第1話 デートⅠ(2/2)

 自分がごく普通の人間であることを正直に告白した僕に対して、高峰沙耶香は心から困惑しているという表情になってしまった。


「ええっと、つまりシンジケートに悟られないように、あえて普通の振りをしていると」

「違う。全く持って全然違う。今の僕が本物なんだよ」


 中二病患者指定を全力で打ち消した。だが、彼女は難病患者を前にした医者のような困った顔のままだ。


「ルルさんと私で認識が一致したことがあります。昨夜の状況では私のことは見捨てるべきだったということです。でも、黒崎さんは自分の身を挺して私を守ってくれました。平凡な人の行動ではないと思います」

「君たちは何に同意してるんだ……。じゃなくて、そう『黒崎亨』はそういうキャラなんだよ。僕とは全然違うんだ」


 今日会ったばかりの他人のために命を張る、そんないかれた人間が現実にいてたまるか。いや、別にいてくれてもいいんだけど、それは“僕”じゃないのは確かだ。


「でも、同じ人ですよね。黒崎さんも白野さんも」

「そりゃ、二重人格とかじゃないけどね。でも、あれはロールプレイというか……。そうだな、あの時の僕は自分のことをそういう人間だと思い込んでいるんだよ」


 これはヤバいな。冷静に説明しようとするとめちゃくちゃ痛い奴だ。昨夜のいかれたヒーロー気取りよりも『正気度』が危うく思えてくる。具体的に言うと中学二年生くらいの正気度だ。


「そうだ、VRゲームは知ってるよね」

「はい。VR中の脳の活動パターンを研究した論文を読むために、いくつか観戦しました」


 相変わらず知っているの定義が無駄に学術的フレーバーだ。でもこれで説明はしやすくなった。


「VR上のキャラクターは魔法が使えたり、格闘の達人だったりする。でも、それを操作している人間が魔法を使えたり、武道の達人だったりするわけじゃない。そういう感じだ」

「あの、昨夜の戦いは現実でしたけれど」

「ああ、そうだな、あれはスキルのおかげというべきだね。体をバリアみたいなので覆ってたから」


 HPがあるうちはヒーローの演技ロールが出来ても、かすり傷一つで凡人に戻りかけた。ちなみにそんな俺の正気、いや狂気か、を取り戻させてくれたのは当の彼女の行動だ。


「実際に傷ついていました。血も流れていて。それにバリアというのが無くなった後も、私をかばって毒を……」


 高峰沙耶香は僕の腕をじっと見る。シャツの裾から昨夜の傷跡がのぞいていた。実は、少し痺れが残っている。


「反射みたいなものだよ。ほら、何も考えずにとっさにってあるだろ」

「…………学会での取材はどうですか。ルルさんから実際のことを聞きましたけど、あれはほぼ科学の問題でした」

取材たんさくね。ええっと、それこそ高峰さんの助けがあればこそだっただろ。……例えばだけど、高峰さんがあのハンドアウトを知っていたと考えてほしい。君は簡単に答えにたどり着いたはずだ」


 ハンドアウトを一読しただけで「わかりました。この学会の分野とこの数字なら、考えられることはGrowGrassとColRoseのFRETです」という彼女を容易に想像できる。開始直後に探索終了だ。安楽椅子探偵もびっくりの速さで。


「私は専門家です。でも、あなたは明らかにそうじゃありませんでした。自分がスパイだと思いこめば、初めて踏み込んだ分野で難しい問題を解けるんですか? 何も知らなかった状態から二、三時間でですよ」

「ええっとそれは……。そう、ロールにも得手不得手がある。僕の場合ああいうスパイ的なキャラが得意なんだ。科学ではなくて、クイズゲームをやってる感じだ」

「一般的にはそれが出来る人間のことを頭のいい人間というのではないでしょうか」

「それがいつもできれば、そうだろうね。だけど違うんだよ」


 まるで僕が何か深刻な勘違いをしていると言わんばかりの高峰沙耶香。天才女子大生に頭の良さを褒められてもなあ、というのが僕の感想だ。


 確かに、昨日の僕は色々冴えていたとは思う。だけど、本当の現実であんなふうに動けたら世話はない。現実は複雑でシナリオのような明確で単純な目的は設定できない。現実の僕はそんな膨大で複雑な情報、そして無限の選択を前に立ちすくむだけだ。


 誰だってノイズのない環境なら全力を発揮できる。だが、それが本当の実力であるはずがない。


 高校の時のTRPG仲間に「白野の本人プレイヤースキルはキャラクターの時にしか働かないのか?」なんて言われたことがあるくらいだ。


「では、私のことを助けようとしたのは? ルルさんは止めたんですよね。あなたの意志ではないのですか?」

「あれは黒崎亨キャラクターの信念の問題だ。ちなみに僕自身には現実の信念なんてないから。成し遂げたい目標とかそういうのはないんだ。例えば、君みたいに意識の謎を解きたいとか、そういう立派なやつはない」


 昨夜のはロールプレイとしてもいかれていた。普段の“俺”はあんなヒロイックなスタイルじゃない。ヒロイン役のAPPに当てられたわけでもあるまいに。大体、僕のヒーロー願望はゼロだ。そういうのはそれこそTRPG《ゲーム》の中だけでいい。


「やっぱり理解できません」

「じゃあ実際みてどう? 今の僕は昨日とはだいぶ違うだろ」

「そうですね。確かに今の白野さんは昨夜みたいな頼りになる男の人って感じじゃ……あっ。えっと」


 高峰沙耶香は思わず口を押えた。僕は笑顔を作って応じる。


「こっちが本物なんだ。いや、あっちの時だって気を付けないとロールプレイが崩れる」

「でも…………やっぱり納得できません。百歩譲って昨夜のあなたが演技だとしても、演技しているあなたはいるはずです」

「どちらも脳が作り出したキャラってこと?」



「そうです。黒崎さんも白野さんも、どちらもあなただとしても。その中心に本当のあなたがいるはずです。例えば【y=x^2】という方程式があるとします。x=1の時は答えは1です。でもX=10なら答えは100になります。アインシュタインの相対性理論の方程式のように、日常とはかけ離れた状況で答えが大きく変わる場合もあります」

「……状況によって答えは違っても、その答えを作り出す方程式は一緒で、その方程式が本当の自分ってことかな。言ってることは分かるけど、この場合は方程式自体が違うと思うんだ。いや、昨夜の僕はその違う方程式がバグって異常値まで出た感じかな。あれは文字通り緊急事態だったからね」


 黒崎亨キャラクター白野康之プレイヤーではなくて、黒崎亨と白野康之という二つのキャラクターを操作している本当の自分プレイヤーがいる。そういいたいらしい。


「私は人間の本質というのは、危機の時に出ると思っています。昨夜のあなたが本質だったのではないでしょうか」

「いやいや、じゃあ今それを否定している僕は誰なんだ? 圧倒的にこの僕である時間の方が長いんだよ。というかほとんどずっとこっちなんだけど」

「私は今の白野さんにも同じような本質があるのではないかと思っています。以前、私がメダルを取った後のことです。周囲の反応は大きく変わりました。以前のままでいてくれた、いいえ居ようとしようとしてくれた人ですら少しでした」


 まあ、彼女のように優秀で将来多くの富を得ることが間違いない人間、しかも美人とくれば解らないでもない。葛城早馬は、そのなかで一番危険だったということか。


「僕はメダルを取る前の君を知らないからね。最初から君の能力に圧倒されてるんだよ」

「さっきも言いましたが、そうじゃないことくらい話していればわかります」


 なんで今の否定された?


「そもそも、あなたは私に恩を着せる様子が全くありません。それどころか、私の悩みを理解しようとしてくれて、私の意志を尊重すると言ってくれました」

「そりゃ僕はロールプレイを重視するからね。TRPGのロールプレイは、自分じゃないキャラの意志をどう演じるかなんだ。なら、自分だけじゃなくて他人の意志も理解しなくちゃいけないし、それを尊重するのは道理だろう」

「ええっと、私が言っているのはそういうことだと思うんです。やっぱり、昨夜のあなたは間違いなくあなただと思います」

「いや、本人が違うと言ってるんだけどね。あれはあくまでロールプレイだよ」

「そのロールプレイを重視するあなたはどちらですか? 黒崎さん? それとも白野さん?」

「……えっ、ええっと、そうだな…………それは……。いや、だからそれはあくまでTRPG《ゲーム》に関わる時の話であって、現実とは違う話だよ」

 RoDが仮想と現実を跨ぐおかげで本当にややこしい。でも、そろそろ納得してくれてもいいと思うんだけど。確かに、一緒に強大な敵に立ち向かう仲間が頼りないとは思いたくないだろう。だけど、過大評価が一番まずい。


「とにかくあれはゲームだから」

「じゃあ、私とのことは全部遊びだったってことですか」

「そうだよ。何度も言うけど僕にとってはゲームだ。君とのことも全部ゲームの一環だよ」


 キャラクターとプレイヤーのはざまを突かれ、反論に窮した僕は思わす語気を強めてしまった。高峰沙耶香もそれに反応するように声のトーンを上げた。二人の視線がテーブルをはさんでぶつかった時だった、


『問題発生:周囲を確認すること』


テックグラスに赤い警告の表示が出た。僕は弾かれたように左右を見た。


 周囲の耳目がこちらに向いているのに初めて気が付いた。席の前を通りかかった制服姿の女の子なんか、驚いて立ち止まってしまっている。


 先ほどの一連の会話が他人にはどう聞こえるか思い至る。「君とのことは遊びだった」と女の子に言い放つ男。満点みたいなクズロールプレイとそれに騙された女の子。


 二人が親しいことを設定するためのイベントとしては、やってることが正反対だ。ただでさえ、APP的に不釣り合いなのに、これは目立つ。


 浮かせていた腰を席下ろし、設定上の恋人に「今の言い方は誤解を招くね」と言い訳をしようとした。だが、高峰沙耶香は唖然とした顔のままで、席の前に立った女の子に視線を向けたままだ。


 ちゃんと状況を把握しろと言わんばかりに、ルルの警告の点滅が激しさを増した。警告が目の前に立っている女子高生を指していることにやっと気が付いた。


 栗毛のショートカットの、前髪の一房だけを赤く染めた気の強そうな女の子は、僕に軽蔑の視線を突き刺した後で、向かいで固まったままの高峰沙耶香に話しかける。


「なんか面白い話をしてるね、高峰さん」


 まさかの知り合いの登場、よりによってこのタイミングで遭遇表ファンブルだと!?

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