第2話 乗船

「あらゆる情報が信頼できる形で流通する中、人間同士の対話を正当化するものは何でしょうか。それは文字通り“未来”の発見です。AIの質的限界を持ち出すまでもなく、最先端分野であるほど、情報の未来価値を判断する行為は知的アートの領域となります。今回我々上杉は再生医療に関する最先端の特許IPを用意しました。深い経験に基づく皆さんのご慧眼をもって医療の未来を……」


 船中央に位置する円形のレセプションルームでは白スーツの優男が見事な綺麗ごとを語っていた。時刻は朝の九時半。脅迫者の演説に拍手するのには耐久ロールの成功が必要そうだ。



 ベルトラント号は総トン数五万トン未満の小型客船に分類される。小型とはいえ船内空間は豪華で洗練され、参加人数に対して十分な余裕を持っている。二十万トンクラスの超大型船が富豪から一般庶民まで含めた街だとしたら、この小型客船は金持ちしか使えない高級リゾートホテルと言った感じだろうか。


 オープニングセレモニーのテーブルに並ぶのは金持ちたちだ。中高年が多く、カジュアルだが上品な身なりの紳士たち。多くが一線を引いたSEAMエリートだ。コグニトームリソース投資家、その中でも自らが培った経験と知識でマネーゲームを楽しむ優雅な引退者だ。


 一方の参加者、壇上の背後に並んでいるのは現役の研究者エリートたちだ。正確に言えばSEAMの科学者(S)と技術者(E)。彼らが求めているのは研究のためのリソース。比較的若い年齢が多く、服装はちゃんとしているが地味だ。


 壇上の派手すぎの主催者の言う通り、現代においてはコグニトームで事足りることを対面でやるのはこれが一種のイベント、はっきり言えばギャンブルの一種だからだ。


 知的財産IPオークションは、名目上は科学技術の発展や若手研究者への援助という御立派なデコレートしてあるが、専門知識と経験を生かして掘り出し物に大金をかける遊びだ。ビジネスになる前の特許権が対象なので、ベンチャー投資よりも専門性とギャンブル性が高い。


 以上ルルの受け売りである。総合教養大学にいる以上、そういうものがあるのは知ってたけど、まさか自分ごとになるとは思っていなかった。同級生がこの状況を見たらうらやましがられるだろう。代わってほしいくらいだ。


 ちなみに僕の隣にいる女性は、一見すればお金持ちのお嬢様にしか見えないが、その実は若き天才科学者にして多額の特許料を生み出す知的財産の所有者だ。そういう意味ではこのテーブルにふさわしい。


 一方僕……いや俺はリソース投資家ルルーシアの代理人ということになっている。専門知識も資産もない、様になっているのは服装そうびくらいだ。プロの見立てというものは流石で、もしもっと地味なスタイルだったら、御令嬢さやかのお付きにしか見えなかっただろうし、開き直ってカジュアルにしすぎたら、若造のくせに余裕ぶった場違いさを演出したに違いない。


 その両方が実態に近いのは置いておいて、ロールプレイにおいてはこの手の心理的効果は馬鹿にできない。正直今回は精神的にギリギリだ。


 捨てたはずの名前キャラクターを引っ張り出す状況を作ってくれた男がこちらに近づいてくる。


「やあ高峰君。会場でもひときわ目を引く美しさだったよ。どこにいるかすぐに分かった」


 葛城早馬は俺たちのテーブルに来るや第一声で紗耶香をほめた。見事なイケメンロールプレイだ。言うまでもないことを臆面もなく口にするというのはこういうことか。


「主催者自ら挨拶とは光栄だけど。忙しいだろうから要件に入ってほしい」

「いつぞやぶりだね黒崎記者。前回の活躍の時には直接会えなかったからね。まあ君の雄姿はしっかり見せてもらったが。ふむ、今日は大人しいじゃないか」

「まわりのセレブの気に当てられたかな、圧迫されている気分だ」

「そんなに警戒しなくていいだろう。私は非武装だ。むしろ君の方がずっと物騒じゃないのかな」


 シンジケートのメンバーは基本的に実験段階のDPCを埋め込んだりしない。乗船前に【ソナー】で船内にDPCの反応はないことは確認している。だがこの船のすべてがこいつの手の内だ。DPCを稼働させず潜伏しているモデルの存在など、いくらでも可能性がある。


 それも含めて情報収集だ。切り替えていかないと、今の俺は黒崎亨だ。


「本来なら君たちはこうやって表にはいられないだろうに」

「表にいられなければ招待もできなかったな。さて、ご招待の理由は? どんな交渉が始まるのか楽しみだ」


 ストレートな脅迫にはストレートな質問だ。早馬は肩をすくめた。けれんみたっぷりの仕草が本当に似合う。これがTRPGなら褒めてやれるんだが。


「私の交渉相手たる資格を見せてもらおう。ここでこれから始まるゲームでね。もし私に勝てば交渉相手、負けたら君たちの情報はしかるべく活用させてもらう。同業者に高く売れそうだからね」


 紗耶香が緊張した表情になる。半分くらいがブラフかな、いや希望的観測が混じっているか。くそ、まだロールプレイに集中しきれていない。


「ゲームは嫌いじゃないな。もちろんレギュレーション次第だけど」

「午後のオークションで高値の付くIPを予測した方の勝ち。シンプルで分かりやすいだろう」

「確かにわかりやすく胴元が有利なギャンブルだ」

「拒める立場じゃないと思うが、だからここに来た」

「どうかな、こっちはお客様かもしれないぞ」

「君たちのような小さな組織が僕たち相手に調子に乗ってもいいことはないよ」

「氷山は見えない海中部分がはるかに大きい。この船がタイタニックじゃ困るんだが」

「君たちは大きな組織か小さなチームかの二択だ。そしてここに来た時点で後者だ」

「同じ理屈でこういった場を用意しなければいけないそちらの立場も後者だな。雇われ船長」


 俺たちは朗らかな笑顔で会話をした。相手に本当の自分を知られている精神的重圧は半端じゃない。だが、はらはらした表情でこちらを見ている紗耶香に任せるわけにはいかない。HUMINTは俺の役割だからだ。


「俺たちが勝ったら何をくれるんだ?」

「そちらにとっては致命的な情報を隠してあげているんだ。これ以上望むべくもないだろう」

「一つくらいないとモチベーションが上がらない」

「調子が出てきたか? 我らが業界トップの拠点情報を一つ。破格だろう」

「自分が負けても仕事を一つ押し付けるか、確かに破格だな」


 俺と早馬はにこやかな笑みを交わした。前哨戦でこれか、先が思いやられる。


「じゃあ楽しんでくれたまえ。オークションで会おう」


 早馬はそういうと別のテーブルに向かった。初老の紳士とにこやかに会話をする早馬をちらっと見て紗耶香が髪の毛を掻き上げた。白いうなじがあらわになった。耳たぶのピンクゴールドのイヤーカフが光る。ちなみに先日僕が選んだものだ。イヤーカフというギャル的なアイテムも、清楚な美人がちょっと冒険しましたって感じになっている。美人は何を付けても似合うというのはこういうことだな。


 自分の選んだアクセサリーを女の子がつけているというのは、確かに感慨がある。だが、これはプレゼントじゃなくてアイテムだ。秘密の話し合いをする時の合図に使うための。


 俺と紗耶香は甲板に出た。すっかり浄化された東京湾の海風は心地いい。対岸の新東京湾岸インナーサークルと東京湾中央のタワー。まるで自分が選ばれた人間の一員であるように錯覚する景色だ。


(ルル。そっちからはどの程度把握できている)

『とりあえず静止軌道上の衛星を一つ把握したよ。とはいえ通常の衛星だからね。甲板でヤスユキが両手を大きく振れば個体認識できるくらいの解像度だ』

(モデルの反応は?)

『Deeplayer上で活動は検知されない。コグニトームからみても表のイベントであることは確かだね。もちろん早馬ボスの部屋にはディープレイヤーへのアクセス設備がある。DLOSというやつだよ。本体は船の下部みたいだけど』

(なるほど。予想の範囲内ではあるか)


 ルルの情報監視能力SIGINTは相変わらずだ。


『先ほどの葛城さんの言っていたこと、どう捉えればいいのでしょうか』

(そうだな、予想通り向こうが絶対有利というわけじゃないと判断した。ポイントは二つだ)


 頭の中に直接響く紗耶香リンクにこたえる。


(一つ目は、葛城早馬はこちらの全貌を把握しているわけじゃないということだ)


 実際には俺たちは自分から実験室に向かわなければいけないモルモットだ。だが、それは奴のあずかり知らぬことだ。もし知っていたら豪華客船のパーティーじゃなく、どこかの地下研究所で檻越しに対面しているだろう。


(奴は俺たちが要求に応じなければいけないほど弱いのか、それとも悠然と相手の土俵に飛び込める力の裏付けがあるのか、把握できていないはずだ)


(もう一つは、葛城早馬自身の立場が万全ではないということ。あの男が“個人的”な利益と立場を重視すればするほど、奴が使える手札も制限される)


 奴が欲しがっているのは俺たちの持つニューロトリオンの情報だ。そして情報というものは独占すればするだけ価値が上がる。それは対立する組織の間だけでなく組織内でも同様だ。


 要するに葛城早馬が有益な情報を独占するためにはなるべく個人的に動かなければいけない。これが奴の持つ制限だ。


(表のイベントを使って、さらに俺たち二人だけを招待したのはそこら辺のバランスだろう)


 こちらの戦力の増加を避けるために古城舞奈を招かなかった。もしも向こうが万全の戦力を用意できるなら三人纏めて監視下に置いた方がいいに決まっている。


『つまり、先ほど葛城さんが言った自分は非武装というのはそういうことなのですね』

(そう、奴なりに危ない橋を渡っている。それだけ奴自身の目的にとって俺たちの情報が重要だということだ。あわよくば俺たちを自分の戦力として利用することまで考えているかもしれない)

『先ほどの交渉相手としての品定めはそういう意味ですか……』

『なるほど。葛城早馬の野心と保身のバランスという細い綱の上にボクたちは居るわけだ。しかしよくもまあ、さっきのやり取りだけでそこまで読み取るものだね』


 ルルが感心したように言った。紗耶香が頷く気配が横から伝わってくる。


『それでこちらはどう動けばいいのでしょうか?』

(言った通りこれは情報戦だ。俺たちは奴にこちらの情報をなるべく渡さず、奴の情報を可能な限り集める)


 僕は頭の中を必死に黒崎亨にしながら方針をまとめる。


(奴の野心の方向を見極める。言い換えれば奴が今回のリスクを取った”動機”に迫るんだ。それも向こうにこちらのテーブルの上をなるべく見せないようにしながら)


 単なる情報収集ではなく複雑なディールだ。TRPGでやったら破綻必死の”高難易度シナリオ”だな。そう考えると少しだけ頭が落ち着いてくるから不思議だ。こんな非日常ロールプレイにならされ過ぎてる……。


(ええっと、後は……そうだ。奴の出した賞品だが、教団の拠点というのはどれくらいの価値がある?)

『率直に言って大きいよ。巫女のいない『財団』そして前回のことでとっかかりが出来た『軍団』と違って、一番強力な巫女を擁する『教団』の情報はほとんど入手できていない』


 なるほど、ルルがそういうくらいなら相当だな。


(わかった、俺の方針としてはもっとも高値が付きそうなIPを探すべきだと思う)

『向こうの条件に乗るということですか?』

(奴にとっては俺たちがどんなIPに興味を持つかも情報だ。だからレギュレーション通り金を基準に動いてやればいい。ニューロトリオンのスキルなしに出来るからな。……研究の成果を競り合うなんて紗耶香は気が進まないと思うが。協力してくれ)

『大丈夫です。専門面でサポートします』


 紗耶香はこわばっていた表情を少しだけ緩めた後、しっかりとした決意を込めた瞳を俺に向けた。


『それで、ボクはどうすればいい?』

(今回は受動的な情報監視に徹してもらう。ルルの情報が洩れれば全員の素性が掴まれる。というかコグニトームリソース投資家のルルーシアも含めて、このイベントが選ばれていると考えた方がいい)

『……これはHUMINT、つまり君の判断に従うべきだと認識したよ。ボクはそちらから呼ばれるまで監視に徹する』


 ルルがリンクを切った。俺は紗耶香に向き直った。


「いつも通りIPの価値判断は紗耶香に任せる。ただ俺も最低限の知識は必要だ。出品されているIPについて簡単な概要を説明してくれ」

「分かりました。オークションカタログには目を通しています。ここで取引されるのは再生医療関係のIPです。主に万能幹細胞を用いたバイオテクノロジーの……」


 船内にもどりながら、紗耶香の説明を聞く。相変わらずフレーバーテキストだらけの探索のはじまりだ。

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