第1話 デートⅠ(1/2)

 渋谷駅の近く、大量の人が行き来する交差点の横にある三角形の小さな緑地。待ち合わせ五分前にホテルから到着した僕は鏡に自分の顔を映しながら、IDを確認する。『白野康之しろのやすゆき』という二日ぶりの現実の自分だ。


 本当の自分がいつもより頼りなく感じるのは、これからのシナリオの難易度のためだろう。そんなことを考えた時、交差点の向こうに若い女性が立った。遠目にも美人と分かる彼女は俺を確認すると、横断歩道ホログラムゲートを小走りで近づいてきた。


「あの、どこかおかしいでしょうか」

「…………とてもよく似合っているよ」


 無言で突っ立っている僕の前で、彼女は慌てたように身だしなみを確認している。

 なお、自宅に戻って偽装工作デートに相応しい服装へんそうをしてきてくれた彼女は、足早に行き来する周囲の人が思わず振り返るほど魅力的な姿だ。


 袖の短いブラウンのサマーニットと、ひざ丈のベージュのラップスカート。落ち着いた同系統の色の上下でそろえた服装。本来高校生である彼女の年齢を考えれば少し大人びた装いが、可愛いよりも綺麗よりの彼女にとてもマッチしている。


 彼女だけを切り取れば、ドラマの一シーンに見えるだろう。この娘と一夜を共にしたことが、改めて信じられない気持ちになる。まあ、一夜といっても毒が抜けるまで延々と悪夢を見ていたというのが実際なのだけど。


 ちなみにその前の命がけの救出劇とバトルは僕にとっては黒崎亨という架空のキャラクターのやったことだ。


「ありがとうございます。ええっと、黒崎……白野さんは……。やっぱり昨夜よりも若く見えますね」


 女優顔負けの女子大生は、少し困ったように言った。褒めるところが無かったのだろう。


 こちらはコンビニで買ったワンコインのワイシャツと、ホテルの設備で大急ぎで乾燥させたために裾がよれたスラックスだ。道行く人も彼女の麗しさに目を止めた後、側にいる男との落差にぎょっとするのが分かった。


 APPはともかくとして、服装はもう少し考えるべきだったかもしれない。


「それで、これからどうするのでしょうか?」

「あ、ああ。ええっとだね。まずは腹ごしらえをしようと思うんだ」


 高速バスが出発する夕方六時まで約五時間、この子の彼氏ロールなんて務まるのかという不安を振り払い、プランを説明する。プランといっても僕が決めたことは、とにかく無難に乗り切ることだ。


 このシナリオの第一目標は、白野康之と高峰沙耶香が親しい間柄であるという『設定』を作るためのアリバイ工作だ。デート技能スキルは初期値の僕が、複雑なプランなど作っても失敗するに決まっている。ただでさえ美女APP18を連れての偽装工作なんて目立つのだ。


 僕が指さしたのは、向かい合うように立つ三角のビルだ。『渋谷グランドバレー』というショッピングモールで、若者の街の復活を掲げた再開発の中心として作られた。こういう施設を活用すれば、きっとそれっぽいシーンになるはずだ。


 …………


 十分後、ランチタイムの喧騒が一段落したという感じの午後一時ニ十分の店内に僕たちはいた。IDリングを上げると、緑と黄色にカラーリングされた円筒が近づいてくる。情報リンクで蟻の群れのように連携して働く群体ロボだ。


 注文後、迅速ファーストに戻ってきたロボの頭のトレイを取り彼女の前に差し出す。エスコートを気取っても様にならない。辛うじてハンバーガーからサンドイッチに変えたが、ファーストフードに変わりはない。


 ボックス席に向かい合って、無言でそれぞれのサンドイッチを食べる。彼女は蒸し鶏のマスタードソースで、こちらは牛肉のハンバーグだ。


 言い訳すると、この店はこれから行う作業に合わせたチョイスだ。適度に人目に触れて、誰も他人を気にしないこの手の店が適しているという判断であり、決して思考停止ではない。選択肢が多いほど、目利きが試されるという現実リアルに対応できなかったわけではない。


 …………


「じゃあ打ち合わせを始めよう」

「打ち合わせ? ですか」


 高峰沙耶香は小首をかしげた。なんでサブマスターがシナリオの前提を把握してないんだ?


「ええっと、この打ち合わせの目的は二つ。一つはRoDに関しての高峰さんの考えと役割の確認。もう一つは、僕の実際の状況の説明だ。つまり、これから同じテーブルを組む者同士の理解を深める」

「そうですね。私も黒……白野さんのことをちゃんと知りたいと思っていました」

「あ、ああ。そうだね、これから協力していくなら大事だ。何しろ、僕たちは昨日初めて会ったんだから」

「そうでしたね。いろいろなことがありすぎて忘れていました」


 平凡な大学生と天才女子大生が半日で超難解な科学ミステリを解き、バトルを乗り越え、夜にはもうベッドインである。……頭のおかしいGM《マスター》が考えたシナリオの尻ぬぐいだよな、これ。


「じゃあ一つ目。高峰さんは今後NPC兼サブマスターとして参加するんだよね。『サブマスター』っていうのはどういうことだろうか」


 NPCはわかる。要するにセッション1の『お助けNPC』としての彼女だ。この超高難易度ゲームの性質上、次のシナリオも専門用語フレーバーテキストに溢れる可能性は高い。専門家の存在は重要だ。


「私には『ルールブック』を使う資質はないそうですから、実際にシナリオ、が始まった時に処理の一部を担当するということです。具体的には“黒崎”さんとの連絡ですね」


 なるほどTRPGのサブマスターだ。NPCを演じたり、戦闘などで処理の負荷が大きいときに分担したりする。RMであるルルはDeeplayer偽装やインビンシブル・アイズの監視など多忙であることを考えれば必要な役割だ。


「連絡はどうするの?」

「ルルさんと相談して【リンク】だけは出来るようにしたいです。これに関してはキャラクターではなくてプレイヤーに属するスキルだそうなので。本物と違って声だけの性能の落ちるものになると思いますけれど」


 ふーん、脳科学に詳しいとそいうことも考えられるんだね……。


「な、なるほど。サブマスターのことは分かった。そうだね、高峰さんが参加してくれるのは心強いよ」


 僕は改めてそう言った。予定通りだ、TRPGと考えればちゃんと話を進められる。現実でこれをやれば、せっかくのデートで自分の趣味の話ばかりするという、例の従妹殿のいう「最低のオタク男子」だが、これはふざけたことに現実なので問題ない。


 僕と違って輝かしい未来が約束されていた彼女だ。特別な“普通の生活”への未練は大きかっただろうから、ここはやはり感謝すべきだ。


「よかった。黒……白野さんの足を引っ張らないように頑張りますね」


 僕を見る高峰沙耶香の瞳に、再び不安が持ち上がる。君が僕の足を引っ張る? あるとしたら逆だろう。


 やはり、彼女には昨日の黒崎亨オレが本来の僕と似ても似つかないことを理解してもらわないといけない。あんないかれた思考と行動をする人間が実際にいるわけがないのだ。


「ええっと、じゃあ次は僕のことだ」

「そうですね。白野さんの普段のこと、私はほとんど知らないわけですから」


 なぜか眼を輝かせて僕を見る高峰沙耶香。そこは不安になるところだと思う。私のパートナー、APPとINTだけじゃなくて信用も低すぎ、という感じの不安と不満を持つのがSEAM《エリート》として正しいロールプレイじゃないか。まあ、そんな人間じゃないのは知ってるけど。


「といってもあんまり話すことはないんだ。何しろ、平凡な大学生だからね」


 僕は自分が総合教養大学の学生であること、でありながらマネージメントの資質がないことなどを説明した。念を入れて、これまでの何もない平凡な人生を語る。飛び級とか国際的な科学賞とか、もちろん特許とか、そういう特別なことが何もない普通の人間だ。


 何しろ従妹どの曰く「康兄のいいところって、何かいいところがないか考えた時、普通に良い人だよ、って迷わず答えられるとこだよね」と言われたくらいだ。まあ、今の場合に限っては目の前のパートナーが特殊すぎて、大抵の人間は普通の男になるわけだが。


「白野さんがどこにでもいる普通の大学生……ですか?」

「そう、趣味がTRPGってくらいかな。で、そのおかげでRoDのテストプレイヤーに選ばれたわけなんだけどね。いや、ルルもどうしてまた僕なんかを選んだんだか」


 流石に失望されたかもしれない、そう思って恐る恐る向かいの才色兼備の反応をうかがった。だが、高峰沙耶香は心から困惑しているという表情になっている。

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