第6話 三つのインテリジェンス(2/2)
「最初に確認させてください。モデルの資質が人間の脳による以上、程度はともあれ遺伝子の関与があるはずです。シンジケートは自分たちのモデルのゲノムデータを収集していないのですか?」
サブマスター兼天才生物学者である美人女子大生はそう質問した。
「それは当然している。でも、まさにその結果として、ゲノムデータだけからモデルの資質を予想することは現実的ではないという結論になっているんだ。もちろんモデルの資質に関係する
「つまり、モデル資質は
「そういうことだね。もちろん、シンジケートは少しでも精度を上げることを目指している。だから、今回も新しい遺伝子に目を付けているんじゃないかと踏んでいたんだが、その手の情報が全く出てこないんだ」
ルルはお手上げと言わんばかりに、両手を天に向けた。僕もお手上げだ。全く意味が違うけど。
「どういうことか、一応聞かせてくれ」
本音を言えばこんな
「そうですね……。簡単に言えば生物個体が実際に示す“性質”と“遺伝子”の関係です。一つの遺伝子によって決まる性質なら遺伝子型と基本的に一致します。遺伝子情報だけで個体の性質が予測できるということです。例としては血友病や鎌形赤血球症のような特定の遺伝病があります。ただこれはむしろ例外です。個体の性質や能力は一般的に複数の遺伝子が関わります。例えば比較的単純な性質である『身長』に関わる遺伝子だけでこれだけあります」
沙耶香の言葉と共に、アルファベットの記号で構成された回路図のような物がホログラムに提示される。どうやら成長ホルモンに関わる遺伝子らしい。十数個ある上に、それらが強化し合ったり拮抗している様子が分かる。成長ホルモンを直接作る遺伝子だけでなく、その遺伝子の発現量を決める遺伝子、作られた成長ホルモンを受け取る遺伝子、そしてその成長ホルモンを受け取る遺伝子を調整する遺伝子といった具合だ。
ビジュアルに表示されても頭が痛くなる。
「これに加えて環境の影響があります。身長に関して言えば、成長期の栄養状態が最終的な身長に大きく影響します」
身長が伸びる時期は決まっている。僕がこれからどれだけカルシウムをとってももう背は伸びない。成長期に飢えていたら、大きくなれるはずがない。要するに身長は遺伝子のタイプと、その遺伝子がちゃんと働く環境が相まって決まるということだ。当たり前といえば当たり前の話ではある。
「加えて平均よりも身長が高いことを予測するのと、突出して高い一人を予測するのは難易度が全く違います。190センチを超える個人を誕生時にピンポイントで的中させることは不可能です。まして、モデルの資質は最も複雑な器官である脳に関係しますよね。もちろん、脳の性質の中にも遺伝率が高いものはありますが。例えば……」
「そうだね。脳に関わる性質としてIQはかなり遺伝率が高い。七割が遺伝だ」
「待ってくれ。知能なんてそれこそ生まれた後の学習が関係するんじゃないのか?」
「……不都合な真実を教えよう。知能と遺伝子の関係は年齢を追うごとに高まるんだ」
ルルはそういって沙耶香を見た。沙耶香は少し躊躇したが、僕とルルを見て吹っ切れたように口を開く。
「きわめて単純化した場合の話ですが、勉強すればするほど本来持つ資質が発揮されるのだと考えられます。自分の持つ
つまり、誰でも勉強により知能は上がるが、その上限は生まれつきの要素が大きいということか。凡人にはつらい現実だ。
「もちろんIQは平面知性に近い指標だ。意識はそれを組み合わせた立体知性だ。単純な頭の良さよりも突出した芸術的才能なんかに近い。まあIQと相関はするけどね。君みたいに高い方が確率は上がる。すそ野が広いほど山は高くなれる」
「いや、僕は平凡だぞ」
「君は自分の知能テストの数字も知らないのか。ボクたちと話が通じる時点でもう普通じゃないんだよ」
ルルがため息をつき、沙耶香は控えめに頷いた。
仮に僕が上位10パーセントだとしても、目の前にいるのは100万人に一人とかそう言うのだ。だからこそ才能格差ではなく才能超格差なのだから。まあ、高峰沙耶香にニューロトリオンの資質がほぼないんだから、知性だけで決まらないというのは理解できる。
「ルルさんや白野さんの話を聞く限り、モデルの資質は意識や世界観と関わる複雑なものでしょう。しかも発現する確率が低い上に、発現まで時間がかかる。遺伝学的にはゲノムデータを用いてモデル候補を選出するのは難易度が高い性質だと言えます。私なら次にやることは逆です。実際に様々な才能や資質を開花させた後の集団からの逆算です」
「つまり、特定の性質を実際に持った人間集団に目を付けている。そういうことだね。それも、これまでのモデルとは違う、あるいはあまり重視されていなかった集団ということか……」
「はい。そこから新しい遺伝子のタイプ、SNPsを見つけることが出来れば、今度はそれをもとに生まれた時にモデル資質を予想する精度が上がるはずです」
「なるほど。もしそれがDPではなくNT《ニューロトリオン》にかかわる遺伝子であればルールブック、ボクたちにとって脅威となる情報ということになるね」
ゲノム情報と実際の人間の資質という反対方向から情報を絞り込む。具体的にはどうやるのか見当もつかないが、ルルは何かに気が付いたように、テーブル上に両手をかざした。
「遺伝子情報ではなく人間の集団に焦点を当ててシンジケートの情報を調査する。…………データのマイニングアルゴリズムを調整して…………。なるほど、なるほどだね。このプロセスさえわかれば……」
ルルの手の動きに合わせてホログラムが激しくその形を変える。まるで情報という粘土をこねているようだ。やがて、その動きがピタリ止まった。
「財団が、ある特定の職業集団の人間に目を付けている兆候を検知した。財団を中心とした情報の流れが、明らかにそういったベクトルを持っている。それも、NSDの研究結果が出た後に新しく始まった動きだ」
結論は僕にも分かるような形で出た。それは、複合的な情報収集と分析という僕の提案の勝利のはずだった。だが僕はその勝利を呪うことがある。まさにピュロスの勝利だ。
時代がかったテーブルの上に現れたホログラム、半透明の動画にはサイバーなコスチュームを纏った男女がいた。男女は二つのボックスに分かれて激しく体を動かしている。二人の動きはその中央にある仮想のバトルフィールドに投影されていた。
それはつい一週間前に僕と沙耶香の
僕は思わず沙耶香を見た。彼女は深刻な表情でそれを見ている。
なんてことだ、一回だけ登場するだけのはずのNPCからシナリオが生えた。TRPGなら面白いシナリオの条件だが、現実のそれは最悪だ。
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