第19話 戦闘パート(前半)

 周囲には“まだ”人はいる。ただし、さっきから少しづつその密度が減り始めている。右手を歩いていたカップルの女の方が足を止め、瞬きでテックグラスを確認した。そして、男に何か言うと手を引いて上野駅の方に引っ張っていった。


 ちなみに俺のテックグラスにも、ひっきりなしにお得な勧誘が入ってくる。これ自体は良い傾向だ。俺を引き離せると考えているということは、敵に意図がバレていない証拠だ。


 道の向こうから自動販売機の無人補充車がゆっくりとこちらに来る。その後ろには動物園のマークが入ったゴツイ車が並行して走っている。あの中にある檻はどんな動物を運ぶためかな?


「こっちからの方が近いね」


 右手に弁天島に向かう橋が見えた。俺は池の中に続く道を指さした。


 急停止した二台の自動運転車をしり目に、俺は池の中を貫く細い道を歩く。高峰沙耶香は素直について来てくれた。




 俺たちは小さな島に到着した。


 不忍池弁天島。江戸時代に天海僧正が不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島を模して造成したという人工島だ。弁天堂をはじめいくつもの歴史的建造物がある観光スポットだ。


 ライトアップされたその歴史的空間には全く人気がなかった。


 【ニューロトリオン・ソナー】をパッシブモードでオンにする。せっかくの歴史建造物も、隣の美人も灰色になった。同時に、周囲に虹色に変化する小さなリングが舞っているのが視認される。


 まるで空間イルミネーションだ。残念ながら、この法外なコストがかかった演出が見えるのは俺と、そしてもう一人だけだがな。


 弁天堂の前の木に、二つの赤い光点を確認した。若い男が樹木に背中を預けている。金色のピアスを付けた男は、間違いなく学会で見たモデルだ。


「誰もいないなんて、珍しいですね」

「そうだね。まあ、早く抜けてしまおう。ホテルまではもう少しだからね」


 俺は護衛対象の前に立ち、男に気が付いていないように装いながら話す。


 木に寄り掛かった男がさりげなく懐に手を入れるのが見えた。次の瞬間、不可視の光が生じた。まっすぐ伸びるレーザーが俺の眉間に向かってくる。


 弁天堂の境内を舞う七色のリングが、串にささったように一直線上に並んだ。不可視の照準が地面を走り、俺の眉間まであがってきた。男の頭部と左手にある大小の光点にラインがつながる。引き抜いた手にある拳銃の銃口が正確に照準と重なった。


 プシュという低い空気音とともに、赤く光る何かが発射された。


【バリア/アクティブ】


 髪に置いていた左手を前に突き出した。小型円形盾バックラーのような青い光が空中に現れ、飛んできた弾丸と衝突、赤光がはじけた。


「何の音?」


 高峰沙耶香が怪訝そうに左右を見る。赤い光の散乱のなか、落下する黒い弾丸の残骸を俺は認識した。冷や汗が流れた。今のは「ここに撃ちますよ」と教えてくれたから何とかなったが、銃を抜く前から狙いを定めてるなんて反則だ。


「おいおい、こりゃどういうことだ。競合コンペなんて聞いてねえぞ」


 樹木から背を離した男が、俺たちの進路に立ちはだかった。手には黒檀エボニーの拳銃がある。一見モデルガンにしか見えないが、本物よりも高性能なのは先ほど見た通り。


「黒崎さんのお知り合いですか?」

「はっ、尻軽ビッチがナンパに引っかかりやがってと思ったが。どうやら同業者みたいだな。おい女。どうせならこっちに来た方がいい思いできるぜ」


 場違いな彼女の言葉を男は笑い、俺に銃を向けた。


「何を言っているのですか。ふざけているのなら……どういうこと、コグニトームが切れてる。どうして警告もなしにいきなり……」


 高峰沙耶香の瞳にテックグラスの赤い信号がともる。だが信号は点滅してすぐに消えた。


「『教団カルト』か『軍団レギオン』か。さっきのけったいなプログラムはなんだ? それになんでDPCの反応がねえ。どんな隠蔽してやがる?」

「どちらも不正解だ。俺は元|同業者ってところだ。今はこうやってお前らの邪魔をするのを仕事にしている。正義の心に目覚めたってやつだな」

「ああっ、嘘ならもっとましなのを付けよ。逃げたモデルが生きていけるわけねえだろ」


 真実が一ミリも含まれていない台詞は言下に否定された。だが、モデルの表情には混乱も見て取れる。あいつにとって俺が得体のしれない存在であることは、最も強力なこちらのカードだ。


 だが問題は、彼女ヒロインにとっても俺が得体のしれない存在になったことだ。


「どういうことなんですか黒崎さん。私に言ったルルーシアさんのことは?」

「そのルルからのメッセージが届いているはずだ。最低限の事情はそこに説明してある」

「メッセージ? ……いつの間に。コグニトームが切れてるのに? それに、どうして私のメモのことが……」


 ルルに送ってもらったメッセージは、彼女が狙われた理由と現状の説明をごく短く書いてある。「君は知ってはならないことを知ってしまった」という彼女用の導入ハンドアウトだ。


「ルルはこの先で君を待っている。そこまで君を保護して連れて行くのが俺の役目。そう理解してくれるとありがたい」

「こ、この状況でそんなことを言われても……。ブレインニュートリノが存在しているどころか、実用化されていて、それがコグニトームを裏からなんて。そんなことあるはず……。それに、こんなことになるのを黒崎さんが知っていたなら……」

「言ったら信じたか。だから問題だ。さっきまであれだけいた人間の中で俺達だけが弁天堂に向かう確率は? そしてその弁天堂にあの男一人以外誰もいない確率は? そこで丁度外部との通信を完全に切ることが出来る技術があるとしたら? そして――」


 タンッ、タンッという音と共に二発の弾丸が来る。一発目はさっき同様【バリア/アクティブ】で防いだ。だが、二発目は盾の横を通ると俺の真横で弾けた。空中に球形の放電が出現。常温プラズマが俺の突き出した腕に向かって広がる。


「こういった超技術の存在と、それを使ってまで君を狙う理由は?」


【バリア/パッシブ:18/20】


 バリア越しでも、敵の攻撃に身を晒すのは恐怖だ。それでも続ける。へたり込んで首を小さく振る高峰沙耶香の青ざめた表情に向かって、焦げた現実ジャケットを見せる。 


 世界の深層RoDを文章による説明だけで信じられるわけがない。彼女にとっては俺もあいつも同様に信用できないのは当然だ。この状況で成功する未来へのルートはほとんど存在しない。彼女の知力INTを信じて現在の状況を示し、知能ロールに成功してくれることに賭けるしかないのだ。


 それがこの状況下で考えうる彼女への俺の『説得』だ。


「そんな…………でも確かに。ううん。あり得ない。……何かほかの理由が…………。でも、他には説明がつかない……」

「君がここで決めることは一つだけ。俺を信じるか、信じないかだ」


 僅かに理性の輝きを取り戻した高峰沙耶香の瞳に話しかける。『説得』と言いながら選択肢を奪ったうえで二択を強いる。ひどいシナリオだと思う。


 だから最後は『言いくるめ』でも『説得』でもない、黒崎亨の意志を伝える。


「君が自分の才能を誇示したい、高い地位や報酬を得たい、そういうことならあるいはあちら側は現在よりずっと恵まれるかもしれない」


 背後から来た弾丸が二つ、バリアにぶつかり、空中から地面まで白い雷光が広がる。HP《バリア》が6も持っていかれた。それでも高峰沙耶香をまっすぐ見て告げる。


「だけど、もしも君が、君の悩みや迷いを抱いたまま、その意志で進む道がいいのなら。それを守れるのは今は俺だけだ」


 俺の知る限りの『高峰沙耶香』というキャラクター、いやプレイヤーに向けて問う。


 さっき彼女は自分の研究に関する悩みを俺に見せてくれた。あの時、俺の中の世界に映った彼女が、今目の前にいる彼女と、大事な部分で同じだと信じる。


 同時に、あの時彼女に俺が言った言葉を、正真正銘の俺の意志として責任を持つ。それこそが、俺の意志ロールプレイだ。


「…………悩みも迷いも含めて、私の意志を……………………。わかりました。今は黒崎さんを信じます」


 俺にとっては長い、実際には握った手のひらを汗が伝って離れる程度の時間の後、彼女はその瞳に確かに意志の光を取り戻した。震える足で立ち上がり、俺の後ろに移動する高峰沙耶香。ヒロインとして十分すぎるロールプレイだ。


【バリア/パッシブ:13/20】


 開戦前にリソース《HP》の三分の一を消費したことになるが、これでやっと戦闘を開始できる。



 石畳の上を多種多様なエフェクトがさく裂する。弾丸の効果は発現するまではわからない。ある弾は電撃に、ある弾は樹木を揺らすほどの衝撃に、そして最後の弾は炎に化けた。


 正確無比な狙いと共に、指先の動き一つで繰り出される攻撃。正面に来るのはアクティブで落とすが、連発されると防御が追い付かない。プラズマ化した空気にジャケットは焦げ、衝撃波でシャツのボタンがいくつかとんだ。


「どうした。攻撃しないと勝てねえぞ」

「文化財を傷つけるわけにはいかないだろ」


 プラスティックの弾丸が急加速して木の枝をへし折る光景を見ながら俺は叫ぶ。どれだけカッコつけても一歩も進めない現状に変わりはない。


 防戦一方、前線の押し上げは一メートルも進んでいない。最初の目標である前方の遮蔽にも届かない。膠着、いや実際には押されている。


【バリア/パッシブ:7/20】


 何もできないままHPは残り三分の一になった。それが敵の戦闘巧者っぷりを示す。向こうにとって最大のリスクは、全くの未知のシステム《RoD》と対峙していることだ。その中で、無手の俺が近接戦闘タイプだと判断して、遠距離からチクチク削る戦術をとっている。


 自分のリスクを最小化した手堅い動きだ。油断の欠片もない戦術的判断は前職のたまものだろうか。


 ルルが集めたモデルの情報。あの金色ピアスはFPS系の元e-ゲーマーだ。拳銃捌きが得意で中近距離での安定した戦いに定評があった。近接してきた敵にゼロ距離で弾丸を打ち込む特徴的なプレイスタイルで人気を博したらしい。


 だが、上位リーグに入るとその手の邪道が通じなくなり成績は低迷、結局は引退に追い込まれた。ちなみに上位リーグはプロクラスで、SEAMのA《アーティスト》扱いだ。


 言ってしまえば戦争ごっこFPSの元準プロなわけだが、同じインドア派でもTRPGプレイヤーとは素養が違う。何しろ最古のTRPGはボードゲームからの派生だ。


 俺が落とされていない理由は一つだけ。【感覚強化センスチューニング】による視覚認知の優位性だ。


 アニメーションが連続した滑らかな動きに見えるように、人間の視覚認識は実際には細切れの粗いものだ。網膜に映った映像が数次の視覚処理を経て意識に上がるまで約0.5秒のギャップがある。


 つまり、人間は常に0.5秒前の“過去”を現在として見ている。相手が銃を向けた時、実際には引き金が引かれている。ただし、相手が狙いを定めているのも0.5秒前の俺だ。


 しかも、俺が見ているのは相手の動きの前、正確にはマスターとスレイブのDPCの動きだ。


 【ソナー/アクティブ】と【センスチューニング】による視覚処理の強化。レベル1スキルの併用だ。あいつにとって、俺が一歩先の未来を見ているように見えるだろうが、正確にいうなら俺が見ているのは向こうより新しい“過去”にすぎない。


 だが、その程度では戦力の差は埋められない。段々と射撃の精度が上がってきた。向こうが俺の動きに慣れてきた。つまり、俺の未来を予想シミュレーションできるようになってきているのだ。


 敵の頭部が今までにないパターンで光った。弾丸は俺の前で地面に向かって急降下した。野球で言えばフォークの軌道だ。展開したバリアの下で弾がはじける。飛んできた砂に一瞬視界を奪われる。


 網膜に映る赤い光だけを頼りに右に飛ぶ。左の脇腹を熱がかすめる。


【バリア/パッシブ:4/20】


 残りは五分の一。バリアを張りなおす余裕も、ニューロトリオンもない。ソナーと視覚強化が切れた次の瞬間、ハチの巣になるだろう。だが、相手のリソースにも限界はある。DPFは貴重なDPを大量に消費する。時間をかければかけるだけ『報酬査定』に響く。


 俺があいつならそろそろ戦局を替えるカードを切ってくる。これまでの防戦一方の戦いで、俺に対する警戒が、侮りと報酬への誘惑と交差する瞬間が来るのを待つ。


 その時にこそ、敵の変化にこちらの変化を合わせる。


「便利な盾だが、強度は見当がついた。これで吹き飛ばしてやる」


 モデルはカートリッジを抜くとポケットから取り出した新しいものと変えた。マスターコアが激しく明滅するのが見えた。


 俺は体を前傾にして前方の大木に向かってダッシュする。走りながらスキルを切り替える。【ソナー/アクティブ】を切り【運動神経周波数向上モーターニューロン・クロックアップ】を発動した。


 相手がこちらの戦力カードを捕えたと思った次の瞬間に、それを変えて見せる。それが密偵の戦い方、情報戦のやり方だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る