セッション2 『三毛猫を探せ』

0話 軌道上の会議

 半分が照らされた地球を見下ろす透明な円盤。

 コグニトーム・タワーをリンクする衛星映像を統合することで作られたスカイドームを背景に、クリスタルのような円筒に座る十二の人型アバターが並ぶその光景は、ある種の神々しさを放っていた。


 もちろん、十二人の男女は実際には世界各地ちひょうに存在している。この大げさな場は遠隔会議テレワークである。


 違う点は二つ。一つは、ここにいる十二人は本当に軌道上に集まる事も不可能ではないだけの財力を持っていること。二つ目はこの仮想空間がコグニトームというデジタル地球を“見下ろす”高みにあるということだ。


 深層ネットワーク《Deeplayer》。完全に秘匿された情報通信は宇宙会議室より特権的だ。シンジケート『財団』の執行役員ボードメンバー。それが彼らの素性である。


 あるものは巨大ファンドの支配人、あるものはコグニトーム運営を請け負う巨大技術企業ビックテックの創業者。タワーに収まるコンピュータの主要特許を所有する知財管理組織の理事長がいると思えば、世界的なNPOのトップもいる。

 莫大な資産を持ち、今も秒単位でそれを増加させているメンバーたち。黄金の砂時計をもって測るべき時間を費やして十二人が一堂に集結している理由は文字通り、その寿命じかんの延長の為だ。


 どれだけの富を積み重ねても死ねば無に帰す。成功とその成果を積み上げ、それを雪だるま式に増やす仕組みの上に座っても、彼らが生物学的には人間であるという事実は変わらない。


 埋葬されるときの棺が木製か黄金製かに興味を持つ者はこの場には一人もいない。


 寿命の増加、老いの逆転、人類を超える知的身体的能力。それはどれだけの富を蕩尽するにも値する目的だろう。この理屈をひっくり返せば、彼らにとってどれだけの富も十分ではないことを意味する。


 まさしく“命”のかかった人生の最重要課題プロジェクトである。その命の定義が一般人と違うだけだ。いや、むしろ手が届くかもしれないからこそ渇望が生じる。


 今、彼らはその重要極まりないプロジェクトに生じた問題イレギュラーを協議していた。


「先日の記録を改めて確認したい」


 議長の言葉と共に、エリートの円卓が地上に向かって降下した。極東にある島国の首都上空だ。彼らにとっては管理下のタワーの一つを置いていると言った方が通るだろう。


 高いビルに囲まれた広い緑地。その中にある池に浮かぶ小島には、赤く靄がかかった領域がある。シンジケートがモデルを用いた特別な活動、実地試験をする場であることを示している。

 DPF《ディープフォトン・フィールド》はコグニトームから遮断され、その上DPは通常の観測装置には検知されない。DPが高濃度で散布された空間は、DP用の観測に対してもノイズとなるため中で行われていることを知るのは困難なのだ。


 通常は問題にならない。なぜならDPFの中には彼らの実験動物モデルが存在し、その脳に埋め込まれたDPCにより実験結果は観察、記録されるのだから。


「モルモットから取り出したDPC《サンプル》だ」


 公園の映像に被さって表示されたのは漆黒を帯びた球形の物体だ。大きさは小指の先ほどもないDPC《ディープフォトン・コア》。彼らにとっての実験装置だ。今回倒された下級モデルの頭部から回収されたそれは分析の為二つに割られていた。


 断面の電子顕微鏡写真が映し出される。大脳皮質を思わせる層状の立体回路の所々が寸断されている映像に場がざわめく。


「外殻にはいかなる損傷もないにも関わらず、内部は完膚なきまでに破壊されている。DPC内部のDPを三倍以上上回るエネルギーを持ったDPによるものと推測される」

「三倍以上? それほどのエネルギー準位のDPなど考えられん」

「どんな根拠でその結論に到達したんだ」


 議長の右隣に座っている技術幹部の説明に、否定的意見が並ぶ。だが、CTOは首を振る。


「衛星軌道上からの同時刻同地点の観測データが存在する。軌道上までの減衰を考えれば相当の高エネルギーのDPが瞬間的に発生したことは間違いない。三倍というのは下限だ」


 次に映し出された衛星写真には、赤い靄の中で紫の点滅が記録されていた。最後の一際強い一瞬の明滅、赤い霧から吹きだした紫の光条に否定の声が消えた。やがて、一人が手を上げる。初老の老人は財団役員ボードメンバーでは珍しい科学者出身だ。


 大量の税金でなされた己の研究を特許化しぶつかして設立された技術企業の上場によりここに座るだけの富を得た。


「その仮説が正しいとすればあまりに乱暴な運用である。それほどの高エネルギー準位のDPならばアルゴリズムに用いればよい。遥かに大量の物理改変えんざんを実現しうる」


 高エネルギーは高い周波数クロックを、高い周波数は必然的に高い計算能力を意味する。この場合の計算能力は、空間に干渉する力に相当する。彼の言うのは、弾丸から高性能炸薬を取り出して空中で火をつけるような非効率に対する疑義だ。


「確かにその点は説明がつかない。モルモットの回復や解析の進展を待つしかない。ただ、これを行った者にとっても“テスト中”の技術であると考えればどうだ」

「なるほど、だからこそ今回のような下級のモルモットを狙ったとも考えられるか」


 合理的な説明に議場が少し落ち着きを取り戻した。だが、メンバーの表情は先ほどよりも硬くなっている。


「やはり最大の問題イシューは、この実験をしたのが“どちら”であるかだな」

「『教団』あるいは『軍団』が大きな技術的進展を果たしたとなると問題は深刻だ」

「可能性としては教団の『神』のバージョンアップか」

「いや、軍団の『士官メンバー』の直接介入の可能性も捨てきれない」


 財団、教団、軍団。もともと一つだったシンジケートから分かれた三つの分派。その中で『財団』はもっとも劣勢なのだ。研究より資金調達に関わっていたものが多い上に、他の二派と違って『巫女』が稼働していない。さらに言えば、高齢のメンバーが多いため、残り時間も相対的に乏しい。


 高位幹部が苦虫をかみつぶした顔を並べる中、後ろに控えている一つのアバターが手を上げた。


「答えを考えても致し方ないでしょう。重要なのは答えを得るための方法を考えることです」


 白いスーツの若い男に、冷ややかな視線が注がれる。準役員ジュニアパートナーに上がったばかりの男、葛城早馬がここに呼ばれたのは彼の意見が求めらえているのではなく、彼を問責するためだ。今回の案件はこの男がレイティングを独断で上げたことが原因である。


 通常ならば、よりランクの高いモデルの派遣が待たれたはずだ。そうなればDPCの記録の完全破壊などという事態は避けられた可能性が高い。


「具体的に言いたまえ」


 非難の視線を抑えて議長が言った。ちなみにこの若い男を準役員に引き上げたのは、この議長だ。つまり、葛城早馬は議長の派閥の新鋭というわけである。


「最悪の可能性は教団、神のアップデートです。ならば我々同様に危機感をもつもう片方と連携すればいいのです。すなわち、軍団に傭兵の派遣を依頼する。今回の案件で得られたディープフォトン・センシティブ・ドメインの配列による新しいプロジェクト絡みとして」

「……なるほど軍団の仕業なら直接反応を探れる。教団なら我らと軍団が共同して動けば、何らかの反応を見せるということか。方法としては一理あるな」

「だが、軍団があからさまな誘いに乗るか」


 副議長である中年男が初めて口を開いた。言うまでもなく、議長と副議長は異なる派閥に属する。


「交渉はお任せください。軍団が欲しがる利益を提示します。我々が最も豊富に持つリソースです」

「…………なるほど、古来より常備軍は金食い虫と決まっている。兵士ゴリラは大食いだからな」

「よろしい。企画を提出したまえ。審査の後インビンシブル・アイズに登録する」


 議長の言葉に葛城早馬は「早急に」と答え、虚空の会議室からその姿を消した。

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