されたグリア細胞はドーパミン産生ニューロンの脳内分布と一致しますね」

「ええ、その通りですが」


 プレビューで聞かれたことをもう一度聞かれて、老人が戸惑いの顔になった。


「ドーパミン産生ニューロンの脱落で生じるパーキンソン病は人類の長寿化によって爆発的にその患者数を増やしています。先年再生医療によるドーパミン産生ニューロンの脳内への移植の有効性が確認されましたが、多額の費用と患者の身体的負担を伴います。その理由はiPS細胞からドーパミン産生ニューロンの生産効率が低く、さらに脳内へ移植したニューロンの定着率が思わしくないことです」


 若く美しい女性の透き通った声、会場の注目を集める。これが演技ではなく、単に自分の持っている専門知識を当たり前のように語っているだけなんだよな。会場から「アレクサンダーメダルの」というつぶやきも聞こえてくる。


「二か月前にこのような論文が発表されました」


 紗耶香の言葉と共に会場に論文の題名が表示される。タイトルは『ニューロンとグリアの相互依存関係は分化維持と生存に寄与することで、細胞移植の効率を著しく向上させる』というもの。要するに移植するときにニューロン単独よりも、ニューロンとグリアというパーティーの組で行った方がいいということ。


 戦闘職ソロよりも補助職とのパーティーの方が生存率は上がるだろう、というのが俺の理解だ。そして、この会場にいる連中は俺よりももっと良い理解をする。


 ほら可能性に気が付いた連中からざわつきが始まっている。


「つまり、このIPにより生み出されるグリア細胞はアストロモラ症候群にとどまらず、パーキンソン病の治療の効率を大幅に上げる可能性があるのではないでしょうか」


 これがこのIPの“真の価値”だ。パーキンソン病の再生医療の技術をアストロモラ症候群に応用するのではなく、その逆。たった百人だった市場規模が何十倍、いや何万倍にもなる。


 シンジケートの人間でなくても、人間はだれもが老いを恐れる。資産と能力を持つ者ならなおさらだ。そして、そういう連中にとって最も恐ろしい老いが、脳の老化だ。


 会場の視線が紗耶香から壇上に向かった。


「………………確かに」


 老研究者が唖然として頷いた。その途端、会場にギラギラとした空気が張り詰めた。誰もが酒瓶を置いた。


 「100」「200」「350」「500」入札額がどんどんと吊り上がる。「700」「900」。そして入札額はあっさり03番1000を越えた。


 俺はコースターをひっくり返した。もちろん書かれている番号は『24』だ。白いスーツの優男の表情が歪んだ。

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