第15話 シナリオクリア?

 時刻午後18:28。ホテル『グランドガーデン』1208室。


 ホテル高層階の広い窓からは、都心が一望できた。視線を下に向けると、広大な公園が見える。公園の中には、残光を反射する大きな池があり、さっきまでいた国際会議場ビルが夕日に照らされている。


 手に持ったルームサービスのコーヒーを飲み込むと、俺はカーテンを閉めた。


 間接照明によって照らされた暖色の室内は清潔で微かなシトラスの香りが漂う。ダブルベッドと横長の机を置いてなおゆったりとした一室は、一泊十二万円を超えるだけのことはある。


 今回の仕事、学会参加費や交通費と合わせて十五万円、いやさっきのコーヒーを含めると十六万円を超える費用が掛かっている。そのすべてを十六歳の少女に払わせているわけだが、当然感謝も罪悪感もない。今飲み干したコーヒー代金も含めて、必要な経費だ。


 そもそも、この高級ホテルはテストプレイヤーである俺をねぎらうために用意されたわけではない。都心ではきわめて珍しいDeeplayerの死角であるがゆえに、秘密基地セーフハウスとして選ばれただけだ。


 俺は広いベッドの上にあおむけになった。カフェインを含んだ吐息を天井に吐き出した後、キャラクターシートを開く。柔らかい光に照らされていた室内が一瞬にして色を失った。


 殺風景な空中に、狐面をかぶった金髪のアバターが出現した。相変わらずの文句なしの美少女だ。ちなみに、一回目よりもはっきり見える。『正気度』の減少、あるいは『Rウイルス』の浸透率を現しているような、縁起でもない連想がよぎる。


『じゃあセッションの報告を聞こう』

「モデルに関しては既にデータを送った通りだが、追加がある。ブラウンの外国人らしい男で、背格好は……」


 俺は太田に「より強いアーティファクト」について尋ねた“二人目”の特徴を説明した。


『なるほど。……データベースに該当するモデルがいる。最初の男が『財団』でこの男は『軍団』に雇われたモデルだね』

「コモンに二人もかかわるのは珍しいんじゃなかったのか?」

『比較的珍しい事態だね。どうやら二人目は今日日本についたばかりの様だ。そうでなければ把握できたかもしれない。まあ、収穫が増えたのはいいことだよ』

「気楽に言ってくれる。こっちは肝が冷えた。まあいい、もう一つのターゲットである『遺伝子配列』だ。ポスターの155番で発表された『Volt』という融合タンパク質の中央部、VSDとかいう遺伝子配列がターゲットの正体だ。IDはgID78998」


 鼻腔に残る高級豆の香りで冷静さをつなぎ止め、黒崎亨に徹して報告する。


「インヴィジブル・アイを確認する。……うん、間違いない。ちなみにニューロトリオンとの関係は?」

「推測だが、この遺伝子配列ドメインは、脳のニューロトリオンに反応して立体構造を変化させる。つまり、ニューロトリオン感受性ドメインだと考えられる。Voltの場合はFRETだが、遺伝子が切り貼りできるなら、別の用途に使えるんじゃないか」

「なるほど。次世代DPCのパーツとしての要件を満たすね。まあ同程度の物は年に十個単位で見つかるから採用されるかはわからないけど。他には?」

「しいて言えばだが、インヴィジブル・アイズのこの案件に『FRET』というキーワードが追加されているんじゃないか」

「…………確認できた。確かにキーワードが一つ追加されていて『FRET』だ。お見事」


 狐面越しにRMの驚きが伝わってくる。少しだけ気分がいい。


「こっちからはここまでだ。次はそちらだ。俺の情報は漏れていないだろうな」

「大丈夫。インビジブル・アイズに黒崎亨IDの不審な情報は登録されていない。君はしがないフリージャーナリストのままだ」

「そうか。まあ、そこら辺は特に気を使ったからな。難易度調節をミスったシナリオでよくやったと思うよ」

「ああ、さすがボクが見込んだプレイヤーだ。ただ、一つ質問良いかい?」

「ああ、なんだ?」

「最後のハプニングだ。君はターゲットの前に居て、周囲には二人のモデルがいた。しかも、一人は誰かわからない。確かに逃げ出すのは不自然だったかもしれない。でも、君は逃げるどころか平然とNPCと研究ターゲットの話を始めた。かなりリスクのある行動に見えた」

「『ロールプレイ』の応用だ。相手になり切って考えるんだよ。こいつはどんな状況で、何を目的にしているかって具合にキャラクターシートを埋めていく。あの時、最初のモデルは155番の発表ではなくその周囲の人間を調べていた。つまり、あいつはターゲットの『遺伝子配列』については必要な情報を取得し終わっていたんだ。なら戻ってきたのは別派閥のライバルの存在を知ったからだと推測できる。つまり、あいつが注意を向けているのは基本的に【DPC】だ。一方、もう一人のモデルは今まさにターゲット研究を前にしている。つまり注意を向けているのは目の前の発表だ。俺は堂々とただの学会参加者、正確には取材に来た素人ジャーナリストとしてふるまった。ロールプレイも乱れないし、こういう行動は案外目立たないんだよ」

「本来の自分とは違うキャラクターになり切りながら、そのキャラクターとして他者のシミュレーションまでやってのけたと」


 取り立てて特別なことじゃない。他人の行動意図や思惑の推察なんて、人間ならだれでもやっていることだ。今回の場合は、警戒すべき人間の最優先事項が分かっているんだから容易だ。


 まあ、あれができるのは自分の目的や動機がしっかり設定されているTRPG《キャラクター》の時だけだけどな。現実でそんなことが出来たら苦労しない。それこそSEAMのMでも目指すかもな。


「君のは完全に次元の呪いを飛び越えた環世界シミュレーションだと思うけどね。うん、完璧なプレイだったよ」

「ということは本物のID《ボク》にもどれるんだよな」

「もちろん。矛盾ないデータの再接続リチェーンの為にIDを戻すのは前と同じ、明日の高速道路中にしよう。この部屋はDeeplayerの死角になってるけど、帰るまでの間はそうはいかないだろ」

「…………そうだな、わかった。それでいい」


 東京に白野康之ボクがいきなり出現するのは確かにおかしい。せっかくここまで『隠密』に成功したのに最後で台無しにしたくない。


 それは黒崎亨の美学に反する。いや、本音を言えば今すぐにでも元に戻りたいが……。


「ではここからはプレイヤーとしての君に質問だ。今回のテストプレイに対して意見はあるかな」

「率直に言ってこの仕事シナリオは三日必要だ。準備と事前の情報収集に一日、調査に一日、解決に一日」


 「間違いなくくそシナリオだった」という言葉を飲み込み黒崎亨として答える。

「確かに最適に近いお助けNPCがいたけど、今回の探索の難易度自体を考えると足りない。うまくいったのは奇跡と思ってくれ」


「なるほど時間の余裕が必要……。わかった、次のシナリオではそこら辺を調整しよう」

「是非そうして…………。念のため聞くが、そのシナリオの『プレイヤー』は僕を想定してないだろうな」

「もちろん君だけど? ボクとしては黒崎亨キミにはとても満足している。ああ勿論新しい名前IDは用意するよ。情報の蓄積により、向こうに嗅ぎつけられるようなことはしないよ」

「違う。そういう話じゃない。さっき言ったように今回上手くいったのは奇跡だ。次は必ず失敗する自信がある」


 おかしな方向に話を進めるルルに、頭を振って否定する。彼女は小さく首を傾げた。


「今回の経験値でレベルアップもできる。何なら君に合わせてキャラクターシートを調整もしよう」

「だから違う。そういうのはいらない。大体次は『戦闘システム』のテストとか言い出すんだろ」

「シナリオ内容に関してはプレイヤーと協議の上決めたいと思ってるよ」


 アバターは俺から目を反らした。戦闘システムのテストはテストではない。もし今回の調子でバランス調整されたら即死する自信しかない。


「でも、今回のテストシナリオで君はシンジケートやモデルの存在を確認できたはずだよ。対抗できる力が必要だと理解できたんじゃないかい?」

「実際に見たからこそだよ。僕には到底手に負えない話だ」


 今回は確かに思惑通りに事を運んだ。相手に発見されることなく、一方的に相手の情報を偵察した。密偵としては完勝といっていい。逆説的に言えば直接相対しなかったから生還できたともいえる。しかも最低ランクのモデル相手にだ。


 メインだった研究情報たんさくだってそうだ。あれでコモンとなると、次の探索は情報の絞り込みすらできないレベルになるだろう。


 何より、現実感が無かったルールブックの『世界設定』が実在することが分かった。さっきはロールプレイの応用なんてカッコつけたことを言ったが、次に同じ状況で同じことが出来る自信など全くない。


 正直に言えば、シンジケートには逆らっても無駄だろうというのが実感だ。どうせ明確な目的もないんだ。なら、その時が来るまでせめて平穏に暮らす。それが凡人の分限ロールというものなんじゃないか。


 将来のあるかどうか不明の危険と、ほぼ必ず訪れる近い未来のロストでは、交換条件にならない。僕は一般人でいいんだ。


「ふうん。でもそれにしては君はノリノリでプレイしていたように見えるけど」

「そ、そんなことはない。とにかくだ、僕にはついていけない話だ」


 一瞬心臓が跳ねた。


 仮に、もし仮にだ。今回の現実ゲームが本当にTRPGだったら。確かに、それは一生記憶に残るプレイだったかもしれない。スタンドから自分の思惑通りの場所に敵を見つけた時、ポスター前で謎と敵に挟まれた時、日常には存在しないスリルの中で脳がフル回転するあの感覚は………………。


 って、何を考えている。まだ黒崎亨キャラが抜けきっていないのか。あの時不敵に笑っていたのは僕じゃないだろう。


「レベルアップだけでも試してみないかい? キャラクターシートだけじゃない。ルールブック自体も今回のテストを踏まえて強化できるんだけど」

「それは…………。いや、いらない。約束はこのテストシナリオ一本までだったはずだ」

「むう、確かにそういう約束だったね。困ったな。別のプレイヤーを探すしかないのか。君と同等の資質と思考能力をもった? 無茶を言う」

「無茶でもなんでも、そうしてくれ。あと、思考能力ならこの程度はいくらでもいるだろ」


 連続シナリオ《キャンペーン》にされてたまるか。今回のシナリオクリアはあくまで奇跡だ。『アイデア』のクリティカルを前提にプレイなどできるはずがない。


「わかった。RoDのシステム上、強制は無意味だからね」


 ルルはやっと引き下がった。僕はほっとした。


「……そういえば高峰沙耶香は大丈夫だろうな。彼女の助言が無ければ解決は無理だったからな。155の発表者の太田さん、だったかも含めておかしなことに気が付いていないよな」


 自分の安全が確保されたからか、他の人間に気を回す余裕が出てきた。念のため確認する。


「NPC経由の情報流出についてもちゃんとチェック済みだよ。発表者も自分の研究の価値には気が付いていない。…………あれ、おかしいな」

「どうした?」

「たった今『ターゲットID:DPC-G-34214』の情報が更新されたんだ。ランクがレアに上昇している。それに新しくターゲットが追加されているんだよ」

「はっ? 何で終わった案件のレーティングが上がるんだよ?」


 ルルが送ってきたハンドアウトを開いた僕は絶句した。そこには新たなるターゲットとして『高峰沙耶香』の名前IDが明記されていた。

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