幕間 DLOS
リアルタイムの市場データを前に、特許ポートフォリオを広げ、地球各所に存在する科学者、工学者、デザイナーを組み合わせるチームを運営など、彼らにとって日常だ。その仕事場がコグニトームと連結した架空の空間に位置することは自然なことだった。
そして今、葛城早馬も己がプロジェクトを進めるために架空の世界にいた。ただし、彼が存在するのは通常のそれとはかけ離れている。
世界の深層にして真相、シンジケートの幹部クラスだけが利用可能な執務室だ。この力一つだけで、シンジケートは人類の支配者たり得る。だが、彼らにとって重要なのは超人類への階段を上ることであり、シンジケート派閥同士の競争に勝利することだ。
人類というモルモットを支配する手間すら惜しい。搾取する価値すら怪しい。ただ実験には必要だ。
葛城早馬の架空の視界には一つの立体模型が映っていた。財団の中央研究所から提出されたある遺伝子のものだ。先日バイオイメージング学会で発表された蛍光タンパクVoltの中央、DNAにして150塩基、アミノ酸が50ほど連なった小さなドメインだ。
報告書にはこの短い
生体内に組み込み可能なDPCの開発はシンジケートの重要目標だ。DPに反応する遺伝子、ディープフォトン・センシティブ・ドメインはその為の部品になりうる存在だ。
「ただし、このドメインのDPに対する
早馬は一人頷いた。元々、遺伝子断片に関連した学会発表にインビジブル・アイズが導き出したレーティングはコモンにすぎない。問題は、それでは説明のつかないことが学会後に起こったことだ。
この情報を隠蔽するために財団は、というよりも彼はだが、ある若い女性科学者を拉致すべくモデルを差し向けた。だがモデルは
この遺伝子断片の情報を守ろうとした以上、何か重要な秘密が隠されていると考えなければならない。
「軍団か教団においてDPC開発に革新的な発見があり、この遺伝子はそれに関わる。アンノーンの用いたDPCの性能も、それを用いてまで隠蔽を測ろうとした理由も同時に説明がつく。ふん、財団にとっては極めて憂慮すべき問題というわけだ」
DPCは航空機に例えればエンジンだ。高い馬力のエンジンを持つということは、単純に同じ速度なら重装甲や重武装にできるということであり、同じ装甲や武装なら高い速度を出せるということだ。エンジンの馬力は航空機の最高性能はもちろん、設計の幅や性能の安定化のための余裕も格段にアップする。
ただでさえ三派閥の中で最も小さな財団がDPCで一世代、あるいはそれ以上おいていかれることは致命的と言える。ただし、それを口にした早馬の表情に感情はない。まるで、それは計画の為の一条件にすぎないかのように。
「この遺伝子断片の力を
実験室で申し分ない性能を示したサンプルが、生体内で全く効果を発揮しない。これは医療研究では日常茶飯事どころかほとんどがそうだ。ましてやDPCは人間の脳という宇宙で最も複雑な存在中において機能する必要がある。
今回の遺伝子断片が人間の脳内に組み込まれたら力を発揮するという逆の可能性はある。いや、そうでなければアンノーンが固執した理由が分からない。
「
早馬は傘下の科学者に指示する。結果はすぐに戻ってきた。遺伝子配列とはATGCの四種の記号列であり、この遺伝子断片に似た配列を人のゲノム内に探すことは容易だ。同時にその配列の周囲のデーターから、その遺伝子がどのような分子科学的なネットワークの中にあるのかも、シミュレーションされている。
最後の問題は人類には個体差があるということだ。それはコグニトームの中で最も厳重なセキュリティーで守られているはずの個人情報だ。無論、インビジブル・アイズの前にはその障壁は存在しないも同然である。
人類の1パーセントを超えるゲノム情報と、そのゲノムの持ち主の詳細な属性の膨大なデータから。結果が表れた。ある新しいスポーツ競技の選手たちだ。
実験に使うモルモットの条件は整った。後は適切な個体を探し出すことだ。だが、その前にやることがある。
早馬はインビジブル・アイズのアクセスコードをオリジナルのそれに戻した。そして、ある連絡先につないだ。
「軍団の調子はどうかなアメーリア。何かびっくりするような新発見があったとか?」
「あったとして言うと思う?」
「まさか」
画面に出たのはサングラスで目を隠した二十代半ばの女だった。『軍団』の階級で言えば佐官クラス。つまり早馬と同じくその年齢以上の地位と、その地位より高い野心を持つ人間だ。
「要件を。DPを無駄に出来ないでしょ」
「財団から対教団の共同作戦の提案が行っているはずだ」
「そうね。金額は悪くないけど、上が納得するにはあと一押し必要ね。私たちの兵士は精鋭だもの」
「こちらで最適の被験体を探し出す。もちろん、将来その被験体から得られる情報も共有しよう」
上ではなくお前の手柄にするには、だろう。そう思いながら早馬は顔色も変えずに返した。
「……いいわ、それで何とか押しましょう。準備が出来たら連絡を。それで、あなたの目的は?」
「あったとして言うと思うか?」
「まさか」
通信はその短い言葉で切れた。
早馬はUesugi傘下の施設につなぐ。細い手足を持った痩せすぎの男が空間に現れた。DLOSとつながる男の頭部の光は、彼がモデルであることを示している。
「検体の受け入れの準備は出来ています。夜間の検査スケジュールに――」
「その報告は既に受けている。施設の監視体制に強化を加えたい。周囲に近づくDPC《モデル》に目を光らせろ。どれだけ小さくてもDPC反応があれば検知できるように。それが教団であれ軍団であれだ」
「警戒範囲の強化と微細な反応であっても対応は問題ありません。ただ、今回のプロジェクトは軍団との共同作戦と聞いていますが」
「まだ成立してない」
向こうにとってもこちらにとっても、という言葉は早馬の口からは出ない。部下は必要な事だけを知ればいいのだ。蜘蛛のような男は一礼して消えた。
「準備は出来たな」
一人になったDLOSで早馬は呟いた。このプロジェクトの最大の目的は被験者よりもプロジェクトに対する軍団と教団の反応だ。彼の見立てでは、この
例えるなら、財団が必死にレシプロエンジンの改良を続けているとき、軍団か教団がジェットエンジンの開発に成功した状況だ。たが、その試作段階の
前回のアンノーンの行動強度を最も適切に説明する想定だ。すなわち、アンノーンが軍団か教団かを見極めることは最も重要だ。それが新世代DPCに繋がるのだから、この遺伝子の断片がどういう意味を持つかはおのずと明らかになる。
すなわち、このプロジェクトそのものがリトマス試験紙だ。
これが彼にとってのパズルの解き方だ。パズルを解ける人間はいくらでもいる。大事なのは誰よりも早く、そして確実に解くことだ。
「では、シナリオを開始するとしようか。私が勝利するゲームの一ステップとして」
その目に現実の光景、東京湾を望む高層ビルからの、を映しながら早馬はうそぶいた。
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