第17話 レベルアップ(前半)

 ベッドの上に放り投げていた学会の参加証を手に取り、スケジュールを確認する。

現在時刻は18時50分。会場では夕方の口頭発表が始まっている。20時までの口頭発表の最後、19時40分から19時55分までの15分が高峰沙耶香の発表だ。


 さっきの映像は彼女が発表会場である三階の会議室に向かっていた姿だろう。


 このホテルから国際会議場ビルまで急いで15分。すべてを合わせて準備時間は約一時間となる。


 全てのステップを迅速かつ必要なクオリティーで進めなければいけない。


「そもそも『レベルアップ』ってどういうことだ?」


 Rules of the Deeplayerは現実が舞台だ。キャラクターは俺の体プレイヤーそのものだ。レベルアップというゲーム的な変化がイメージできない。


「キャラクターはニューロトリオンを認識、操作可能な意識だという説明はしたよね」

「クオリアだったか」

「そのニューロトリオン・クオリアが鍵なんだ。ここまでのテストプレイで、君は『ニューロトリオン』にまつわる【スキル】そして【モデル】についてその身をもって体験した」


 ルルの言葉にうなずく。探索中心の地味な活動だったが、ある種の異能者としてこの半日を過ごしたことは間違いない。


「君の認識する『世界と自己のイメージ』、つまり意識の中にニューロトリオンはより深く組み込まれた。ルールブック的に言えば、君のニューロトリオン・クオリア値はレベル2のスキルが使用可能な水準を超えたということだ。ボクの姿が前よりもしっかり見えているはずだよ」

「キャラクターとしての今日の経験が文字通り経験値ってことか」


 地味な探求オンリーでも意味があったわけだ。見方によっては『侵食率』や『クトゥルフ神話的技能』が上がったわけだが。


「じゃあルールブックを開いて」


 脳内のルールブックを開く。視覚野に映るルールブックが、目の前に半透明のページとして認識される。空中に浮かぶ金髪のRMから 光の帯が伸び、ルールブックにページが追加された。


 追加されたページに書かれたスキルを見る。


 レベル1では自分の身体や感覚を強化するための地味なスキルが目立ったが、レベル2になると異能らしい異能が増える。特に戦闘専用スキルが一気に増えたようだ。ちなみにキャラメイクで戦闘スキルは一つもとっていない。探索オンリーで済ませるつもりだったし、使いこなせる自信がなかったからだ。


「確認したい。レベル2になったということはレベル2のスキルを単独で使用できるだけじゃなくて、レベル1のスキルを二つ同時使用できるってことでいいのか」

「そう理解してくれていいよ。ただし、レベル1以上のスキルはニューロトリオンの消費量が大きい。君のニューロトリオン量も制約になるのは気を付ける必要があるね」

「無理に使おうとしたらどうなる」

「発動しないか、途中でスキルが切れるだろう」


 なるほど。リソース管理がより難しくなるな。


「【戦闘専用スキル】の使用条件の「ニューロトリオンが周囲に存在する状況下に限る」というのは?」

「モデルが本格的にDPCの力を使うには、そこにディープフォトンが展開される必要があるんだ。どれだけ高い『歌唱スキル』があっても真空中では歌えないだろ、この空気に当たるのがDPと考えてほしい」

「異能物や魔法少女の定番のフィールドってやつか」

「そう、ディープフォトンフィールド《DPF》だ。このDPFはタワーの生み出すDPを大量に消費する。レイティングがレア以上の案件じゃないと使用されないのはそのためなんだ。そして、モデルのDPCはフィールド内に存在する原子やエネルギーを操作プログラムできる。脳に埋め込まれたマスターコアが生成した【ディープアルゴリズム】を装備に組み込まれたスレイブコアを通じて発現するのが基本だ。実際の効果としては空気分子のプラズマ化による帯電空間や衝撃波の発生、あるいは局所的な光の屈折率を変えることでの光学迷彩など。中には地面や生体に干渉するアルゴリズムもある」

「生体? 俺の体を分解とかできたりするのか。あと、洗脳とかはどうだ?」

「原理的には可能だよ。ただ強力なアルゴリズムほど、多数のコアを持ったDPCが必要だ。DPCはいわゆる歩留まりが極端に厳しいんだ。百個作って使えるコアが一つ。つまり、デュアルコアは一万個に一つ。トリプルコアとなると百万個に一つの貴重品になる。そして、洗脳だけど、これはさらに難しい。君の脳のニューロトリオンの防壁を突破する必要があるからね」


 なるほど、ニューロトリオンはディープフォトンよりもエネルギーが大きいんだったか。


「ちなみに、今回のモデルは君が見つけた一人目、シングルDPC《コア》持ちだね」

「あの金のピアスか。レーティングが上がってもモデルのランクは上がらないんだな?」

「変更が急だったからね。もちろん、明日になればわからない」

「次は俺の方だ。DPFのDPは俺の使うニューロトリオンと同じものなんだよな。つまり、ルールブックの【スキル】でも干渉可能ってことか。それが戦闘専用スキルだな」

「理解が早くて助かる。君は脳内で作り出したニューロトリオンのパターンをそのまま空間のDPに投影する。さっきの空気の例えなら、君の脳が強力な楽器になると思ってほしい。ただし、脳のニューロトリオンがDPよりも強力とはいえ、DPFの扱いについてはDPCが専門だ。レベル2の戦闘専用スキルでは分が悪いと言わざるを得ない」

「つまり、付け焼き刃のスキルに頼り切るのは駄目だな。基本的には俺自身の身体や感覚を強化して、戦闘専用スキルは本当に切り札的に使うのが妥当ということになるか。よし、概要は分かった」

「じゃあ、スキルの選択を」

「いや、最初は目的、勝利条件を決定する。今回の場合単に高峰沙耶香を襲うモデルを倒す、じゃダメなはずだ」


 仮にモデルを倒して高峰沙耶香を守ることに成功したとする。だが明日には次のモデルがやってくる。それももっと強い上に、RoDというイレギュラーを想定した相手だ。今のこの明確に不利な状況が、最悪の中で一番ましな条件ということだ。


 つまり、今夜ですべてを終わらせる必要がある。


「シンジケートのターゲットから高峰沙耶香が外れるのが絶対条件だ。これに関しては当然、インヴィジブル・アイズに干渉できるルルの力が前提になる」

「そうだね。だけど極めて難しいよ。一度ターゲットになったIDをなかったことにするなんて普通じゃ絶対に無理だね」

「逆に言えば幾つかの条件がそろえば不可能じゃないということだな。そうだな。まず「彼女の持つ情報」の価値を無くす、そんな方法は考えられないか?」

「……彼女が思いついたアイデアを彼女のメモよりも詳細、かつ架空の人物の仕事としてコグニトームに上げることは可能だ。ただし、それでも優先順位の問題になる」

「同時に高峰沙耶香の今日の行動痕跡を改竄したらどうだ? 極端なことを言えば高峰沙耶香は今日の学会には来なかったみたいにだ」

「学会に参加しなかったは流石に無理だけど、本人の協力とIDリングがあればそれなりの偽装はできる。…………そうだね、その二つの組み合わせなら、あるいはインヴィジブル・アイズ上の優先順位を水面下に下げることは可能かもしれない。ただし、隠蔽工作はここみたいなDeeplayer死角でやる必要があるし、痕跡の改変には時間がかかるよ。少なくとも一晩は必要だね」

「つまり、モデルとインビジブル・アイの監視を振り切った状態で、俺が高峰沙耶香をこの部屋に連れてくる。これが勝利条件だな」


 終点ゴールは具体的かつ、可能な限り現実的になった。次は始点スタートだ。これに関しては物理的にはほぼ決まっている。国際会議場のビルの出口だ。


「上野公園とこのホテルを含んだ地図を出してくれ。スタートからゴールまでの経路を可能な限り俺達に有利な形に持っていく。こちらが未来の戦場をデザインするんだ」


 ライオンだって川に落ちればピラニアに負ける。ましてや川に落ちてくるライオンを想定して計画を立てたピラニアにならなおさらだ。

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