第19話 戦闘パート(後半)

運動神経周波数向上モーターニューロン・クロックアップ


 運動神経は一本あたり百本の筋繊維に繋がっている。だが、一つの運動神経の興奮により収縮する筋線維はその百本中の半分以下だ。非常事態において、神経が極度の興奮によりタガを外して『火事場の馬鹿力』を出せるのはそれが理由だ。


 運動選手は訓練でその割合を高める。素人との差は単に筋肉量ではなく、稼働率でもあるのだ。この【スキル】はそれを強制的に生じさせる。


 そして【感覚強化センスチューニング】とのコンボにより、強化された視覚と運動能力が今そろったのだ。認識に体が付いてくる、スローモーションだった視界が通常に戻ったようなものだ。


 総動員された脚の筋肉が俺の一歩ストライドを伸ばす。


 疾走する俺に向けて弾丸が発射される。【ソナー】がパッシブに変わったためぼやけた光しか見えないが、弾丸は正確極まりない軌道で獲物オレがいるべき場所に向かい、左右から挟み込むようにはじけた。


 だが、俺の位置は向こうの予想よりも一メートル先にある。相手が慣れた先ほどまでの俺よりも、先に行ったのだから当然だ。爆風に背中を押されるように、前にある樹木の影に走り込むことに成功した。


 これでようやく中間目標しゃへいに到達した。敵との距離は残り半分だ。


 停止していられるのはほんの少しの時間。【ソナー/パッシブ】で敵の狙いを見極める。樹木越しに敵のスレーブコアの動きを追う。照準が右に向かったタイミングに合わせ、左に飛び出す。


 視界が開けた時、俺の目がとらえたのは銃口が進行方向にぴったりと照準を合わせている像だった。スレーブコアからつづく不可視の照準レーザーが、樹木の反対側から回り込む軌道で、俺の後頭部をとらえ、銃口はまっすぐこちらを向いていたのだ。


 それはモデルと俺を頂点とした、半月のような綺麗な形だった。


 暗がりの中、敵の口元が僅かに吊り上がるのが見えた。単にレーザーサイトで俺をつり出しただけではない、予想外だったはずの俺のスピードまでこの短時間で補正してのけた。


 警戒が頭蓋骨を乱反射する。だが、脳は既に足に指令を発送済みだ。脊髄を秒速120メートルで疾駆する信号が足の筋肉を死地へと押し出そうとする。


 俺にできたのはルルの警告を無視して、スキルを強引に切り替えることだけだった。【センスチューニング】【モーターニューロン・クロックアップ】そして【ソナー】をアクティブに。併用できないはずの三つのレベル1のスキルが、レベル2の俺の脳を軋ませた。


 これまでとは比較にならない深紅の光を宿した弾丸がこちらに来る。だが、その照準はほんの少しだけ早すぎた。無理な併用により、途中で切れた【筋力モーターニューロン・クロックアップ】が敵の計算を僅かに狂わせたのだ。


 胴体の中心を射抜くはずの弾丸が、振り上げた右腕に襲い掛かる。


 体を守る装甲【バリア】がはじけ飛び、衝撃が生身に向かう。肌に幾重もの切り傷や火傷が走る。


 【装甲バリア】を抜けたのは僅かなダメージだった。目や耳も無事。敵に肉薄するための身体条件は保たれている。俺の想定の中では最良に近い結果ダイスが出たのだ。


 だが、俺の脚は止まった。痛みの実感に心臓がぎゅっと収縮、背筋が凍った。キャラクターシートに走った小さな亀裂から、本来のプレイヤーが顔を出す。


 ろくに喧嘩すらしたことがないただの大学一年生の身体は、恐怖で硬直する。口が悲鳴の形に開く。敵の銃口が眉間に向かうのが認識されるのに。体は動こうとはしない。


 絶望の瞬間、頭上に光が煌めいた。俺を撃つはずの銃口がV字を描き、上空に向かって跳ねた。パリンという音と共に、煙を引いた円形の何かが俺と奴の中間に落下した。地面に跳ね返ったそれは、軽い音と共に、ガラスの破片をまき散らした。


 地面に転がるそれが、割れたコンパクトだと認識した瞬間、脳にスイッチが入った。


 蓋を開けたコンパクトを後方から投げ、ライトアップの光を反射させて敵の気を引いた。この場で今、それができる人間は一人だけだ。


 NPCが出来うる限りを尽くしてるっていうのに、プレイヤーがゲームを放棄してどうする。こみ上げる悲鳴ボク台詞オレに置き換える。


「この場面では逃げない。この“キャラ”はなっ!!」


 意識が覚醒する。脳がフル回転する。筋肉にブレーキに掛けようとする恐怖アドレナリンを強引にアクセルに注ぎ込む。弾丸を叩きこもうとする敵に前傾姿勢のまま突っ込む。


 敵が銃を構え直した。揺れる照準が真っすぐ突っ込んでくる俺に対して定まった。周囲の空気を巻き込んで、巨大なエネルギーを内包した弾丸がこちらに来る。だが、俺はあと一歩を全力で蹴って、予定通り前方へと身を投じた。


 次の瞬間、眉間に光と衝撃が弾けた。


 頭蓋骨に鋭い痛みが走り、抉られた皮膚から血が噴き出した。


 だが、それだけだ。


 俺が最後の一歩で飛び込んだのはさっきまでの攻防、正確に言えば敵の一方的な射線が繰り返し集中していた場所だ。つまり、DPFが消費され薄くなっている空間だ。弾丸に込められたアルゴリズムがどれだけ強力でも、いや強力だからこそ燃料不足ではどうしようもない。


 ましてや俺の脳はニューロトリオンを絶賛放出中だ。


 モデルは恐れおののくように背後の木にぶつかった。あと一歩で敵の頭に手が届く。そう思った時だった、モデルの体が突っ込んできた俺に弾かれるように、くるりと回転した。


 まさに、体が覚えているという見事な動きだった。俺は一瞬で背後を取られた。敵を見失った本能的恐怖。だが、俺はその瞬間目をつぶった。外界からの光の情報をすべて遮断し、闇に覆われた世界で、背後の不可視の光が最短距離で頭部に迫るのを網膜の裏に捉える。


 体をひねり時計回りに振り返る。正確に追随してきた銃口が俺の眉間を捕えた。そうだ、そういうプレイをしてくれないと。


 俺とモデル、互いに必勝を信じた視線がぶつかる。相手が引き金を引くのと同時に【ブースト】でありったけのニューロトリオンをスキルに注ぎ込んだ。


【ソナー/アクティブ】


 俺の脳からニューロトリオンが眼前の銃口に向かって放出される。


 今まさに弾丸プログラムを打ち出そうとしていた銃身スレーブコアに高圧の異脳粒子ニューロトリオンが襲い掛かる。圧倒的に強い粒子ニューロトリオンが銃身内の弱い粒子ディープフォトンを蹴散らす。


 モデルの腕から頭へ、赤い光のラインを俺の紫のそれが塗り替えていく。その先に在るのは敵の脳内のDPC《マスターコア》だ。


 頭蓋骨の中の赤光の球体は、一瞬強い輝きを放ったかと思うと、その光をはじけさせた。


 金色のピアスが揺れた。信じられないという顔で呆然と俺を見上げる男。必勝のはずのアクションに正確に対応できた理由は簡単だ。DPはあらゆる物質を突き抜ける。俺の脳を狙うことが予想されるゼロ距離のスレーブコアなら、頭蓋骨越しに網膜の裏に捉えられるのだ。


 そしてもう一つ、最後のあのアクションはこいつが現役のゲーム競技者だったときの切り札なのだ。そう、結局のところ俺はこいつを知っていて、こいつは最後まで俺を知らなかった。


 DPCはモデル自身のニューロトリオンからエネルギーを貰って動いている。脳という炉の中で働く蒸気機関だ。俺の最後の、そして唯一の攻撃はモデル自身の脳のニューロトリオンと俺が流し込んだニューロトリオンでDPCを挟み撃ちにすることだった。


 結果、こいつのDPC《サイバーパンク》は内外からの圧力により破壊された。


 相手がふらふらとよろけ、そして前のめりに崩れた。男の頭部に赤い光がないことを確認して、後ろを振り返った。


「いい『投擲』だった。あれがなければ負けていたよ」


 恐る恐るこちらに近づいてくる高峰沙耶香。俺は焦げ付いたワイシャツをまくり上げる。傷ついた腕を伸ばして彼女の手を取った。


「走るぞ。ボート乗り場だ」

「はい」


 高峰沙耶香の手を引いて弁天堂と大黒天を繋ぐ通路を抜け、反対側の橋に到達した。そこからは、背後の戦いが無かったように平穏なボート乗り場の光景が広がる。


 橋を渡り波止場に付く。池に向かってリングをかざすと、一艘のボートが自動操縦で近づいてきた。ボートに乗り込み、高峰沙耶香に手を伸ばす。彼女が身をかがめて船底に足を踏み入れた。


 背後で不可視の赤光が光ったのに気が付いたのはその時だった。弁天島の端で頭を押さえたピアスの男がこちらに銃口を向けている。とぎれとぎれの弱弱しいレーザーが、俺の前にいる女の子の白いうなじを捉えている。


 DPCは破壊した。DPFは抜けた。ただのプラスティック玉で何が出来る? そう思った瞬間、俺の目は銃口の奥に小さく強いDP光を捕えた。


 もしかしてスレイブ・コアが生きている。


 とっさに腕を出して彼女の首を被った。腕に弾が当たった。衝撃を覚悟した俺の脳に届いたのは、指で弾かれた程度の痛みだった。


 力を失った弾が肌を離れる瞬間、口を開けた蛇のようなイメージが立ち上がった。チクリという感覚の後、弾丸は役目を終えたように粉末になり池の水に溶けていった。後方では、モデルが今度こそ力尽きたように倒れるのが見えた。


「大丈夫ですか!?」

「あ、ああ。……何でもないみたいだ」


 腕を確認するが、出血どころか跡すらない。念のためソナーで観察してみるが、かすかな赤い光の染みが吸い込まれるように消えて行くだけだった。マークを付けられたわけでもないようだ。


「とにかく安全地帯に向かう。ボートを出すから掴まって」

「わかりました」


 周囲の楽しそうな男女の中を突っ切り、池の中央、Deeplayerの死角領域を突破する。対岸に着くとボートを乗り捨て、公園の出口へ向かった。来るときに使ったレンタルサイクルを茂みから引き出した。


 ここまでくれば、あとはホテルまで数分だ。


 高峰沙耶香の体重が背中に掛る。これは一種の役得か、なんて考える自分に苦笑した。右手でグリップを掴んだ。わずかな違和感を感じた。


 サイクリングロードを自転車は軽快に走る。走り始めれば、二人分の体重は足には大した負担ではない。だが、俺は進路をまっすぐ保つために努力していた。しびれが片方の腕を上下に広がっていく。その中心はさっきの弾丸が触れた箇所だ。


 いやな予感が脳裏に広がる。だが、敵の監視を掻い潜れるのはほんのわずかな時間だけ、今は考えている余裕はない。




 ホテルのフロントに到着した時、しびれは右足まで到達していた。右半身から滝のように汗が流れる。足を引きずってホテルのフロントに向かう。


 予定通り、部屋の登録は二人に書き変えられている。だが、IDリングによる手続きは途中で中断された。フロントスタッフが近づいてくる。汗だくの俺を見た彼は、心配そうな顔で聞いてくる。


「ご気分がすぐれないのでしたら、お医者様をおよびできますが」

「ありがとう。でも、ああ、うん。そう、大丈夫だ。部屋に……薬を忘れてしまってね。それがあればおさまるんだ」

「しかし。条例によりご病気のお客様は一度遠隔診断を受けていただくということになっておりまして」


 パンデミック以来、宿泊施設には厳密な義務がある。まずい、俺の身体情報がコグニトームを通ったが最後、一発で僕が特定される。言い訳を考えようとするが、焦りで頭が回らない。


「あの、彼用に調剤された個人ゲノム医薬が必要なんです。それが部屋にあるんです」

「左様でございましたか。了解いたしました。何かあればすぐご連絡ください」



 高峰沙耶香の説明にスタッフは納得した。さっきといい、本当に良いロールプレイをする。


 十二階でエレベーターを降りる。俺の脚はほとんど動かなくなっている。高峰沙耶香の肩を借りて部屋に到達した。まだ動く左手の指のリングで、ドアを開ける。


「すまないがベッドまで運んでくれ。言っておくけど下心とかないからな」

「そんなこと言ってる場合ですか。発汗も呼吸も絶対におかしいです。やっぱり医療機関を頼った方が」

「そうだな。俺の意識が無くなったらそうしてくれ」


 ギリギリの状況であることは一番よく分かっている。だからこそ俺の意識キャラがあるうちは最後までロールプレイを続けなければならない。


―Cogito ergo sum―


 キャラクターシートを開く。ぼやける倍色の視界に鮮明な金髪のアバターが浮かび上がった。


「状況はどうなっている。ルル」

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