第14話 ラスト・キーワード(前半)

 学会という深く広大な地下迷宮ダンジョン。その300を超える部屋の中から候補を絞り込み、ついにターゲットの存在する宝物庫えんだいを突き止めた。GrowGrass《エメラルド》とColRose《ルビー》をあしらった宝物ターゲットは目前にある。


 だが、せっかくのお宝の前で、俺は立ちすくんでいた。


 前方にはターゲットを守る分厚い科学の壁、後方には敵兵モデルに挟まれているのだ。しかも、横にはさっき別れたはずの高峰沙耶香NPCまでが現れた。


「なにがわからないのですか」

「よかった。実はちょうど君の意見が聞きたいと思ってたところだ。っと、ここじゃ発表の邪魔だな、少し離れようか」


 俺はそう高峰沙耶香に促し、斜め後ろに1メートルほど下がった。ピアスのモデルは俺たちにちらっと眼を向けたが、すぐにポスター前で発表者と話している外国人に視線を戻した。


「それで、私の意見が聞きたいというのは?」

「あ、ああ、それは、だな……」

「どうしました?」

「いや、ちょっと意外だったからな。残業するタイプには見えなかった」


 軽口で時間を稼ぐ。高峰沙耶香は形の良い眉を顰めた。


「ちょうど近くの発表を見ていたら、棒立ちの黒崎さんを見つけたのです。……先ほどは私のせいで時間をロスしましたから、その分をと思ったのですが。無用ならそれで構いません」

「なるほど。いや、うん助かる。お察しの通り助言が必要だった。実は、さっきも発表者の人を困らせたところだ」


 さて、俺は何を聞きたいのだろうか。そして、それをどう聞くべきかのか。口を動かしながら、頭の中で必死に計算する。


 今のきわめて複雑で危険な情報戦は、いわば『ブラックジャック』だ。二枚のカードの組み合わせで得点を競うゲーム。一枚目のカードが『生物学サイエンス』で二枚目が『異能SF』だ。


 仮に勝利条件が得点20としよう、現時点の各人の得点見積もりは、



          『生物学』  『異能』

 俺のカードは   『3』     『10』    =13点。

 モデルのカードは 『10』    『K』     =23点。

 太田のカードは  『K』           =13点。

 高峰のカードは  『Q』           =12点。



と言った感じか。


 当然だが、このゲームで上がれるのは二枚目のカードを持っている者のみ。今のところそれは俺とモデルの二人、いや三人だけ。そして、おそらくだが最初に索敵した金色ピアスは、もう“上がって”いる。任務達成後に“別のモデル”の存在を知りもどってきた、そう考えなければ行動が説明つかない。


 俺の目的上、この二人のモデルが“上がる”ことは問題ない。問題は二枚目のカードを持つイレギュラーがいることを知られることのみ。


 これがいわば俺の『敗北条件』だ。


 これを避けるためには、俺は決して二枚目のカードを開示してはならない。一枚目のカードだけを開示し、現在の「3」から「10」に引き上げることで20点クリアを目指す。


 これが俺の『勝利条件』と言っていいだろう。


 この二つは両立しうるが、問題は俺の『手さばき』に不安がある点だ。一枚目のカードだけ開示するつもりで、うっかり二枚目を晒してしまった、が起こりえる。モデルの前でそれをやれば致命傷ファンブル、太田と高峰沙耶香に対しても可能な限り避けたい。


 NPCがうっかり得点20を越えると大変だ。この案件のレイティングがコモンからレアに上がり、Deeplayerによる監視から敵の行動強度まですべてが上昇する。脱出の難易度が上がり、最悪の場合は『戦闘パート』が発生しかねない。


 NPCに関しては、一番警戒すべきは太田だ。彼女は『Volt』について世界で一番詳しく、何より実物を抑えている。


 相談するのは高峰沙耶香がベストということになる。彼女なら俺が素人同然であることにも疑問を持たないというのも大きい。ただし、話を『一枚目サイエンス』に留めなければいけないのは同じだ。


「少し複雑なんだが。俺が分からないのは、あそこの動画の神経細胞が赤い蛍光を発する仕組みなんだ。そうだな、多分だけど、俺がGeVIsとFRETという専門用語を理解していないことが原因だ」


 少しだけ声を落とし、あくまで研究の話として質問する。もちろん「なんでColRoseの励起波長489がないんだ?」なんて直接的な聞き方はしない。モデルの耳に届くとまずい。相手の聴覚が人間と同じである保証はない。 


「なるほど、確かに黒崎さんの知識では理解できないでしょう。正しい問題認識です」


 高峰沙耶香はポスターを横目でちらっと見て言った。馬鹿にするというよりも感心したような顔になっているのが不思議だが、質問に違和感を持たれなかったようだ。


「この場合は……そうですね。GeVIsよりも先にFRETを説明しましょう。簡単に言えば『ColRose《RFP》』を励起させているのは同じ分子内にある『GrowGrass《GFP》』です」

「蛍光タンパク《GFP》が蛍光タンパク《RFP》を励起する、どういうことだ?」

「この実験でVoltの『GrowGrass』は紫外線レーザーで励起され緑色蛍光を発生します」

「ああ、最初からある緑の蛍光がそれだ」

「そうです。でも、見てください。中央のニューロンが赤くなった時、最初にあった緑色の蛍光が消えているのです」

「………………なるほど。そうだな、考えてみればおかしいか」


 ループ再生を繰り返している動画を見る。中央の二つ以外の周囲の細胞は緑の光のまま。そして一瞬赤く光った細胞も、すぐに緑にもどる。紫外線レーザーは常に当たっているということだ。ならば、GrowGrassの緑とColRoseの赤の蛍光が同時に発生して『黄色』に見えるはずだ。


 それが赤い蛍光だけということは、ColRose《あか》が発光しているだけではなく、GrowGrass《みどり》の光が消えているということになる。それも、電流が流れた神経細胞だけで。


「つまり発火中のニューロンではGrowGrassの発する496nmの蛍光が失われています。これがポイントです」


 これでわかりませんか、という顔で俺を見る高峰沙耶香。分かるわけがない。彼女と言い、ルルと言い専門用語フレーバーテキストに苦労しない人間はこれだから……。


 いや、待てよ。さっきの癌の免疫療法で聞いたことを考えれば……。


「そういえば『GrowGrass』の蛍光波長とColRoseの励起波長が近いな。つまり、GrowGrassの『蛍光』がColRoseを『励起』する、とか」


 半信半疑でそう答えた。


 『GrowGrass』の蛍光波長は【496】でColRoseの励起波長は『506』だ。その差10nm。そして、蛍光は数値を中心に山型の分布をする。つまり、GrowGrassの発する緑蛍光の範囲に、ColRoseの励起光がある程度含まれることになる。


「おおむね正解です。正確には共鳴によるGrowGrassからColRoseへのエネルギーの移転です。緑色の蛍光ではなくGrowGrassのエネルギーがColRoseに“吸収”されるイメージですね。これが蛍光F共鳴Rエネルギー《E》転移Tです」


 つまりVoltという一つのタンパク質の中で、頭と尻尾の二つの蛍光タンパク間の蛍光エネルギーが移動して、光の色を緑から赤にを切り替える。


 紫外線レーザー《396》 → GrowGrass《496》 → ColRose → 赤色蛍光632


 こういうエネルギーの流れが生じているということか。


「でも、それなら全ての細胞が赤く光らないとおかしくないか? どうして、電流が発生した細胞だけが赤くなるんだ?」

「FRETは二つの蛍光タンパクの距離が“極めて近い”ときしか生じないからです。そして、それが次の『GeVIs』の説明になります。一番上の構造模型を見てください。GrowGrassとColRoseの間に別のドメインが挟まっていますよね」


 高峰沙耶香はVoltの中央の灰色の筒を指した。細胞膜の中に浮かんでいる灰色の筒には『VSD』という記号が書かれている。GrowGrass《エメラルド》でもColRose《ルビー》でもなくこの地味な台座VSDが重要だと言いたいらしい。


「VSPはVoltage Sensitive domainの略で、日本語で言えば膜電位感受性ドメインです」


 二つの蛍光タンパクだけで手いっぱいだった俺が、あえて無視していた専門用語の登場だ。

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