第17話 レベルアップ(後半)

「高峰沙耶香は今国際会議場ビルの中にいる。発表を終えた彼女が、ビルの玄関から出たところが起点だ」


 ホテル天井に浮かぶ地図。上野公園の中の一つの建物に印が付いた。学会会場である国際会議場ビルは、動物園と不忍池に挟まれた立地だ。


「ゴールは高峰沙耶香を連れてこの部屋にたどり着くこと。それもモデルに追跡されない形で」


 広大な上野公園から北西に道路一つ跨いだ場所、ホテルグランドガーデンにもう一つのマークがついた。ちなみに地図に印をつけているのは金髪に狐面をかぶったルルだ。


「次はこの二点間の経路の設定だったね」

「まずは高峰沙耶香の本来の経路を想定する。ビルを出た彼女がどこに向かうかを予測するんだ。どうせ住所は分っているんだろう」


 まるでこっちが誘拐犯だと思いながら質問する。


「彼女の現住所は東京湾近く、インナーサークルに立つマンションの503号室だ。彼女のここ半年の行動痕跡から想定されるのは、98パーセントの確率で自室か近くの大学院大学の研究室だよ。国際会議場ビルからの最適路はどちらにしても鉄道だね。ちなみに今日彼女のこの後の約束はない」

「……つまり上野駅だな」


 期待以上の情報がするっと出てきた。東京湾のタワーを眺める日本最高のSEAMキャンパス。その近くのマンションなんて家賃いくらだ? そもそも十七歳の女子大生が自室と大学の往復だけとは。


 今の状況で気にする事じゃない。彼女のスリーサイズ並みに意味がない。


「国際会議場ビルから上野駅までなら『五條天神』から『小松宮像』を経て『さくら通り』に出る経路だな。これに関してはモデルも同じように想定しているはずだな」

「そうだね。モデルもDeeplayerの情報を元に動く」

「OK。じゃあ次はモデルの行動だ」


 俺は地図の中に自分を置いて想像をする。自分がモデルになったつもりでロールプレイを考える。


 依頼主シンジケートは高峰沙耶香の才能に目を付けている。いや、あの男の視線から考えれば他にも目当てがあるかもしれない。殺害じゃなくて拉致が第一選択だ。それも、おそらく傷つけずに。


 モデルは国際会議場ビルの近くの木々の中で、ビルの玄関を監視している。彼女が公園を出るまでの経路から、襲撃場所の想定をする。


 …………小松宮像よりも少し前、グラント将軍記念植樹碑の近くの木立が狙い目だな。


 高峰沙耶香が通り過ぎるタイミングで周囲の人間を払う。情報統制下でDPFを展開して絶対優位な状況。若い女一人木立に引き込むなんて簡単だ。後は、公園の無人車両なりで運び出せばいい。


 モデルにとって理想的な未来、つまり俺が“何もしなければ”どうなるか、はこんなところか。つぎは、こちら側にとっての望ましい未来だ。


「ホテルは不忍池の北西方向。五條天神から動物園通りに入ってもらって、そこから不忍池をぐるりと回って湯島口から出るのが自然だろうな」

「高峰沙耶香が選ぶ進路とは似ても似つかないね」

「だからスタート時点で干渉する必要がある。ビルの前で彼女を待ち構えてそっちに誘導する」

「理由は?」

「今日の取材についてわからないことが出たとか……。いや、それだと弱いな。そうだ、彼女はルルの意識に関する見解に強い関心を持っていた。ルルが会いたいと言っているという名目がいい」

「つまり、ボクがもう一度彼女にコンタクトを取るのかな? リスクがあるよ」

「いや、俺が直接伝える。モデルにはあくまで俺の出現はイレギュラーと思わせたい」

「突然の誘いとなると高峰沙耶香の方に警戒されないかな」

「そこは『説得』だ。ただし、成功率を上げるために必要な下準備はしてもらう。彼女が、自分がルルに高く評価されたという感触を与えておく。つまり、今回の報酬にボーナスの上乗せだ」

「なるほど、最初から支払われる予定である報酬の増額なら目立たないか。その程度なら問題ない。じゃあ、君の『言いくるめ』が上手くいったとしよう」


 本来の彼女の進路と、俺の干渉の結果の進路が表示される。


「……こちらの事情ばかりというわけにもいかない。次はこの新しい経路の中で、モデルにとって最適の襲撃ポイントはどこかだ」


 コグニトームを裏側Deeplayerから覗けるモデルを捲くことが不可能なら、一度襲撃させて撃退するしかない。そのために戦場をあらかじめ予想して、その戦場における戦闘計画を練って臨む。徹底的に情報優位を作り出すのが密偵の戦いだ。


 予定外の高峰沙耶香の方向転換。モデルは慌てて新しい襲撃場所を探すことになる。さっき言ったDPFや彼女を運び出すための車両の段取りを考えると余裕はないはずだ。俺は再び地図をじっと見る。敵にとって理想的なポイント。それも一意に定まるほどの場所となれば…………。


「ああ、ちょうどいいのがあるじゃないか。ここだ」

「なるほど。周囲は池だからDPFの展開はこのポイントで確定するね」


 緑の巨大公園の中、水色に塗られた大きな池の中央の小さな島を、俺は指さした。


 ルルがMAPに天気予報の気圧配置のような物を表示した。池とその周りはDeeplayerの死角になっているが、その島は通信が通じている。


「よし。この想定に基づいて、脱出経路を再設定する。今のDeeplayerの範囲図を考えると、いっそのこと”ここ”を突っ切れればどうだ。敵の視界から一瞬だけ消えるんじゃないのか?」


 俺はマップ上に新しい経路を指で描いた。そこには道はない。あるのは水面だけだ。


「なるほど考える限り最適だね。乗り物はボクが調達するよ。ところで一つ質問いいかい?」

「ああ」

「なんで君の経歴に犯罪のそれがないんだ?」

「おかしなゲームに巻き込まれるまで、ずっと真っ当に生きてきたんだよ」


 TRPGの中では密偵らしく非合法な仕事ばっかりだったけどな。


「ここからが戦闘計画だ。最初に言ったように基本的に身体および感覚の強化、つまり俺自身の強化を主体にしたい」


 スキルリストには知識系がないのと同じで、格闘や射撃といったインスタントなスキルもない。ならば使い慣れた自分の体と感覚の延長線上で戦うほうがいい。


 最初に考えるべきは守りだ。これに関してはルールブックには基本ともいえるスキルがある。レベル1なのでキャラメイクの時も取ろうか迷ったが、戦闘専用スキルだから取らなかったやつだ。


【バリア】


 ニューロトリオンにより、ディープ・プログラムを打ち消すフィールドを展開するスキルだ。脳が生み出すニューロトリオンはDPよりもエネルギーが高い。重い金属の球がプラスティックの球とぶつかるようなもので、DPを一方的に散乱させることでプログラムを崩壊させる。


「この【バリア】だが、ソナーと同じでアクティブとパッシブがあるよな」

「パッシブは自動的に体表全体に展開され続ける。アクティブは君の視線と動作で瞬間的に狭い範囲で展開される」

「パッシブがえらく便利なんだが……。ああ、なるほど、攻撃を受けるたびに減っていくのか」


 パッシブが鎧でアクティブが盾、いや攻撃を受けるたびに削れるからパッシブは『HP』と考えた方がいいな。言ってみればHP《バリア》がある内はTRPG《ゲーム》ということだ。


感覚強化センスチューニングに加えて、強化感覚についていけるだけの運動能力を準備する。この運動神経周波数向上モーター・クロックアップだ。これと【ソナー】を組み合わせることで、敵の攻撃を捌く」

「防御としてはそれでいいとしても、そうするととれるスキルはあと一つか二つだよ。攻撃はどうするの?」

「ああ、後はこのスキルを取る。【ブースト】だ。残りの容量を使って最大値まで」


 俺の指がリストの一つを指す。


「ニューロトリオンを一時的に最大限放出することで、スキルの強度を上げる、だね。でも、これ単独では攻撃用じゃないよ。ちなみに、身体強化や感覚強化系に使うと体が持たないと思うよ」

「わかってる。これは手持ちのスキルと組み合わせる。こういう運用を考えている……」


 俺は敵の最も繊細な部品を狙う作戦を説明した。


「意図は分かった。しかし、君は戦い方も徹底して地味だね」

「不満なら戦士系か魔法使い系をスカウトしてくれ。それかボタン一つで敵を倒すデバイスをくれるかだ」

「キャラクターシートにスキルの導入をする」


 ルルは俺に答えずにレベルアップの手続きを開始した。ルールブックからいくつもの曼荼羅のような模様が浮き上がる。それがキャラクターシート、脳のホムンクルスに吸い込まれると、スキルを現すアイコンが視界に浮かび上がった。


 準備は終わった。


 不可視のルールブックを脳内で閉じて、学会参加証を手に取った。時刻は19時40分。寄り道を考えても何とか間に合うな。

「ここを出るとボクとの通信は制限される。何かやっておくことは?」

「戦場につく前に敵の素性をなるべく詳しく調べてくれ」

「了解」


 金色の少女の姿は消えた。俺は部屋を出た。


 締まっていくドアの向こうに、今までいた安全地帯を見た。ここに二人、いや三人で戻ってくることが出来る可能性はどれくらいだ……。


 首を振って前を向いた。ダイスを投げた以上、出目に全力で向き合うだけだ。

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