第18話 言いくるめ?

「実は昼間の仕事の関係でちょっと話があるんだ」


 夜空に抱かれた国際会議場ビル。その眩しい玄関から若い女性が出てきた。女性は何か考え事をしているように、うつむいたまま歩いている。俺はゆっくりと彼女に近づく。自分に近づいてくる男に気が付いた彼女が顔を上げたことを確認してから、俺は片手をあげて声をかけた。


 黒髪の美人女子大生は、アーモンドのような綺麗で大きな瞳に一瞬警戒の色を浮かべたが、すぐに表情を和らげた。


「先ほどルルーシアさんから報酬を受け取りました。約束よりも多かったのですが、黒崎さんのお口添えでしょうか?」

「さて、君の貢献についてはもちろん伝えたけど、報酬の査定には関わっていないな。彼女は今回の調査にとても満足してくれたようだから、それでじゃないかな」


 彼女の前に立った俺は、丁寧に言葉を選んだ。今回の『探索』で彼女の能力が大きな助けとなったのは正真正銘の事実だ。その能力が過分すぎてこんなことになったのは皮肉と言うべきだが。


「そうなのですね、よかったです。でも、お仕事が上手く行ったのならどうして?」

「実はルルーシア氏が君と直接話したいと言い出してね。急なことで悪いんだが今から時間を取ってもらえないだろうか」

「ルルーシアさんが? でも、報酬の授受の際にそんなメッセージは……」

「困ったことに、彼女は思いついたら即行動でね。ほら、君も俺の前に予告なしに現れただろ。今回は立場逆転というわけだ」


 巻き込まれた者同士だとアピールする。これも完全無欠の事実である。TRPGにつきもののトラブルメーカーがRM《マスター》自身というのは厄介極まりない。ルル本人に自覚がないのが罪深い。挙句に、ルルの方は俺がそうだと思っているくらいだ。


「もちろんルルーシア氏に確かめてもらっても構わない」


 情報封鎖はこれからの作戦の重要ポイントだ。傍からは、俺が彼女をナンパしているように見えるくらいが望ましい。だが、今俺がやっていることは『説得』ではなくて『言いくるめ』に近い行為だ。


 敵を欺くにはまず味方からとよく言うが、それが本当に上手く行くためには、欺かれた人間がその後も味方でい続けてくれなければいけないのだ。しかも、彼女はこれから思いもよらない非日常に放り込まれることになる。


 その時の彼女の行動は、本人と俺の生存率を大きく左右する。


 内心の緊張を殺して、黙って彼女の決断を待つ。


「分かりました。私もルルーシアさんとは一度直接お話してみたいと思っていましたから」

「有難い。場所は『ファーイーストパレス』というホテルのロビーだ。俺が案内することになっている」

「はい。お願いします」


 高峰沙耶香は少しだけ考えた後、俺を見て頷いた。どうやら信用してくれるようだ。


 ちなみにファーイーストパレスは秘密基地グランドガーデン近くの同じくらいの高級ホテルだ。建物は背中合わせだが、入り口が反対側の道路に面している。


 …………


「それで、ルルーシアさんの意識に対しての見解の興味深い点は、彼女が意識を立体的にとらえているところなのですが……」


 高峰沙耶香と話しながら動物園通りに入った。話題は当然、ルルのことになる。ルールブックの設定に近い、つまりロールプレイでイメージできる切り口なので、何とかついていく。


 相槌を打ちながら、周囲を観察する。昼間ほどではないがまだ人通りは多い。上空には時折警察のドローンが周回している。異常があれば上空から映像記録と通報が警察に通る。


 平和で安全な社会だ。ただ極稀に、そのドローンが“誘拐犯”の目になることもある。残念だが、今がまさにそうだろう。俺たちは、敵に観察されていると思わなければならない。


「黒崎さんはルルーシアさんとは親しいんですよね」

「……どうしてそう思った?」


 引きつりそうな顔に無理やり笑みを浮かべた。


「最初にお会いした時ルルって呼んでいましたから」

「実は共通の“趣味”があってね。ルルというのはそこでの彼女のニックネームなんだ」

「そうなんですね。あの、その趣味というのを聞いてもいいですか? ちゃんとお話しするのは初めてになるので」

「なるほどもっともだ。だが困ったな。実は、その趣味というのは彼女の意識に対しての関心とつながっているらしいんだ。だから、これに関してはルルーシア氏から直接聞いてほしい。先にネタ晴らしすると彼女が機嫌を損ねかねない。別のことで、答えられることがあるならいいんだが」


 まさに今、君はその趣味TRPGに参加させられているんだ、なんて言えない。今の段階でそんなことを言おうものなら、それこそ『正気度』を疑われる。


「そうですか。…………じゃあ、黒崎さんのお仕事について聞いてもいいですか?」

「俺の仕事? いいけど、あんまりおもしろい話にはならないと思うけどな。ええっと、例えば?」

「どうして、ジャーナリストのお仕事を選んだのでしょうか。それに、今回みたいに依頼に基づいて取材することもあるんですよね」

「そうだな、実際には今日みたいなのが本業なんだが……」


 また、難しい質問だ。まさか密偵ごっこロールプレイが好きだからとは言えない。


「うーん、強いて言うなら情報を集めたり分析したりするのが好きだからかな。ちょっと感覚的な話になるけど、情報というのは『外の世界』にある。だから、自分の頭の中にしっくりと入ってくれるとは限らない。いや、実際にはそうじゃないことの方が多い。例えば、光るクラゲの研究がノーベル賞を取ったと言われても、どうしてそんなに高い価値があるのかは分からない」


 脳をフル回転して話を組み立てる。


「そうだな、君やルルーシア氏の興味を持っている『意識』という観点から見れば、自分の頭の中にある立体的な『世界』のどこに、どんな形で取り入れた情報が統合されるかみたいな感じかな。不真面目な言い方をすればミステリを楽しんでいるようなものだよ」

「ふふっ」


 何とかそれらしいことを言う。ミステリのつもりがサスペンス、いやハードボイルドになりそうだけどな。


 そんな俺の内心も知らず、高峰沙耶香はおかしそうに笑った。


「専門的な視点から見たら、やはり変かな」

「いえ、全然そういうことはないです。昼間も思ったんですけど。黒崎さんは感覚的とか、勘とか言いながら実際にはとても論理的に理解しているように見えたので。研究だって、知ってることを調べたりはしません。ここに何かが……黒崎さんの言うギャップがあると感じて、それが何かを知りたいと思います」

「なるほど。情報を集めたり分析したりという意味では、君の仕事と共通点があるかもしれない。とはいえ俺の場合は、基本的に他人から依頼されたテーマだ。自分自身でテーマを決める君とは違うだろうが」


 自分で決めたことが仕事に、それも高額の報酬に繋がる仕事になるのは、超一流のSEAの定義の一つだ。RM《マスター》のシナリオに振り回されている俺と一緒にするわけにはいかないだろう。そう思って付け加えた。


「自分で決めたテーマ……。そうですね。私が分子デザインから意識に研究を変えたのは、私の意志です」


 高峰沙耶香はびくっと肩を震わせた。若くして成果を上げ認められたはずの天才科学者が、なぜ心細そうな表情になる?


「黒崎さんは“自分”はどこに存在すると思いますか?」

「上野公園、と言いたいところだけど。今の話の流れだと、脳の中ということになるだろうな」

「はい。私もそう考えて大学で脳の研究をする事にしました。小さいころからずっと、自分はどこに存在してるんだろうって考えていましたから。でも、研究していてふと不安がよぎるんです。見つけるべき自分を脳の中に見つからなかったら? 自分はそれが存在しないことを確かめているだけではないのって。探している答えが存在していないなら、探している自分も存在しないことになりますよね」


 科学と哲学の究極の問いみたいな話題になった。しかも、まるで悩みを打ち明けられているようなニュアンスになっている。


 我が従妹どの曰く「女の相談は共感を求めるんだから、解決方法なんか聞きたくない」らしい。だが、そんな一般論が通じる相手とも話題とも思えない。「分かるよ。つらいよね」なんて言おうものなら、確実に信用(ロール)を失うだろう。


 だが、この質問に答えるのに今の俺ほどふさわしくない人間がいるだろうか。


 今の黒崎亨じぶんはロールプレイ《ニセモノ》なのだ。正真正銘のニセモノ、本物のニセモノといってもいい。だからこそ、俺は今ここに存在している。ホテルのベットで寝ているのではなく。


 高峰沙耶香のキャラクターになり切って答えを導き出す、ロールプレイの応用も使えない。彼女の問いは、彼女自身にもこたえられない問いだ。彼女自身の中にない答えを、他人である俺が作り出せるはずがない。


 ならば結局、俺の出来ることは……。


「意識が、多種多様な情報を統合して自分の中に一つの世界を作るための、脳の機能だったとしよう。そして、君が言うような迷いや悩みを感じるのも意識だ」


 頭の中をギリギリと絞るように、口から押し出していく。


 ごっこ遊びだからこそニセモノロールプレイに徹することが出来る。その程度の人間の中にある、ギリギリの答えだ。


「俺にはその悩みが、自分の世界を構築するための試行錯誤のように感じる。悩みや迷いを感じることは、様々な情報を立体的に組み合わせて、自分自身を構築していく過程なんじゃないか。つまり、そうだな……。君が悩んでいること自体が、君の研究目的が存在している証拠だと思う。それがたとえ、君の想定している通りの自分じゃないとしても」


 TRPGでキャラクターに己が存在意義について悩ませることが出来れば、それはシナリオとしてもロールプレイとしても最高といえる。要するに『我思うゆえに我あり』だ。あのスキルコードを見た時、TRPGにぴったりと思ったのはだからこそだ。


 自分がどこにあるのかなんてわからなくても、いや自分かどうかわからなくても、いまロールプレイしている自分キャラクターは存在する。


「意識が情報を統合しようとする過程が、悩みや迷い…………。私が自分の、意識の研究について悩んでいること自体が、私の意識の研究そのもの……ですか?」


 高峰沙耶香は呆然とした表情で、俺の言葉を反芻するように口に出した。


「そんな大げさじゃないんだ。そうだな、俺が今言ったのは『感想』なんだ。君が悩みと矛盾を抱えていることも含めて、俺にとっては君が存在しているっていう。ほら、俺は勘で考えるからね」

「でも、私一瞬、世界がひっくり返って見えました。それが私の感想です。それに……」


 高峰沙耶香は先ほどのように「ふふっ」と笑った。


「実はこんなことを言えば、生意気だとか、贅沢だとかって叱られるかと思っていました」

「ははっ。君が分子デザインの研究にもどるかどうかを悩んでいたなら、そう思ったかもしれない。でも、君は今の研究について悩んでいたみたいだから」


 年相応の、はにかんだような表情で俺を見る彼女にそう応じた。現実の自分は、君から見上げられるような立派な人間ではない、でも今はそういう人間でなければいけない。


 それが今俺がすべきロールプレイだからだ。


 それに、少しだけ考えたことがある。彼女の悩みは、いわば才能と能力の呪いだ。僕が高校生の時に命を絶ったイラストレーターのことを思い出す。彼が戦っていたのがもし『他者』の才能とだけではなく『自分』の才能に対してもだったとしたら。


 もしそうなら、僕は少しだけ彼の悩みと絶望を理解できるかもしれない。誰も、自分からは逃げられないのだから。


「全部見通されているみたいな気分です。でも、不思議と嫌な感じはしません。きっと黒崎さんが優しい人だからですね」


 明らかに過大評価されている。いや、仮にそうだとしてもそれは本物の俺じゃないんだけどな。


 だが、訂正している時間はない。そろそろ本格的にきな臭くなってきた。俺はゆっくりと周囲を確認した。


 周囲にあれだけいた人間がまばらになっている。シナリオが次のシーンに進もうとしている。

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