第4話 プレビュー①

 俺と紗耶香が戻ったときレセプションルームは様相を変えていた。円形の会場を取り囲むように二十四の区切りが作られ、区切りごとに一人の研究者が立っている。


 なるほど確かにあの学会に似ている。オークションで言えば、背後の曲面スクリーンに表示されているのが美術品で、前に立っているのが作者という感じか。


「どこから行く?」

「先ほど説明した再生医療の工程順に回るのがいいと思います。最初は18番ですね」


 紗耶香は言った。つまり復習を兼ねてくれると。生物学ロールの素人にはありがたい配慮だ。ごく自然に、この探求をパーティープレイと考えるプレイスタイル、じゃなくて姿勢が頼りになる。俺も素人なりにやるべきことをやらなければという気持ちになる。


 最初の候補、18番の前には三十代半ばくらいの男性が立っていた。所属は新東京湾岸インナーサークルにある国立の研究所か。肩書は主任研究者。企業で言えば課長級、大学なら准教授クラスってところだな。ルルに頼めばそれ以上の情報を得られることは分かっているが、当然控える。男のスリーサイズを知っても仕方ないしな。


 特許IPのタイトルは『iPS細胞の高速培養系のためのサプリメント』。つまり再生医療の基礎材料であるiPS細胞の培養に関わる技術ということだろう。先ほどの説明に当てはめて理解すれば、原料の生産に関するってところか。


 俺は一歩引いたところで沙耶香を見守る。


「説明して頂いていいでしょうか」

「ええ、もちろ……」


 目の前に現れた若い女性に、男の表情が一瞬唖然となった。気持ちは分かる。高度な知的ギャンブルの会場に、アイドルが現れたような気分だろう。あるいはお金持ちのお嬢様のお遊びに付き合わされるような気分というべきか。


「高峰紗耶香さん……アレクサンダーメダルの」


 だがそんな態度は、男が紗耶香の情報を認識すると一瞬で変わった。この時点で相手には、紗耶香の科学者としての実績や、ルルーシアの持つ資産の開示されているデータがわかっている。


「……このように我々が開発した新しい培地では、二十種類のアミノ酸の最適配分により従来に比べて世代あたり一割の増殖能力の上昇がみられます」

「従来の培地のアミノ酸添加は必須アミノ酸に着目されていましたが、我々としては細胞内で合成可能な他のアミノ酸の影響も大きいことを突き止めています」

「なるほど。分岐鎖アミノ酸、BCAAとセリンの比率が関わると……。確か筋肉合成の研究にそう言った治験があったはずです」

「さすがです。私自身トレーニングを心がけているので発想としては自然だったんですよ」


 男が腕まくりをした。マッチョというほどではないが、腕に筋肉の形がきちんと表れている。別のアピールじゃないかという疑いもあるが、まあ気持ちは分からないでもない。


「増殖速度という意味では突然変異の蓄積も重要だと思いますが」

「もちろん、細胞の突然変異率に問題はありません。このデータが示すように、継代を繰り返した後の細胞の品質は一定であり……」


 紗耶香はアピールには反応せずに次の質問をぶつけた。男の説明と共に、スクリーンにグラフや概念図、そして緑や赤、黄色に光っている細胞が表示される。蛍光タンパクがどこでも使わていると改めて分かる。考えてみればiPS細胞も日本人の成果か。おかしいな、タワーの誘致に成功しなかったら日本は先進国クラブから脱落したと習ったんだが。


 それはともかく、この特許はiPS細胞を大量に高品質に生産するための培養技術、細胞培養液だ。成分の簡略化でコストを抑えながら、増殖速度を高め、しかも出来上がった細胞は高品質と、申し分ないものに思える。


「なるほどiPS細胞の未分化状態の維持も安定しています。遺伝子の突然変異の率そのものも低く抑えられています。ご説明では突然変異率が抑えられている明確なデータが提示されていますね」

「ええ、その通りです」


 研究者は胸を張った。俺の【心理学】が成功していれば嘘はついていない。


「ですが、あくまで平均値の問題です。最終的に選別された細胞において特定の変異つまり、将来ガン細胞へ向かうような、が否定されていません。HSSによるシーケンスデータは取っていないのでしょうか。特に、最終継代後の」

「……細胞増殖率の向上により継代回数そのものが抑えられていますので、必要性が薄いと考えています。そういった変異は継代回数に従って等比級数的に増えていくので。いわば一番危険な段階をカットできるのも、我々の培養液の強みですので……」


 一瞬で取り繕い、あたり前のように説明をつないだが、研究者の顔が明らかに歪んだのが分かった。


「説明、ありがとうございました」

「ははっ、こちらこそ。流石メダル持ち。参考になりましたよ」


 紗耶香が背を向けた瞬間、男の顔に浮かんだのは安堵の表情だ。何かあるな。


「君の最後の質問だけど、相手は明らかに痛いところを突かれたって表情だった」

「はい。おそらくあの培地の成分がガン化に向かう細胞に有利な条件を作り出しているのです。細胞分裂の度に突然変異は必ず起こります。これ自体は避けられません。そして一度増殖能力の優れた細胞が生まれると、最終的にはその細胞だけが残り、結果として一定の品質で高速に細胞が増殖するように見えます」

「つまり、あのIPがアピールしていた大量生産は癌化リスクと隣り合わせということか。なんでそんな大事なデータが出ていないんだ?」


 俺の質問に、紗耶香が小さくため息をついた。


「これは科学研究そのものの問題なのですが。ネガティブデータが表に出にくいんです。自分の研究結果をアピールするために存在しない結果を作り出すのは完全に捏造です。またグラフなどの数値を良い方向に変更する。あるいは良い結果が出た回の実験だけをデータとして出す。これらは明確に問題です。現在は厳密に監視されます」


 つまりダイスの目をごまかしたり、複数回振って良い目が出た時だけを出すって感じか。そりゃ駄目に決まっている。ちなみに一部のTRPGルールではそれを逆手に取って、有利な状況ではダイスを二つ振っていい方を、不利な状況では悪い方を採用というルールがあったりする。


「ですがネガティブデータが表に出ないという問題は解決していません」

「ネガティブデータ?」

「はい。要するに目的のために不利なデータです。先ほどの場合は最終的に作り出されたiPS細胞の癌化の問題です。癌化しているのにしていないといえば捏造ですが、そもそもそのデータを取っていないといえば不正にはなりません」

「つまり表に出したデータはすべて本当であっても、裏には出したくない不利なデータが眠っていると」

「そういうことです。もちろん誰が見ても必要なデータが存在しなければ特許や論文の審査で指摘されます。ただ、やはり微妙なラインというものがあって。ちなみに継代回数と有害な突然変異の発生率の相関に関する先ほどの方の説明はそれ自体は生物学的に正当です」

「なるほど。つまり紗耶香はさっき癌化に関する詳細な突然変異のデータは取っていないのかと聞いたが」

「実際には存在しているのではないかと推測しました。私なら必ずそのデータを確認しますから」


 俺だけなら『言いくるめ』られていたな。まあその前に言ってることが理解できなかっただろうが。


「純粋に科学的には、こうならなかったというデータも重要な成果の一部なんです。ですが、今のような評価形式の場合、そう言ったデータは表に出ずに失われてしまいます」


 沙耶香は残念そうに言った。情報分析にも通じる。やはり研究者の人間は重要ということだ。そこら辺に俺の役目はある。もっとも、さっきの紗耶香を見ていると彼女の眼を逃れられるかは疑問だが。


「結局No18の評価は?」

「iPS細胞を用いた再生医療のすべてに関わるという意味で、適応範囲は広い研究です。ですが、肝心の技術自体に問題があります」

「次だな」



「確かにこれまで困難といわれてきた副腎皮質の内分泌細胞の分化を実現していますね。ただ、その効率がいまだ低いのが気になります」

「流石に鋭い。今我々が最優先の課題にしているのがその点です。実はこのIPオークションの参加も、その実験のための研究費獲得が目的です」

「なるほど、例えばゴーストの入手などですか……」

「はは、高峰さんは専門は分子工学ですよね、敵わないなあ。もしもそこのところを詳しくお話しできれば、この後の……」


 22番の前に立つ男の研究者が熱弁をふるっている。医者が全員健康な体形でないのと同様に、医療研究をしていても自分の体重に無頓着な人間は当然いるよなという感じの男だ。二つ目の候補はiPS細胞を特定の細胞に分化させる研究だった。ようするに材料を目的の組織を作る細胞へと変化させる方法ということだ。


 サイトカインという細胞に刺激を与えるための物質の組み合わせて、まっさらなiPS細胞を段階的に目的の細胞に向けて変化させていくのが研究の主題のようだ。TRPGの職業進化ツリーよりも複雑だ。


 紗耶香の質問に対しても、きちんと答えていたし、そこ表情に変化は見られなかった。紗耶香相手に鼻の下を伸ばしていたのはアレだが、まあこれは彼女のAPPを考えれば許容範囲だ。誰だって美人とお知り合いになりたい。


 紗耶香は男の誘いを丁寧に断ると、俺の方にもどってきた。発表者の俺を見る目が痛い。


「どう判断した?」

「データを見る限り確かに新しい成果です。ここまではいいとしても、実際の組織構築ということになったときに、体内できちんと維持されるか、機能を発揮できるかが疑問が残ります。わずかな乱れが機能に直結する組織です」

「なるほど。化けるかもしれないが、期待値的には厳しいか」


 現実では百回に一回も奇跡≪クリティカル≫は起きないからな。


 当人も認めていたからある程度は信用が置けるが……。悪くはないが賭けるかといわれると微妙だな。


「次が最後の候補だな」

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