第16話 リスタート

 高級ホテルの一室。そのベッドに横たわる僕の上に、一枚の映像が浮かび上がった。


 国際会議場ビルの窓を掃除する昆虫型ロボットのカメラのものだ。ロボットの関節足の向こうに、エスカレーターで上に上がる若い黒髪の女性が映っている。


 斜め上からで顔が見えないが間違いない。高峰沙耶香だ。


「彼女は秘宝アーティファクトを否定する話をしていたはずだ。僕や発表者が目を付けられていないのにおかしいだろ」

「それだけどね。追加された情報をたどると、どうもシンジケートの正規会員の一人に私的にマークされていたみたいだ」

「はっ? なんでそんな危ない人間を『NPC』にしたんだ」


 思わず問い詰めた。スリーサイズまで調べた癖に、一番肝心な裏取りが抜けてるなんてしゃれにならない。


「インヴィジブル・アイズの監視バックドアにも限界があるんだ。シンジケートが分裂してからは、正規会員については元々強固だったセキュリティーがさらに強化されたんだ。しかも、個人的にとなればどうしようもない」

「いや、だからって…………。個人的に?」


 その言葉に、一人の男の顔が浮かんだ。高峰沙耶香に執着していた白いスーツのマネージメントエリート。あの企業展示場で出会った優男だ。


「そのシンジケートメンバーの名前は?」

「さっき言ったように秘匿強度が高い。ノーヒントじゃボクにも調べれない」

「名前『葛城早馬』でどうだ」

「調べてみよう…………。当たりだ。どうしてわかったんだい」

「そんなことより葛城早馬の頭にDPCはなかったぞ」

「現在のDPCはまだ不完全な技術だ。長期使用は人間の脳に負荷がかかるんだ。だからこそモデルを使うし、DPCの生体適合性向上が技術的目標になっている。そしてその関連研究であるVoltに高峰沙耶香が近づいたことに葛城早馬が気が付いた」

「どっちも僕たちのせいじゃないか」


 葛城早馬が高峰沙耶香に接触しようとしたのも、Voltに彼女が興味を持ったのも『お助けNPC』としての活動の結果だ。それにニューロトリオンの研究絡みでマークされたということは、僕が彼女に無意識に二枚目のカードを晒した可能性がある。


 あの時僕は情報の確証を得ようとした。二人目のモデルがVoltのどこに興味を持ったのか、太田にカマを掛けた。高峰沙耶香はそれを横で聞いていた。あれが勇み足だったとしたら……。


「それは違うだろうね。高峰沙耶香がコグニトームにアップしたメモが決定的な理由のようだ。VSDの分子構造の変化と『ブレインニュートリノ仮説』との関係に目を付けたんだ」

「……ブレインニュートリノ? ニューロトリオンとかディープフォトンじゃないのか?」

「その三つは同じものだよ。『ディープフォトン』はコンピュータの電力エネルギーの一部が未知の粒子になる現象だろ。『ブレインニュートリノ』はそれの脳バージョンだ。神経細胞の代謝に説明できないエネルギーの損失があるという観察から考案された架空の粒子だ。発生する環境が、コンピュータとは比較にならないほどノイズだらけの生物内だから、とっくに忘れ去られた仮説だった」


 要するに『ニューロトリオン』という高度な計算から生じる粒子がある。その粒子を工学的に見つけたのが『ディープフォトン』で、生物学的に見つけたのが『ブレインニュートリノ』ということだ。


「そんな忘れ去られた仮説でわかる物なのか?」

「そこは高峰沙耶香の才能というしかない。ブレインニュートリノ仮説ではその粒子の予想エネルギーが計算されていた。高峰沙耶香は例のVSDの構造シミュレーションで同等のエネルギーギャップを探したんだ。そしてそのギャップに当てはまる何かを検索した結果、ブレインニュートリノにたどり着いた。普通はまずできない芸当だよ。そういう意味で君の情報管理にミスはない」

「なんてことをしてくれたんだよ」


 こっちはニューロトリオンの存在を知っていてなおVSDとの関係はふんわりとしかわからなかった。なんで存在も知らないのに詳細なメカニズムにまで迫ろうとしてるんだ。


 NPCが勝手に出した致命的失敗ファンブル、いや決定的成功クリティカル。それも、プレイヤーがいないところで。確かに、そんなことまで責任は持てない。


 それでも、思わず聞いてしまう。


「これから彼女はどうなる」

「レーティングがレアに上がった以上、コモンみたいに情報の確認にとどまらない。強引な方法を用いても奪取。あるいは外に漏れないために隠ぺいの処置ってことになるだろうね」


 最低でも誘拐、最悪は殺される。それは僕が絶対に避けようとしたシナリオ展開じゃないか。


「そうだ、警察に通報すれば」

「どう説明するんだい」

「奴らはDPC用の装備を持っているんだよな。要するに街中で武装してる。治安維持に引っかかる。ルルならそういう情報を警察に流せるはずだ」


 コグニトームによりアメリカですら銃規制が成立した。これだけ安全な世の中で武器を持つ理由はテロリズムくらいしかない。日本ならなおさら重罪だ。


「仮に警察がモデルを調べたとしよう。発見するのは空気圧でプラスティック弾を打ち出す玩具とか、指揮棒程度に見えるものだよ。モデルの武装はDPCによる【ディープ・プログラム】を発動する媒体であることが本質なんだ」


 現代に存在するマジックアイテムじゃないか。木の杖が実は火炎放射ファイアーボール器だなんて証明しようがない。


「しかも、リスクは極めて大きい。インヴィジブル・アイズは既に高峰沙耶香のIDに網を張っている。彼女が事件に巻き込まれるなんて通報をしたら、ボクでも痕跡をたどられる」

「………………それなら、僕が直接彼女に警告するのはどうだ。時間的には間に合うはずだ」


 口頭発表夕方の部は20:00まで。彼女の発表は最後だったはずだ。今が19:00丁度。会場までここから15分でいける。発表が終わった彼女を捕まえることが出来る。


「それも推奨できない」

「警告するだけだ。いくら何でもあのビルの中でドンパチもないだろう」

「ないだろうね。運び出すことも考えておそらく襲撃は公園の中だ」

「公園の中だって十分すぎるほど人がいるが」

「レア確保の為にゆるされる行動強度ではそれは障害にならない。これは半年前のニューヨークの例だ」


 空中に新たな映像が映った。外国の高層ビルの街。夜。道路を歩く大勢の人間。その中で、中央の一人が赤い丸でマークされていた。時間と共に周囲の人間が次々と離れていく。テックグラスに何らかの情報が表示されて誘導されているようだ。


 一人になった男が、不自然さに気が付いたのか周囲を見た。その瞬間、背後のビルの角から光線が走った。その光の筋は何もない空中で二回曲がり、男の首筋に達した。


 倒れ込む男の前に、たまたま通りかかった無人タクシーがドアを開け、男を回収した。それから一分もたたないうちに、周囲の道から人間が自然に集まる。もはや普通の街の姿だ。


 都会のど真ん中で、人一人が忽然と消えた。なのに誰もそれに気が付かない。


「この人、どうなったんだ」

「三か月前の映像がこれだ」


 さっきの男が研究室らしい場所で何かの実験をやっている。生きていることにほっとしたが、男の頭にDPCの光があるのに気が付いた。頭蓋骨の奥が光ると、男はうつろな顔で立ち上がり、厳重に封じられたサンプル庫から何かを取り出した。


 そして突如としてそのサンプルを床に叩きつけた後、足で踏みにじりはじめた。驚いた同僚が止めるが、男はまるで気が触れたように破壊行為を続ける。


「現在のDPCは基本的にディープフォトンを使ったコンピュータなんだ。つまり使用者である人間の脳の方が適応させられる。深く用いれば用いるほど脳の方が干渉を受けるんだよ」


 目から血を流しながら倒れた男。痙攣する男の、眼球が裏返えった。


 今のが彼女の身に起こる、その未来を脳が勝手にシミュレーションする。


 国際会議場から出た高峰沙耶香が上野公園を歩いている。木立に囲まれた広い道には多くの人間がいる。だが、いつの間にか周囲の人間が一人、また一人と別の方向に進路を変える。やがて一人になった彼女に突き付けられる銃。


 彼女の瞳に恐怖が浮かぶ。


 やがて公園内の自販機を補充するロボットカーが横に留まる。無人のはずの車両から手が伸び、力を失った肢体が車内に運び込まれる。ドアが閉まり、車はどこかへ消えていく。


 それで終わり。


 彼女の優れた頭脳が彼女の意志によって使われることは二度となくなる。GFPについて語っていた時、どこか遠くを見ていた憧れや迷い、そういったものはすべてが意味を失う。


 残ったのは、ただのスキルの発動体としての、使い捨てのNPCだ…………。


 絶望の未来シナリオには圧倒的な説得力があった。警告なんて何の役にも立たない。これを変えることが出来る人間や組織が想像つかない。


 僕が今日その一端を垣間見た、隠された世界の深層とそのルールだ。


 その世界の中で生きている以上、人間はそのルールには逆らえない。僕もこれまでこの世界げんじつでの自分の役割ロールに従って生きてきた。


 危険極まりなく、その上無駄な行動などするべきじゃない。罪悪感や感傷で行動できる状況とは違う。犠牲者が一人増えるだけだ。それが正しい判断だ。


(だが、その正しい判断は誰のものだ?)


 自分でも予期しない感情が脳内に沸き上がったのは、その時だった。


 世界設定ルールがそこで生きるキャラクターの意志を潰すだって。気に食わない。ルールとは制約ではない、それは可能性でなければいけないんだ。


 少なくともTRPGはそうだ。『邪神クトゥルフ』に勝てなくても、抗うことはできる。その可能性は常に開かれていなければならない。それが僕のゲームのルールだ。


 未来を変えることはできない?


 違う。今、一人だけこの状況で動くことが出来る人間がいる。Deeplayerの死角にいる存在しないはずのIDと、犯人と原理的には同じ力を持つ黒崎亨キャラクターだ。


 ごくりとつばを飲み込んでから、口を開く。


「俺はまだ黒崎亨のはずだよな、ルールマスター」

「もう一度言う。君が勝てる可能性はないといっていい。RMとして推奨できない」


 そうだろうな。我ながらあり得ない選択だと思うよ。このまま明日になれば僕は白野康之として平穏な生活を取り戻せる。黒峰亨オレは明日にはその存在自体が消滅している人間だ。


 だが、ここで彼女を見捨てることは、今日一日黒峰亨じぶんが存在したことの否定だ。ロールプレイとはその世界の“自分”であることだ。


 それは黒崎亨というキャラクターだけでなく、TRPGプレイヤーとしての白野康之というプレイヤーの否定だ。


「プレイヤーとして一つアドバイスする。確かにシナリオを作り進行を管理するのはRMだ。だけどRMにも守るべきルールがある。このテストを引き受ける時に言ったよな」


 僕はRM《ルル》の言葉を止めた。そしてもう誰の言葉かわからないセリフを口から紡ぎだす。


「シナリオの結末に関わる重大な決断はプレイヤーに委ねる、だ」


 自分が望む未来ラストを作り出すために、ありとあらゆる情報を統合し、可能性を模索し、実現可能な計画をでっちあげる。


 それがGM《ゲームマスター》もDM《ダンジョンマスター》もKP《ゲームキーパー》も考えてもいなかった未来シナリオだとしても。それが僕にとってのロールプレイだ。


 罪悪感? 感傷? 違うな。いま自分が抱いている感情は、もっとエゴイスティックだ。ここまで完璧に進めたぼくのセッションを、最後の最後で台無しにされてたまるか。


 ルルは僕をじっと見て、そしてため息をついた。


「確かに最初にそう約束してしまったね。これはボクの選択ミスというべきか。……分かった。RMとしてプレイヤーの選択を尊重するよ」

「よし。さっきのレベルアップの話、詳しく聞かせてくれ」


 結局戦闘パートに突入だ。TRPGのシナリオというやつはこれだから予想がつかないんだ。

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