第3話 恋人認定

 携帯を取り出したJKは画面に流れるように指を這わせた。そして、リングで認証している。警察に通報。つまり、俺は彼女のテストに不合格。彼女の本命は大手事務所だったということか。


 だが、何の躊躇もなくとは、俺はそんな致命的な失敗ロールプレイをした覚えは……。


 そんなことを考えている場合じゃない。高峰沙耶香にフォローしてもらうか、いやルルに通信の妨害を頼む方が……。俺が対応に迷った刹那の間に、全てを終えた古城舞奈は携帯の画面をこちらに突き付け、小悪魔チックに笑った。


「マネージメント、麗奈さんのとこに決めちゃいました」

「…………おいおい。今のってそういう話だったか?」


 目の前に示された画面には、レイナVRAMとの契約完了のコグニトーム認証があった。通報ではなく、オファーへの回答だったのか。心臓に悪いことをしてくれる。


 そもそも、今のはあくまで俺のテストだったはずだ。なんで、自分の将来に大きくかかわる決断をしてるんだ?


「麗奈さんがオファーの時私に言ったことを知ってますか? 「VRアーツの未来スタイルを作り出すために貴方の力を貸してほしいんだ」です。本気で言ってるのは分かったけど、意味がちゃんと解ってなかった。なのに、まるで知ってるみたいに見抜いちゃうんだもん。それに」


 古城舞奈は隣を見た。


「高峰さんずっと白野さんのこと信頼してるみたいだったし。あーあ、これは、認めるしかないなーって」


 JKはそう言って肩を竦めた。そして次の瞬間、前髪の赤い一房がテーブルを撫でた。


「いろいろ失礼なこと言って、本当にすいませんでした」


 礼儀正しく頭を下げた古城舞奈。テーブルの下で組んでいた足は解かれ、ぴったりと揃えた膝の上に両手を置いている。さっきまでの生意気なJKの姿は完全に吹き飛んでいた。ロールプレイでも始めたのかってくらいの変化だ。


「口を出す立場じゃないってことは分かってました。でも、高峰さんが危ないかもって思ったら何とかしなくちゃ、って」


 つむじが見えるほど下がった頭。わずかに見える頬は赤く染まっている。自分の行動が無理筋だったことは自覚していたらしい。自分の間違いに気が付いたというよりも、間違っていたら恥をかく覚悟だったということだろうか。


 沙耶香は確かに優秀で綺麗な割にお人好しなところがある。そんな彼女が大学に入るや恋人を作った。相手は明らかに釣り合わない上に、耳に飛び込んできた会話が「君とのことは全部遊び」だ。最低な男に誑かされている初心な友人を前に、手段を選べなかったということか。


 僕たちが言っていた「遊び」がTRPGのことで、関係が偽装だなんて彼女に解るはずもないことを考えれば分からないでもない。もうちょっと方法を模索してくれれば、僕も肝が冷えないですんだんだけどな。


「僕たちも誤解を招くようなやり取りをしてたしね。解ってくれればいいんだ」

「それじゃ私の気が済みません。お詫びに何をすればいいか言ってください。何でも、とは言いませんけど出来るだけのことはします」


 年下に「じゃあ、飲み物の一杯でもおごってもらおうか」というわけにもいかないし。そうだな、この子が恋人役の大事な友人であるということを前提にロールプレイするなら……。


「わかったじゃあ、こういうのはどうかな」


 僕が耳打ちするように言うと、神妙な表情だった古城舞奈がぱっと顔を上げた。


「わかりました。じゃあ、取って置きのがあります」

「古城さん。あの、あんまり変なことは……」


 そして、高峰沙耶香が目に見えて狼狽えた。


 …………


「これは今みたいに放課後のお店でのことでした。クラスの女子五人で、コスメの話で盛り上がっていたんです。やがて話はその場で一番白くてきめ細かな、そう抜けるような肌の女の子がどんな化粧品を使ってるかってことになったります。さて、彼女は何て言ったと思います……」


 古城舞奈がまるで怪談でも語るように声を低めた。僕は思わずつばを飲み込んだ。


「あ、あれは、皆さんが肌の細胞のターンオーバーを気にしていたので、その化学物質……化粧品が一時の効果と引き換えに将来的にもたらすリスクがあるという話です。最近の老化研究では若い時からの幹細胞への影響の蓄積が将来的に与える影響が証明されているので」


 そして高峰沙耶香は狼狽えたように釈明を始める。その釈明が聞いてる俺達には半分も理解できないことが、全てを物語っていた。


「で、白野さん。その理科の課外授業後の空気がどうなったと思います」

「うーん。ちょっと想像したくないかな」


 僕は僕には到底釣り合いそうにない彼女役の艶やかな髪と、抜けるような白い肌を見て言った。ある意味ホラーより怖い。


「そうなんですよ。言ってることは多分正しいんだと思うんです。でもですね、メイクなんて最低限なのに、誰よりも綺麗な子にそんなこと言われたら」

「ああ、むしろ良くフォローできたね」

「そりゃ、新学年になって初めてのクラス女子の顔合わせみたいな場ですよ。絶対不味いって思って」

「古城さん、その話はもう……」

「でも、私たちが仲良くなったきっかけじゃない。そうそう、高峰さんも努力したんだよ。二年生の終わりごろには卒業しちゃうのをみんな残念がるくらいだったくらいだったんですから」


 なるほど“俺”の前に現れたときの高峰沙耶香は素人相手にも分かりやすい説明をしてくれた。そりゃ、最初からあれが出来るわけじゃないよな。その成長を助けたのはこの生意気なJKだったのかもしれない。


「まあ、それでも男は苦手みたいだったんだけど。でも、そんな高峰さんもこうして晴れて彼持ちなんだよね。うーん、やっぱり大学生ってすごいですね」

「大学生とかじゃなくて、白野さんは特別だから」

「うわっ、のろけられましたよ私。まだ付き合い始めてからそんなに時間たってないですよね。出来る人って言うのはまあわかったけど、ホントどうやってこんなに懐かせたんです?」

「ははは。それは二人だけの秘密だ」


 そんなにどころか、会ったのは昨日だ。ちょっと特別すぎる半日を過ごしただけで。


「でも、高校生の時に言っていた男の人の好みと、白野さんってちょっと違うんですよね。二年生の修学旅行の夜にそういう話になったんですけどね。確か理知的で優しくて、まではいいとしてあと一つは……」

「あれは何か言わないとってことになって、だから……」

「ええっ? どうしようかな。私お詫びしないといけないし。白野さんは聞きたいですか?」

「興味ないって言ったら嘘になるね。でも、そういうのは野暮ってものだろう」

「むう。大学生の余裕ですか……。ああそっか!!」


 古城舞奈は何かを思いついたようにニヤリと笑うと、口の横に手を当てる内緒話のポーズになる。


「白野さんは自分が高峰さんの初めての男だって解ってるから余裕だったり?」

「ぶほっ!!」

「こ、古城さん!?」

「あれあれ? まだそういうところまではいってない。もしかして案外大事にしてますか?」


 動揺する僕たちを面白そうに見ていた舞奈が笑った。ついさっき僕を未成年に対する条例で脅したのはどこにいった。っていうか、なんで大学生が二人で高校生に翻弄されてるんだか。


 …………


「ええっと、後は……。あっと、いけないもうこんな時間だ。ごめんね高峰さん、彼との大事な時間を取っちゃって。あの白野さん。改めて今回は失礼しました」

「いや、約束通り色々と面白い話を聞かせてもらったからね。ええっと、僕が言うのも何だけど、これからも沙耶香のいい友達でいてほしい」

「もちろんです。白野さんもよろしくお願いします。次は白野さんから高峰さんとのこと聞いちゃおうかな」


 やめてくれ。JKの恋バナ判定ロールをクリアするなんて一体どれだけのカバーストーリーを作らなくちゃいけないんだ。


 窓の向こうから俺達に手を振って去っていった古城舞奈。彼女の姿が見えなくなった後、僕と高峰沙耶香は毒気を抜かれたような顔を見合わせた。


「嵐のような子だったな」

「古城さんは自分の感情にまっすぐで。だから男女問わず人気がありました。私もそんな彼女にたくさん助けられたんだと思います。ちょっと強引なところはありますけど」

「いい子だってのは分かったけど。ちょっと強引っていうのは控えめすぎる表現じゃないかな」


 僕がそういうと、高峰沙耶香はくすっと笑った。


「でも、そんな古城さんが白野さんの言葉は素直に聞いてました。それどころか白野さんのアドバイスに従って進路を決めて」

「いや、あれは彼女自身の選択だけどね。少なくとも最後の行動は全く読めなかった」

「そこまで不自然じゃなかったですけど。お話はとても論理的でしたし。それに、古城さんのことをちゃんと考えてあげて。やっぱり白野さんは私の思った通りの…………。あの、白野さんとしてはあれもロールプレイですか?」

「ああ、頭の中で黒崎亨になっていた。流石に命がかかってる状況じゃないから精度は落ちてたと思うけど」

「…………」

「ええっと、どうしたの高峰さん。なんか顔がこわばってるんだけど」


 笑顔だった高峰沙耶香が、『目星』に成功したせいで正気度が下がりそうなふつごうな事実に気が付いてしまった探索者、みたいな表情になっている。


「…………あの、私たち古城さんには恋人同士として認識されましたから。これからはさっきみたいに沙耶香って呼んでもらった方がよくないでしょうか」

「僕たちの関係はあくまで偽装なわけで。まあ、ロールプレイ上は確かにそうした方がいいけど」

「そうです、それに私の恋人役だということにしておかないと心配というか……」

「心配? さっきの古城さんのことか? そうそう会うことはないと思うけど」

「そうじゃなくて、私だけじゃなくて他の子にも同じように――」

「まった。ルルから連絡だ」


 テックグラスの表示に気が付いて高峰沙耶香を止めた。送られてきたのはメッセージではなく、高速バスのチケットだった。首謀者RMのくせに古城舞奈の警告の後ずっと沈黙していたルルだが、ちゃんと役目マスタリングはやっていたようだ。


「どうやら偽装の方は上手く行ったみたいだ。ええっと、何の話だったか」

「いいえ、パートナーとして私がもっとちゃんと白野さんのことを知らないと、という話です。少し自分に都合よく解釈しすぎていたかもしれないと気が付きましたから」


 予定通りの出発時刻を確認した後、改めて意図を聞く。高峰沙耶香は少し慌てたように首を振ると、一転して危機感をもった表情で答えた。


「僕の能力に対する過大な期待を訂正してくれるというのなら。これからも一緒にゲームをしていくには相互理解は大事だからね」

「はい、そういう所も含めてちゃんと理解するようにします。古城さんが言うには、恋愛は女の子のゲームだそうですから」


 高峰沙耶香は神妙な顔でそう言った。僕のゲームと彼女のゲームの間に、何らかの齟齬が感じられる。ただ、いつもよりも少し幼く見えるその表情は……。


 …………


「それじゃあ……沙耶香。また次に会える日を待っているよ」

「はい、私も楽しみにしています」


 バス停で、何とか最後のロールプレイをこなした僕は、バスに乗り込んだ。律儀に手を振る高峰沙耶香の姿が見えなくなったところで座席に沈む。


 改めて二日分の疲れが押し寄せてきた。現実での冒険アドベンチャーは二度と勘弁して欲しいというのは本音だ。偽装デートも例の古城舞奈ファンブルのせいでずいぶんと綱渡りだったし。


 ただ最後の方、古城舞奈にからかわれて女子高生にもどったような恋人役には、少し参った。普段はその研ぎ澄まされた美貌と才能というエリートオーラで、別世界の存在と感じることが多かったのに、まるで手の届くところにいる女の子のように感じてしまった。


 もしもこれがゲームじゃなかったら……。


 いや、そんな考えは無意味だ。この超高難易度のTRPG《ゲーム》が無ければ僕と彼女に接点などあったはずもない。そして何より、次に彼女と会う時はまたシリアスな、いや下手したらハードボイルドな状況シナリオになるのだろうから。

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