第6話 三つのインテリジェンス(1/2)

 シンジケート『財団』が前回のセッションで僕たちが関わったNSDという遺伝子にかかわる何らかの人体実験を準備している。その実験がもし成功したらニューロトリオンの存在にシンジケートが気付きかねない。ルルが掴んだ財団の行動は確かに脅威だった。


 だが、それでも僕は慎重な姿勢を崩すつもりはなかった。僕たちの置かれている状況はとてつもなく厳しいのだ。


 僕は立ち上がり部屋の端に行く。そこには昔ながらの黒板とチョークがあった。ルルや沙耶香の近未来技術ホログラムに対して手書きアナログというのは、実に僕らしい。


「反対の理由を説明するために、まず現時点での僕たちの立場を確認したい。僕たちの最大の優位性は『ルールブック』の存在だ。次がルルが内側からシンジケートの情報を入手できること」

「そうだね」

「その通りだと思います」


 二人が頷くのを確認して、続ける。


「だけど、この二つの優位性は僕たちの存在がシンジケートに知られただけで失われる。僕たちにとって最優先は、自分たちの情報の秘匿だ。今回の財団の動きはルールブックの根幹、NTの存在に財団が近づきかねないという意味で確かに大きな危険だ。だけど、これはあくまで可能性のはずだ。一方、僕たちが動くことでシンジケートに僕たちの存在が漏れる可能性もある。いや、何らかの情報は必ず伝わると見るべきだ」


 密偵(ロールプレイ)勢として言わせてもらえば、情報というのは基本的に双方向性を持つ。僕たちが財団の行動を知ろうとすると僕たちの痕跡、つまり情報が財団に伝わるということだ。偵察するとは、偵察されることだ。


「ルールブックの使用。インビジブル・アイズの盗聴。自分たちを超えるDP能力が存在するという情報はその痕跡すら、財団が企んでいる実験よりも多くのNTに関する情報を与えてしまう可能性がある。もちろん、この中の一人でも捕まればそれで終わりだ」

「君の言っていることは理解した。だけど、何もしなくてもじり貧だよ。以前言ったようにシンジケートがいずれNTの存在に気が付く可能性はあるんだ。それまでに可能な限りルールブックを強化する必要がある。その為には君のキャラクターのレベルアップが一番有効なんだ」


 自分がテストプレイヤーであることを突き付けられる。プレイヤーである僕が自分の身を守るためには、キャラクターとしてロールプレイをするというリスクを取らなければならない。それがこのTRPG、Rules of the Deeplayerの世界設定だ。本当によくできているよな。


「だからこそ、前回のセッションでも君のロールプレイに任せた。だからこそ、シナリオに関してはボクが作る。これがプレイヤーとGMの役割分担というものじゃないかな」


 痛いところをついてきた。確かに、前回の最後のバトルが無ければ、シンジケートに渡る情報は本当に最低限になったはずだ。探索だけで引き揚げていれば、シンジケートは自分たち以外に何かが存在する、という可能性すら気が付かなかっただろう。


 だけど、それがTRPGのプレイヤーとGMの関係だと決めつけられては困る。


「いや、単発シナリオならともかくキャンペーンとなればGMとプレイヤーはシナリオについても一緒に考えるべきだ。言い方を変える。情報の秘匿に関して可能な限り対処した体制を整えるべきだ。シナリオ開始前に」

「ふむ。当然、君はその体制に関して意見があるわけだね」

「ああ、僕の考えではシナリオを開始する前に複合的な情報収集と分析をする。この三人で」

「今やってることがそれのつもりなんだけど」

「もっとちゃんとってことだよ。これに関しては僕もこの一週間考えてみたんだ」


 手に取った現実のノートを開く。半透明のノートが視界に現れる。粉っぽい質感まで感じられるチョークを動かして三つの単語を書いた。


・SIGINT:秘密通信の傍受

・OSINT:公開情報の調査

・HUMINT:人間を通じた情報収集


諜報インテリジェンスには情報源ソースに応じて三つの種類があるんだ。これが参考になると思う」


 『SIGINT《シギント》』は通信シグナル諜報インテリジェンスの略だ。暗号化された情報通信を傍受して内容を獲得する。要するに盗聴だ。


「ボクがインビジブル・アイズに対してやっていることだね」


 ルルが両手を広げる。正方形のテーブルにホログラムスクリーンが立ち上がった。どうやら今回の案件に関わるインビジブル・アイズの情報が流れているようだ。


「確かにルルのDeeplayerへのアクセスは強力なSIGINTだ。だけどそれだけじゃ足りない。次のOSINT《オシント》はSIGINTとは反対に、誰でも見られる情報を対象にする」


 『OSINT《オシント》』は公開情報オープンソース・インテリジェンスの略だ。元々は一般人がSNSに投稿した写真などを集団で分析した結果、軍事大国の戦争犯罪を特定してしまったことで有名になった。とはいえ、現在ではコグニトームによりこれらの情報は整理統合されている。だから僕はもう少し広い意味で、この概念をとらえる。


「例えばセッション1の蛍光タンパクのデータベースや学会の要旨集も一種の公開情報オープンソースだ。誰でも見ることが出来る。だけど、そこから意味のある情報を得るためには専門的な知識が必要だ」

「つまり、私の役目ということですね」


 沙耶香に頷く。彼女には専門知識のアドバイザー以上であってもらう必要がある。


「となると最後のHUMINT《ヒューミント》がヤスユキということだね」

「そう僕……いや僕のキャラクターの仕事だ。HUMINTは人間の頭の中にある情報を扱う。昔の刑事の聞き込みみたいなイメージだ」


 古臭く見える手法だが、情報は人間の脳が作り出し、それが外に出るまでは本人しか知らない。IDと姿を偽装できる僕の“キャラクター”による直接接触が必要になることは多いだろう。前回のセッションで僕、いや黒崎亨がやったことはこれだ。前半は……。


「この三つの情報源とその分析を複合させることは、僕たちの絶対条件である情報の秘匿にもつながる。例えばルルがインビジブル・アイズから秘密情報を引き出せることは強力なSIGINTだけど、もしもそれだけで全ての情報を獲得しようとしたらどうなる?」

「かなり無理をする事になるね。シンジケートに露見する可能性は高まるだろう」

「同じことはHUMINTにも当てはまる。IDを偽装できても僕自身が捕まれば終わりだ。一方、OSINTは誰でも見ることのできる情報を対象にするからその危険性は少ない。ただし、シンジケート相手には筒抜けの上に、ニューロトリオン関連は検知される可能性がある。だから、ルルのSIGINTの逆用での隠蔽と組み合わせる必要がある」


 僕はSIGINT、OSINT、HUMINTの間を矢印でループさせる。


 今思えばセッション1ではこの三つが上手くかみ合っていた。でも、それは半ば偶然だ。次からはシナリオ中ではなくシナリオ前から意識的にこの分担を機能させるべきというのがこの数日間の結論だ。


 事前準備は最大限にというのが本来の密偵ぼくのプレイスタイルだ。それがあればこそキャラクターとして運命ダイスに身を委ねられるというもの。少なくとも、これがプレイヤーとしての僕のスタイルだ。TRPGでは、だけど……。


「なるほど。理にかなっていると認めざるを得ないね。じゃあこういう【ルール】はどうかな」


――シナリオ開始は三人の同意を必要とする。ただし例外として三人の誰かが直接の危険にさらされた状態を除く――


 ホログラム上に表示されたルールブックに『脚本シナリオ会議』の項目が付け加わり、文章が記された。たった一文だが、僕達が情報秘匿という意味で一蓮托生であること。そして、複合的な情報収集と分析が保証される。何より、拒否権があるのがいい。


「いいと思う」

「サヤカの意見は?」


 僕が頷くと、ルルは沙耶香に聞いた。沙耶香は少し考えて、口を開いた。


「私も賛成です。それで、今の話ですが、私の知識でシンジケートのやろうとしていることを少し明確化できるかもしれません。あくまで一般的な遺伝学ジェネティクスの手法にかんがみてですが」

「ジェネティクス。つまりシンジケートのモデル選別に関して、サヤカが分析できる可能性があるということだね」


 沙耶香が言った。ルルが応じた。一般的な遺伝学というものが存在することを一般的に人は知らないだろうな、と僕は思った。三人の力を合わせて情報を分析しよう、その僕の提案通りに自体が進んでいるはずなのに、何だこの置いていかれる予感は?

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