第14話 ラスト・キーワード(後半)

「……膜電位感受性ドメインVSD?」


 『FRET』という手品じみた用語をやっと理解したと思ったら、つぎの『GeVIs』を説明するために、『VSD』という新しい専門用語が出てきた。


「Voltの中央にあって、GrowGrassとColRoseの二つの蛍光タンパクをつなげているVSDは、細胞膜に存在しています。そして神経細胞の表面、つまり細胞膜に電流が流れるとそれに合わせて立体構造を変化させるのです。いいですか……」


 高峰沙耶香は取り出したメモ帳にさらさらと模式図を書いた。Voltはいわば両端が緑と、赤に染まったCの字型のタンパク質だ。そのCの字型が、空いた部分を上に胴体部分で細胞膜に埋め込まれている。この胴体部分がVSDだ。


 神経細胞に電流が流れていないときと流れている時では細胞膜の内外の電荷が逆転する。その結果この中央のVSDが形を変えるらしい。


 VSDの形の変化により輪っかが閉じるようにGrowGrass尻尾ColRoseが近づく。結果、二つの蛍光タンパクの間で『FRET』が起こるようになる。それが高峰沙耶香が俺にした解説だった。


「つまり、こういうことか? 神経細胞に電流が流れていないときは、外からの紫外線レーザーのエネルギーにより普通にGrowGrassが緑に光る。だが、電流が流れるとGrowGrassとColRoseの距離が近づいて、GrowGrassのエネルギーが『FRET』によりColRoseに吸い取られる。結果として、電流が流れた時だけColRoseの赤い蛍光が発生する。これが、Voltによる神経細胞の電流をGeVIs《バイオイメージング》する仕組みだと」

「はい。そういうことです」


 FRETとGeVIs。二つの難解な専門用語フレーバーテキストの意味をやっと理解できた。この研究の主役『Volt』は呆れるほど複雑な分子機械だ。複数の生物キメラの遺伝子を組み合わせて作られ、その製造から配置まですべてが細胞の仕組みに組み込まれている。


 すべてが生物に由来しながら、同時にあまりに人工的、機械的だ。そのあり様に名状しがたい怖気を感じた。自分たち自身がよって立つ仕組みを、ここまで玩具のように扱うことに、そして扱えてしまうことに、その両方に本能的な恐怖を感じる。


「どうしました。まだ理解できないことがありますか?」

「いや、十分よく解ったよ」


 ……いまは人間臭い感傷は置いておかなければならない。謎は解けたのだ。


 つまりこの研究、Voltにはキーワード『395―503―632』の三組の波長しか存在しない。しかも今の説明でモデルが『RubyRed』を候補から弾いた理由もわかる。三種類のRFPの中でRubyRedの励起波長だけがGrowGrassの蛍光波長と大きく離れていた。つまりGrowGrassとRubyRedの間には『FRET』が起こらないのだ。


 今回の案件、あのモデル達に追加で与えられたキーワードがあるとしたら『FRET』だろう。


 なるほど。解けてみれば全てが明白だ。そうだな、俺だってこの最後のキーワードがあれば…………。って、解けるかこんな高度な謎かけリドル!!


 情報収集のみだから難易度低い?? どこがだ。やっぱりくそシナリオじゃねーか。あのRM《マスター》は素人プレイヤーに何を要求してるんだ。これ、解けたのは奇跡クリティカルみたいなものだからな。


 思わず天井を仰ぎ、そして天上のRMに唾を吐きたい気分だ。辛うじて踏みとどまったのは、俺を見る高峰沙耶香の視線があったからだ。あまりの理不尽に思わずロールプレイを忘れるところだった。


「コホン。正直驚いたよ。流石最先端の科学研究、すごいものだ」

「…………あいにくですが『FRET』はもちろん『GeVIs』も何十年も前から使われている技術です」

「そ、そうなのか。……残念、掘り出し物かと思ったんだが」


 いや、間違いなく俺は宝を掘り出した。キーワードの指定する研究は155番のVoltで間違いない。GrowGrassとColRoseが既知である以上、ターゲットである『遺伝子配列』はVoltの中央にある『VSD』だ。


 後はこのVSDがニューロトリオンとどうかかわるか解れば攻略は完了する。


 ボードを見ると、さっき俺が順番を譲った外国人の男が離れていくところだった。背後で見ていたピアスのモデルがさりげなくその後ろに続いた。つまり、あの外国人がもう一人のモデルだったということか。


 いいぞ、モデル同士で追いかけっこでも戦闘でもしてくれ。その間に、こっちはお前たちが獲得した情報を確認させてもらう。


「いろいろ助かったよ。取材を再開するとしよう。……君もついてくるのか?」

「この研究は興味深いです。黒崎さんのフィーリングも侮れませんね」


 高峰沙耶香はそんなことを言って、俺の横に並んだ。若いサイエンスの天才とVoltターゲットについて最も詳しい発表者の組み合わせ、出来れば避けてほしいところだ。


 だが彼女はあくまで自由な学会の一参加者だ。


 俺は高峰沙耶香に二枚目のカードの存在を漏らすようなことはしていないはずだ。発表者の太田が『世界設定しんそう』を知る可能性は限りなくゼロだ。もし知っていたら、このミッションは最初から成立していない。


 二枚目を持っていない限り、この二人が深層にたどり着くことはない。


 ならば俺が気を付けよう。幸い、さっきまでと違って何が危ないのかは大体わかっている。


「さきほどの続きを教えていただいていいですか」

「わかりました。ええっと……そう、ここからでしたね。Voltの性能が既存のGeVIsよりも優れていることが分かったので、私達は次にマウスの脳組織でVoltによる神経回路の測定をしました。その為にVolt遺伝子編集マウスを作成して……」


 説明は理解できた。要するに受精卵にVoltを組み込むことで、全ての細胞にVoltを持つマウスを作成する。そして、さっきのシャーレの実験と同じことをそのマウスの脳組織に対して行ったのだ。グラフには従来のGeVIsに比べて何倍もの数の神経の反応を測定できたことが示されている。


「素晴らしい感度ですね。FRETは微妙な分子間の距離や角度にも左右されますから、設計は大変だったのでは? 野生型ワイルドのVSDそのままじゃないですよね」

「はい、オリジナルの遺伝子配列にいくつか変異ミューテーションを入れています。ちゃんと光るのが出来るまで苦労しました。シミュレーションの助けを借りましたが、三十通りくらいは試しました」


 実に高度な会話が繰り広げられている。高峰沙耶香の『アレクサンダーメダル』の授賞理由や特許は分子デザインだったか。FRETを用いたGeVIsなんていう素人には想像もつかない分子機械も、彼女にとっては当たり前のものなのだろう。


「しかしIDを見ると変異VSDの配列は公開されていますね。論文前にですか?」

「実は最初は特許化IPしようって話もしていたんです。ただ、肝心の実験で問題が起きてしまって」


 太田が苦笑しながら指さしたのは最後のポスター。培養液に白い豆粒のような物が浮いている。


「脳オルガノイドですね」

「Voltを導入したヒトiPS細胞由来です。私達の最終目標は人間の脳ですから。ところがあちこちでおかしな反応が出ちゃったんです。それも、肝心の深部で」

「アーティファクトですか?」

「そうなんですよ」

「アーティファクト?」


 黙って専門家同士の話を聞いていた俺だが、突然出てきた言葉に思わず口をはさんだ。


「簡単に言えば電流が流れていない神経細胞で無秩序にFRETが起こったということです」


 俺の疑問に高峰沙耶香が答えた。ファンタジー用語かと思ったが、専門用語フレーバーテキストだった。要するにセンサーに擬陽性エラーが頻発するということらしい。


「別に珍しいことではありません。人間の脳の神経細胞は何百種類もあります。Voltに影響を与えるような遺伝子パターンを持つ細胞があってもおかしくないんです」

「実験者としては困りものですけどね。まあ生物は生ものですからこういうことはあります」


 高峰沙耶香が補足し、太田が苦笑した。一方、俺は内心ほっとしていた。


 VSDの『遺伝子配列』が公開されているなら、シンジケートは物騒なことをせずともVSDを入手可能ということだ。それは人類社会の未来にとっては由々しき事態なのかもしれないが、今の俺に気にしている余裕はない。


 ただでさえ、テストとは思えない難易度の仕事シナリオに放り込まれたのだ。


 それよりも気になるのは、Voltが“人間”の神経細胞でだけおかしな反応FRETを起こしたことだ。もしかして「存在しないはずの“何か”」に反応したんじゃないのか。


 二枚目のカードを持つがゆえの推測だ。電流だけでなく脳の神経が生み出すニューロトリオンによってVSDが形を変えるとしたら? その結果のFRETだとしたら、キーワードとニューロトリオンが完全につながる。


 つまり、この研究はニューロトリオン感受性ドメイン、『“N”SD』とでもいうべき『遺伝子配列』を偶然作り出してしまったのだ。これならすべてが説明できる。DPCの生体適合性パーツというカテゴリとも合致する。


「でもせっかくだからもう少し改良すれば」

「そこは研究費がですね。教授ボスには「俺の頃なら膜タンパクの結晶解析でいくらかかったか」なんて言われちゃいました。それにやっぱりこのアーティファクトがネックで」

「でも、さっきの外国の研究者と熱心に話してたじゃないか?」


 俺はフォローするふりをして水を向けた。


「さっきの人ですか? そういえば「もっと強いアーティファクトが出る配列はないのかって」変なことを聞かれましたね。うまくFRETを起こしたのはこの配列だけですし、仮にあってもそんなデータわざわざ取りません」


 太田は不本意そうに肩を竦めた。


 当たりだ。真っ当な研究者にとっては不具合アーティファクトであるこの現象は、二枚目のカードを持つ人間にとっては秘宝アーティファクトなのだ。


 モデルと研究、二つのターゲット情報は完全に把握した。何ならモデルは二人分だ。俺の探索は完全に成功と言えるだろう。


 二人は研究者同士にしかわからない話をしているが、内容はアーティファクトをどうやって軽減するかだ。つまり、シンジケートにとっては価値がない、いや価値を落とすような議論だ。


 俺は二人に挨拶してポスターから離れる。スタンドに上がり、もう一度155番の周囲を確認する。


 高峰沙耶香と太田に注目している怪しい人間はいない。さっきの二人のモデルも戻ってこなかった。


 念のため、高峰沙耶香がホールを出るまで追った。彼女には助けられたのだから、この程度のアフターケアはするべきだ。


 視線を戻すとき、ふと目に入ったのはエントランス近くの企業ブースだ。俺たちがいた時と違い、多くの人でにぎわっている。


 ブースには変わらずピカピカの機器が並ぶ。クラゲと珊瑚と人の神経で働く遺伝子を切り貼りして、神経活動センサーを生物自身に作らせる。ここの人間にとっては当たり前のことをするための機械だ。


 だが、それを見ているうちに、先ほど感じた不安が蘇った。“ただのバイオテクノロジー”ですらこれだけのことが出来る。ならそれにニューロトリオン技術が組み合わされればどうなる。


 首を振る。俺の仕事は終わった。後は会場を出てRMに報告するだけ。それで任務達成シナリオクリアだ。そして、お役御免だな。


 今回のテストシナリオではっきりわかった。僕にはこの仕事ゲームは無理だ。


 その結論を確認して、僕は日常とはかけ離れた舞台を後にした。




*****************************

Voltの説明についてはノートに模式図を張っておきますのでよろしければどうぞ。

https://kakuyomu.jp/users/norafukurou/news/16817330660537858353




参考文献:

遺伝子にコードされた膜電位センサーによる神経活動計測の現状と展望

稲垣成矩、永井健治

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