第7話 プレデビュー戦

 高い天井から照明が会場を照らす。中央に特別なホログラムフィールドが設置されたスタジアムは収容人数が二千五百人を超える。VAの観戦の多くがコグニトームを通じてなされることを考えると堂々の規模だ。客席の埋まり具合は五割に届くかといったところ。


 僕は千数百人の中の一人として最前列の二つ後ろの席に座っていた。大衆の中に紛れるどこにでもいる一人。密偵としての重要な資質スキルは自前で所有している。ただしそれは一人だったらの話だ。


 隣に座る切れない女子大生を見た。僕の視線に気が付いた高峰沙耶香はこちらに顔を寄せて「どうしました?」と聞いてきた。周囲の視線を感じる。恋人役のロールプレイとして適切なものなのだが、いかんせんそのAPP《みりょく》によりしっかりと目立ってしまう。


「知り合いがこんな大きな舞台で試合っていうのがちょっと実感がわかなくて」

「そうですね。古城さんは前座の前座だと笑っていましたけど」


 高峰沙耶香はそういって合わせてくれるが、本人はつい一月前に学会で大勢の科学者を前に発表しているのを僕は知っている。


 もっとも、古城舞奈の言葉にかんしては完全に謙遜というわけではない。これから始まる試合はプレデビュー戦だ。練習生の顔見せを正規試合の前座の前座として行うという趣旨だ。ちなみに正規試合はタイトルホルダーへの挑戦権を掛けたリーグ戦、前座は来期リーグへの予選だ。VAは囲碁や将棋に近い形式をとっているらしい。


 そして、そのチケットが僕と高峰沙耶香、つまり古城舞奈の認識の中では恋人同士の二人に送られてきたというわけだ。


 練習生に分配される招待チケットなど本来はないらしいのだが、古城舞奈が僕たちのアドバイスで所属を決めたという話をしたらしく、事務所の代表である麗奈氏から二人分のチケットが提供されたというわけ。義理堅い話だと思う。


 ところが僕たちの事情は複雑だ。何しろ財団がVA選手に目を付けている可能性を知ったところだったのだ。


 チケットが渡り船のそれと考えたのはルルだ。タイタニックの乗船券だというのが僕の意見だ。結局、財団の動きについて情報収集は必要であり、特に僕たちの関係者である古城舞奈が財団に目を付けられる可能性があるなら、それを把握しないことはリスクが高いという結論になった。


 『サヤカと“ヤスユキ”は試合を観戦していればいい』といったルルの言葉が呪わしい。


 照明が落ちた。


 中央のホログラムフィールドがその光によりその円形の形を浮かび上がらせた。『朝比奈有希 vs 古城舞奈』というアナウンス。フィールドの左右にふくらみを帯びた円筒形ポットが上がってきた。左のポッドには茶色の髪の毛を前髪の一房だけ赤く染めた小柄な女性選手。我らが古城舞奈だ。対戦相手である長身の金髪の女性選手だ。経歴を見るとタイトルホルダーも所属する最大手のVA事務所の練習生らしい。


 中央のホログラムフィールドに二人の姿が投影された。


 レオタードのようなコスチュームは体のラインがはっきり見える。特徴的なのは体に幾筋もの蛍光色のラインが描かれていることだ。朝比奈有希が青、古城舞奈が赤と色は違うがパターンは全く同じだ。二人とも薄型のバイザーを被っている。


「あれがセンサーなのか」

「体表の微弱電流を信号に変えるようです。ポッド内で選手の三次元上の位置情報と加速度を取得して、床と合わせて物理的な重心などの計算、それを中央のホログラムのアバターに投影するという形式ということです」

「なるほど。狭いポッド内の動きで移動を処理しているのか。で、バイザーに互いの相対的位置などの情報がフィードバックされるというわけだ」


 ファイティングポーズを取った二人が同時に地面を蹴った。バトルフィールドの床に赤と青の大きな波紋が両選手の足元から広がった。


 交差する二つの立体アバターが目まぐるしく位置を入れ替える。誤解を恐れずに言えば人間の体をコントローラーにした格闘ゲームということになる。だが、ポッド内で本物の肉体が動く躍動感にはアスリートの美を感じさせる。


 どれだけ技術が進歩しても、人間は生身の肉体があることに魅力を感じるということだろう。


 試合開始から、赤の古城舞奈が積極的に仕掛けて、青の朝比奈有希はそれを巧みに受け流している。舞台装置やコスチュームに比べると地味な攻防が続いている。


 だがよく見ると試合の進行に伴い、二体のアバターにそれぞれ表示されている二つのゲージが変化していく。上の緑色のバーはディフェンスポイント。これは分かりやすく言えばゲームのHPだ。ゼロになれば負け。ルール的に言えば、実際の肉体が激突するわけではないのでポイント制ということだろう。


 舞奈のHPが八割残っているのに対し、有希のHPは五割を切りそうになっている。ここだけ見れば舞奈がはっきりと優勢だ。


 だが、したの紫のゲージを見ると違うものが見えてくる。これは実際の格闘技には決してない特徴だ。いわばMPだ。


 相手の攻撃を防いだら紫色のバーが溜まっていく。つまり、攻撃を続けてHPを減らすか、それとも守勢に回ることでMPをためるかという駆け引きがあるのだ。そして紫のバーを見ると有希は舞奈の倍はある。そして、これがある程度溜まってからが、本番なのだ。このMPはホログラムフィールド上で様々な効果を発揮できる。


 古城舞奈が先に動いた。ポッド内の舞奈が右手をスナップさせるように握ると、それを地面についた。


 新体操選手のように舞奈の体がボットの中で空中に舞うと、ホログラムの舞奈の体が人間の限界を超えた高さに飛び上がった。同時に彼女の手に光る剣が現れた。舞奈が真上から有希に振り下ろした架空の武器は、彼女の両手に現れた手甲のようなものに防がれる。


 有希の足が跳ね上がり、空中の舞奈の胴を薙ぎにかかる、舞奈は剣を手放し辛うじて右手で防ぐが少なからぬダメージを受けている。本格的な攻防の開始に会場が湧いた。前の席から「練習生同士の試合のレベルじゃないな」という声が聞こえる。


 ただ、明らかに相手の方が試合巧者だ。今の一連のやり取りで、舞奈が有利だったHPの差が縮小したのに、MPに倍の差がついた状況は同じだ。おそらくだが、試合の流れは青、つまり朝比奈有希の想定通り。僕の予想ではここからどんどんまなが不利になっていく。


 ただ僕は試合の勝敗より気になっていることがある。それはVAという競技自体の性質だ。


 架空のイメージと実際の自分の体の両方を認識して統合する。もしこの二人がルールブックを使えたら間違いなく僕よりも強いだろう。それは決して僕たちにとって嬉しいことではない。


 高峰沙耶香がどう考えているか聞こうと思って隣を見た。だが、彼女はそれどころではない様子だった。攻防の度にびくっと体を震わせたり、友人が攻撃を受けると目をぎゅっとつぶったりしている。


 今は観察に集中して分析は後にしよう、彼女の意見はその時聞けばいい。そう考えなおして前を向いた時、試合が動いた。朝比奈有希が動きを止めたのだ。古城舞奈が迷わず地面を蹴った。棒立ちの体に、赤い矢のような攻撃が迫る。


 非現実的な光景が生じた。青いラインのアバターが一瞬で消えた。次の瞬間、金髪の髪の毛が古城舞奈の背後に舞うように現れた。相手のMPゲージががくんと減っていた。


 ホログラム上の位置だけを変化させた!?


 金髪選手の視線の先には古城舞奈の体がたたらを踏むんでいた。手すりに置いた右手に突如柔らかい感触がした。高峰沙耶香の手が僕の手をぎゅっと握っていた。


 古城舞奈が体をひねったのが見えた。野生の勘で危機を回避する野良猫のようなその動き。だが、必殺の一撃は小柄な体を薙いだ。半分近く残っていたHPが一気に一割を割り込んだ。

 辛うじて相手に正面を向けたものの、次々と襲い掛かるラッシュが襲う。辛うじて直撃を避けた古城舞奈の体がポッドの壁に押し付けられた。首筋を薙ぐような蹴りの軌道が迫った。


 赤いアバターのバーがゼロになったのは、完全なタイミングだった。壁を蹴った舞奈は相手の最後の一撃をごく自然な動きで回避して、頭上を取っていた。


 素人目に見ても流麗な動きだった。相手の体がその場で消えようとしたその瞬間。その眉間に一撃が打擲された。正中線上の急所を打ち抜く攻撃。次の瞬間消えた相手の体は、同じ場所に崩れ落ちた。


 片手を地面について、そのまま回転する舞奈。赤の勝利を告げるアナウンスと同時に、着地しようとした彼女の足もとで、円形の波紋が歪んだ。舞奈はそれに足を取られたように、転んだ。


 右手に爪が食い込むような感触が僕の右手の甲に走った。






**********

ここまで読んでいただきありがとうございます。

次の日曜日は投稿をお休みさせていただきます。

来年の投稿は1/8(日)からの予定です。


それではよいお年を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る