第4話 日常復帰

「コグニトームの法的根拠となるのが『エサギラ条約』です。この国際条約の加盟国が選任したコグニトーム評議会が運営の最高機関であり、日本では担当大臣が……」


 セッション1から三日後の正午前、僕は何とか動き始めた体と頭を大学の講義室に置いていた。平凡な大学生としてあるべき姿、日常を取り戻したのだ。あいにく講義内容が先日の非日常を思い起こさせるものだけど。


「条約によりタワーは大使館に匹敵する保護を受け、行政機関も許可のない立ち入りが禁止されています。さらにタワー自体、タワー間の通信、そしてタワー内部のデータへの攻撃は加盟国全体に対する攻撃とみなされます」


 東京湾にそびえたつコグニトームタワーを背景に説明が続く。条約加盟国が国連の九割を超える上に、タワーはすべて創造経済の割合が大きな先進国にあり、コグニトームを攻撃することは実質的に世界経済からはじき出されることを意味する。事実上の人類の敵だ。


 だから現代社会は安泰で安全、公平ではないかもしれないが公正ではある。つい先日まで認識していた世界設定だ。


「厳格に保護されるタワーですが、だからこそ設立時に問題になったのは記録される情報でした。特に議論になったのは個人の生体データです。ですが、暗号化されたデータを契約に基づき復号化するという自動契約スマートコントラクトはこれまで十数年間、システムとしての漏洩は一切起こさず。迅速かつ効率的であることが証明されました。特に医療関係の効率化は大きく、わが国でも破綻寸前だった健康保険の再生と健康寿命の大幅な増加が達成されています。今では、コグニトームに病名を書き込めば本人が病気になるとまで言われています」


 笑えない冗談に講義室が湧くのが少し煩わしい。どれだけ厳密な法制度を作っても、素晴らしい技術で保護しても、裏側からアクセスできる。しかも、存在しないことになっている異能モデルを罰する法律はない。


 むしろコグニトーム自体がシンジケートの掌にあるのだ。この二日間自分からコグニトームにアクセスしなかったのは寝ていただけでなく、無意識に自分の存在を隠したかったのかもしれない。


 今考えるとやはり頭が働いていなかったな。完全な悪手だった。最善はこれまでと同じ行動パターンを維持することだ。そういう意味では、いつも通りのこうして講義を聞いているのは意味があることか。


 気休めにもならない。そもそも僕がセッション1に参加した理由は情報収集、ルルの言葉の裏取りだったのだ。目的は達成された。『シンジケート』と『モデル』、そして『ニューロトリオン』と『ディープフォトン』の実在、ルールブックの設定に嘘は見つからなかった。初心者の僕が曲がりなりにもシナリオをこなせたということは、僕に資質があるというのも事実なのだろう。何しろ勢い余って戦闘シーンまで体験してしまったからな。


 だが、相手は世界を支配しているといってもいい存在、それこそ邪神クトゥルフ級だ。しかも、この邪神はGMの制御を受けない。ゲームマスターと邪神クトゥルフのどちらが強いかというのは一大神学論争だ。


 TRPGなら敵が圧倒的なのは当たり前、その中でどうやって未来を創造するかがプレイヤーの腕の見せ所だ。だが、現実となれば話は別。現実を舞台にした超高難易度TRPGのプレイヤーである事実はあまりに重い。


 今思えばなんであんな無謀なロールプレイをしたんだ。密偵キャラは三枚目役、ヒロイックは似合わないんだよ。アフターシナリオのデートも今考えれば赤面物だ。


 プレイヤーの意思を尊重するというルルの約束を確認は出来たとは言えるか。今僕が地下の秘密研究室で改造人間モデルへの手術中でないことから、シンジケートを出し抜いてシナリオ運営を成功裏させている。当の本人が病床でいわば監禁の身である状態で。


 シナリオも、仮にTRPGだったら面白かったと言えないことも……。


 脳裏に浮かんだ非現実的な考えに慌てて首を振った。ホログラムを前に講義をしていた教官が、怪訝そうにこちらを見た。あわてて顔を伏せる。騙されるな。あんな超高難易度のシナリオにしれっと放り込んだんだぞあのGMは。


 とにかく間違いない事実は、今の僕はキャラクターじゃないということだ。直接手出しされない限りは何もしないことが最善。仮に今も邪神復活の儀式が進行中で、その生贄モルモットリストに載る可能性が高くても出来ることなどない。


 将来の危険には目をつぶり、日常を謳歌するのが平凡な大学生として正しい人生ロールプレイだ。


「最後の大規模なコグニトームへのテロ行為は、八年前のインドのタワーによるものであり、その結果コグニトームと各国の軍事情報機関との連携が強化されました。現在でもコグニトームに対するテロを企むさまざまな思想背景の集団が存在していると言われますが、その多くが計画段階で阻止されています」


 中央のホログラムに治安部隊に襲撃されたテロ組織の秘密基地が映っている。壁に着いた弾痕と床の茶褐色の染みが生々しい。以前なら旧時代の狂信者が掃討されたことに安心したかもしれないが、今の僕にそんな素直に世界は映らない。


 もちろん、そこにいた人間達は十中八九、旧時代の狂信者だろう。だがこの基地が僕の部屋にならないと誰が言える? ルルの病室、沙耶香のマンションになったら?


 …………確かに、今の僕は黒崎亨キャラクターではない。


(だけどプレイヤーではある……)


 TRPGはプレイヤーとマスターで作り上げるもの。マスターが次のシナリオを練るなら、プレイヤーはロールプレイに必要な準備をする。キャラクターは冒険セッションと冒険の間も生きている。何より、自分プレイヤーの目で客観的に自分キャラクターを見ることが出来る。


 それこそが最高のゲームを作り出すために必要なこと。それが僕のプレイヤーとしての信条だ。


 ……仮に今がセッション1と2の間だとしたら、僕は何をしていた?


 次に起こることを予想し準備する。例えばロールプレイに必要な資料を集め、読み込むなどだ。ゲームを効率よくクリアするためでもマスターを出し抜くためでもない。ただ、その舞台において最高の自分であるロールプレイために。


 ゲームではなくシビアな現実ならばこそ、この時間を無駄に費やすことは許されないのではないか。このゲームが情報戦であり、シナリオ開始前の準備こそが次の未来セッションを決めると考えればなおさらだ。


 ルル、沙耶香、僕はシンジケートと戦う情報戦パーティーでもある。チームを最大限有効に機能させるためにはどうすればいいか。それが次のシナリオとロールプレイの精度を上げ、僕たちの生存率を上げる。


 重要なのは各人の役割分担ロールだ。セッション1で俺……僕たち三人は期せずしてうまく連携したといえる。あれの精度を高めることが出来れば?


「コグニトームにより世界の情報基盤は劇的に変化し、以前の世界とは全く違う公開された情報による発展こそが……」


 とにかくやるだけやってみよう。僕は凡人だが、ロールプレイの準備に手を抜いたことは一度もない。


 講義が終わるや、僕は立ち上がり、足早に講義室を後にした。



 大学図書館の中央には本棚に囲まれた五角形のスペース、総合歴史コーナーがある。分野ごとに人類の歴史の流れに沿って纏められた書籍が集められている。世界史や各国、各地域の歴史はもちろん、経済分野なら通貨の歴史や会社の歴史、哲学や心理学の歴史や、軍事の歴史などもある。


 要するに人類社会の歴史の流れをいろいろな角度で学ぶためのコーナーだ。これは総合教養大学ならではと言える。


 総合教養大学は古い分類でいえば文系大学だ。その目的はSEAMの最後、つまりマネージメント(M)人材の育成。科学者サイエンティスト工学者エンジニア芸術家アーティストといったSEAが専門分野に特化するのに対し、Mは多様な知識を学ぶことで専門家のチームを組織するための人間力を陶冶する。


 つまりSとEが未来、Aが現在ならMは過去。これが組み合わさることで、バランスの取れた社会の発展が成される。創造経済の謳い文句たてまえだ。


 もちろん建前は建前である。実際は大学の歴史系の講義はガラガラであり、チーム管理やプレゼンテーションなどの講義は一杯だ。総合力なんて一朝一夕で身につかないからな。MだろうとSだろうとエリートはスピード重視だ。


 だが、平凡な学生にはそれなりのやり方がある。ある歴史コーナーから何冊もの本を取り出した。そして、自転車をこいでアパートに帰った。


 アパートのちゃぶ台に借りてきた本を重ねた。これらはいわゆる諜報の歴史である。比較的最近充実したと言える。コグニトームにより各国で多くの情報組織が解体された。本来秘されてこその諜報が、いわば歴史むようと化した結果、その知識や内情が開放されたのだ。


 今僕が読んでいるのは、元公安キャリア官僚の著作物だ。実に生々しい。こういうのが密偵キャラのロールプレイに役立つのだ。


 複数の組織、人間の知識を集める。情報を飲み込み咀嚼し、そしてノートにまとめていく。知識を取り込むにつれて頭の中の諜報の世界イメージがどんどん広がる。それが頭の中に納まりきれない臨界点に来たら次はそのイメージを収縮させていく。知識と知識が勝手に関係を作る。ある知識と別の知識が同じ知識の両面だと解ったり、二つの異なる知識が一本のラインによってつながる。


 頭からあふれそうになった知識がぎゅっと濃縮され、世界は鮮明になっていく。そこにまた知識を詰め込み、イメージを膨張させる、やがてそれがまた収縮を始める。点の知識が線の知識に、面の知識に、そして立体の世界になっていく。


 楽しい。とんでもなく脳に負荷をかけているのに、集中力が切れる気配が全くない。TRPGのサプリメントを作るってこんな感じかもしれないな。そうだ、僕は今RoDの諜報サプリメントを作っている。


 …………。


「……ますか……さん。……香です。……【リンク】のテストと連絡の為に……」


 あたまに響く声で目が覚めた。いつ落ちたのか記憶がない。テックグラスに表示される日時を確認する。土日の二日間ほぼ部屋に籠っていたようだ。顔を上げると髭だらけで二三歳老けて見える顔が黒いディスプレイに映った。机の横には図書館帰りにスーパーによって買いだめした食料の残骸がある。


「……こういう時は「今あなたの脳に直接話しかけてます」と言ってくれ」


 僕は約一週間ぶりの彼女にいった。

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