第6話 プレビュー③

 今回のディールには関係なさそうな地味なIPをプレビューしていた紗耶香が【リンク】を俺につなげた。研究に対してアドバイスしたいという。


(一つ質問がある。利益にならなさそうなこの特許を上杉がオークションに参加させた理由は? 葛城早馬に何らかの隠れた意図がある可能性についてだ)

『私の見た限りではそれはないと思います。目的はおそらく一種の“ウオッシュ”ではないでしょうか。上杉が経済的な価値のない稀少疾患にもちゃんと目を向けているという』

(表向きのポーズというわけか。それで君のアドバイスというのは?)

『純粋に生物学的なものです。この研究の目的である既存薬剤リプロファイリングの効率を高める可能性があります。ただ元々の価値があまりに低いのでオークションには影響しません』


 紗耶香は言った。問題はなさそうだ。明らかに入れ込んでいるようだが、それが彼女の科学的判断を鈍らせはしないだろう。俺は(了解)と返した。


「あなたが分化させたαΘグリア細胞の脳内における分布ですが、脳の中心部付近です、見た限りドーパミン産生ニューロンの分布と一致しているように見えますが」

「………………ええ、確かに黒質緻密部と呼ばれている部分です」


 紗耶香の言葉に老人は少し考えた。俺と同じく紗耶香の意図が分からないようだ。グリアの話のはずなのに、いきなりドーパミン何とかってニューロンの話にとんでいる。


「ドーパミン産生ニューロンの脱落を原因とするパーキンソン病は、長寿化に伴って患者数が増えており世界的な課題です。必然的に多くのリソースが投入されています」

「そうですね。iPS細胞を用いたドーパミン産生ニューロンの移植が実用化にたどり着いたことは再生医療の近年の大きな話題でした。もっとも歩留まり……いえ移植細胞の生産の効率や、移植後の生存率の問題で現状治療を受けられるのは多くの富を持った人だけのようですが」

「はい、その通りです。ですが、そのおかげで培養用の環境、特に培養液やコーティング分子の標準化が進んでいます。仮にあなたのグリア細胞がドーパミン産生ニューロンと同様の環境に適合すると仮定すると、これらの標準化された資材を活用することはできませんか?」

「…………なるほど。生体内で同じ環境に存在する以上流用可能ということですか。それにより、私の細胞の生存率が上がれば……」


 老人ははっとした顔になる。その目が希望に輝いたのが分かった。


「盲点でした。生物学は退職後に改めて勉強したので、いや素晴らしいアドバイスだ」

 やっと意味が分かった。小さな市場規模であり、特殊な環境の再現となれば、高いコストがかかるが、同じような条件の巨大な市場で使われている機材を使えば、経済性は大きく改善する。


「もちろんドーパミン産生ニューロンの培養環境も最適とは言えませんから、どれだけ効果があるかは未知数ですが…………」


 紗耶香は謙遜するよう言ったあと、なぜかもう一度プレゼンに目を注いだ。


 紗耶香の視線の先には、最初に見た枝分かれした細胞の写真がある。緑と赤の二色の蛍光たんぱく質に色分けされている。GFPがニューロンでRFPが問題のグリアだな。


「…………近年の研究からニューロンとグリアの連携が細胞の機能や生存に大きな影響を与えることがわかっています」


 紗耶香は自分の知識を自分で確認するように言った。最初の老研究者の説明だとグリアっていうのはニューロンを支えるような役割だったな。確かに写真を見ると、二つはしっかりと結びついているように見える。


「そこで、ドーパミン産生ニューロンとこのグリアの共――」


 紗耶香がこれから何を言おうとしているのか全く分からない。ただ、これまで彼女を見てきた勘が、彼女が今【生物学ロール】でクリティカルを引こうとしていることを直感した。


「すまない紗耶香。向こうに少し気になるIPがあって、ちょっとアドバイスをくれないか」


 反射的に紗耶香の言葉を遮った。紗耶香は困惑した顔で俺を見る。黙って首を振る。紗耶香は「すいません、勘違いだったかもしれません」と老人にいって俺についてきてくれた。


 ブースの中央にある休憩スペースで、俺は紗耶香にミネラルウォーターのボトルを差し出した。


「私の発言に問題がありましたか?」

「いや一つ目は問題ない。要するにメジャーな再生医療に使われる培養液や培養器具なんかを、あのグリア細胞の培養のために流用できるんじゃないかって話だよな。あくまで経済性の話だ」

「はい。その通りです」


 紗耶香は頷く。問題はその次だ。


「紗耶香が言いかけたことなんだが、ドーパミン産生ニューロンと、あのグリア細胞の関係に関してだ」

「はい。ドーパミン産生ニューロンとさっきのグリア細胞を一緒に培養することを提案するつもりでした。共培養により生存率が上がり、モデル細胞として薬剤テストの正確性も高まるのではないかと」


 なるほど、つまりドーパミン産生ニューロンが、あの研究のグリア細胞を助けるという話だ。より脳内の自然な環境を再現できるから、グリア細胞の薬剤のテストにもいい結果をもたらす。


「ただ、これは一つの目のアドバイスよりもさらに小さな効果で――」

「もし逆に考えたらどうなる? このグリア細胞にとっての利点じゃなくて……。特許の価値はその技術が解決する問題の大きさと、市場規模で決まるんだよな」


 俺の言葉に、紗耶香ははっとなった。そして「盲点でした」といって頷いた。ビンゴだ。上手く使えば午後からのオークションで強いカードになる。


  ◇  ◇  ◇


(No.18、No.21、No.19か。純粋にIPの価値としては正解だな。そしてトラップのNo.3は避けた)


 部下に表の仕事を任せてた早馬はDROSでの自分のプロジェクトに打ち込んでいた。彼の前にはすべてのネットワークを裏側から見るDeeplayerにより筒抜けになっている船内がある。


 人間とは個体ではなく群体だ。その個体が持っているネットワークの価値が、その個体の価値だ。コグニトームも、そしてそれを裏側から見るDeeplayerも、人間が群れを作る動物だという生物学的原理から発展したといっていい。


 社会的動物だからこそ、リーダーに対して従うことが必要だと知っているし、同時にそのリーダーがあまりに大きな力を持つことを恐れる。権力に対する従順さも、反権力の反骨心もどちらも本能に根差した感情に過ぎない。


 それが早馬が両親の行動と死から得た達観であり、ゆえに彼は善悪ではなく己が目的のために、このネットワークを操る自分の才能を駆使する。あたかも、ゲームのスコアを獲得するように。


 ターゲットである若い男女の行動が船内図に映し出される。実際にプレビューを行っているのは高峰紗耶香、黒崎亨は背後でそれを見ているだけだ。早馬はインビジブル・アイズを用いて黒崎亨の姿勢から視線の動きをシミュレーションする。視線の流れは説明の順番ごとにまっすぐだ。専門知識を持っている場合、分かり切った部分は飛ばされるし、自分の興味に集中するのでこんなスムーズに動かない。つまり素人の動きだ。


 紗耶香が専門知識担当で黒崎亨はボディーガード。招待状を出すときに想定したストーリーだ。このストーリーは早馬にとっては少し物足りない。この二人の中で彼がどちらを重視しているかといえば、黒崎亨だ。


 この男は、すでに二体のモデルを打ち破り、それでいてその力の本質は未だ詳細不明。超高度なDP技術の生きたサンプルだ。早馬が財団の幹部として行動するのなら、何を置いても確保すべき存在だ。あの男の脳からDPCを入手できれば財団というネットワークの中でより上位の座が得られる。


 だが早馬の定義するこのゲームの勝利のためには、その程度では足りない。DPCの解析となれば財団の施設は必須であり、その情報を独占することは不可能だ。


 ターゲットは必然的に黒崎亨を支配しているアンノーンに向かう。


「今のところ主人ルルーシアと連絡を取り合っている形跡はなしだが……」


 早馬はDeeplayerの情報のやり取りをインビジブルアイズで確認する。黒崎亨と高峰紗耶香が時々合図のようなものを送り合っているのは間違いないが、その情報量はハンドサイン以下。


 どれだけ強力でも黒崎亨は所詮モデルだ。実際、黒崎亨のこれまでの行動は無謀極まりない。一度目も二度目も、ほんの少しのアクシデントで致命的な結果になった。今回もあっさりと招待に応じて見せた。まさに使い捨の駒だ。


 となればその飼い主は黒崎亨をはるかに上回るDP技術を保持しているはずだ。しかも、早馬の見立てでは小規模な組織。彼がアクセスすべきはいわばベンチャーのトップだ。大組織の準幹部である早馬が“個人的”に手を組むのにうってつけの相手だ。


 早馬の目的達成ゲームクリアのためには、それくらい強力なカードが必要であり、そのためにとるべきリスクに迷いはない。それが彼にとってのゲームの流儀だ。


 候補はバイオモニタリング学会で黒崎亨も高峰紗耶香も雇った人間、ルルーシアというコグニトームリソース投資家だ。Xomeの時に特定した三つのIDの中で、唯一その詳細が全くつかめない黒い人影。間違いなくインビジブル・アイズに干渉できる存在。


 船上オークションというこのゲームステージは、黒崎亨と高峰紗耶香を通じた、この飼い主との情報戦だ。


(私の目的をあちらも察している。だが二人を派遣してきたということは、向こうにも思惑があるはずだ。少なくとも無条件で駒を捨てるほどの余裕はないはず。そこを切り口にすれば……」


 早馬の頭脳が高速で回転する。アドレナリンが脳内を駆け巡る快感。だが、当たり前のストーリーでは当たり前の情報しか得られない。


 その時、二人に予想外の動きがあった。


(No.24? 何故あんなゴミに興味を持つ?)


 最後のIPは上杉が稀少疾患を無視していないというポーズの為だけに選ばれた。


(飼い主から私の知らない情報を入手した? いや、敢て最後に本命のように見せるブラフということもあり得る……)


 複数のストーリーを思い浮かべる。彼のゲームを部下からの報告が遮ったのは、その時だった。


「今は邪魔をするなといっていたはずだが」

「申し訳ありません。実はオークションへの不穏な情報が届きました……」


 恐縮する部下が報告したのは、反進歩団体がこのオークションを生命への冒涜であると非難しているというものだった。


 生命が神聖であるなどという幻想にすがる人間にプレイを邪魔されたことに早馬はいらだった。仮に何かしようとしても洋上の客船にアクセスなどできないし、もしもしようとすれば確実にDeeplayerに痕跡を残す。


 早馬はDeeplayerに何の異常もないことを確認すると、部下の報告を手で払いのける。改めてターゲットを補足する。二人は既にプレビューを終えていた。映像の記録を確認する。黒崎亨が、何らかのアクションを起こしたようだが……。


「いいだろう。オークション本番でお手並み拝見だ。この程度で尻尾を出すならそれこそアマーリアに売り飛ばして、軍団経由で情報を得るという手段もある」

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