第13話 ターゲット研究(後半)

「こほん。私達のラボの目標は脳の神経回路を、従来より詳細に観察できるシステムの構築です。簡単に言えば神経細胞に電流が流れたら光る分子センサーを作りたいわけです」

「分子センサー。光るってことは蛍光タンパクを使ってってことかな。例えば細胞周期の可視化みたいに」

「細胞周期……。ああFucciですね。細胞周期蛍光インディケーター。そうです。私達の研究は神経活動の蛍光インディケーター、つまりGeVIsの開発です」


 女性は大きく相槌を打った。GeVIsは概要にあったが、Fucciってなんだ? 専門用語フレーバーテキストを勝手に増やされてしまった。


「ニューロンの活動電位を可視化するGeVIsはこれまでも数多く作られています。でも脳は三次元に配置された膨大な数の神経細胞の塊です。その神経活動一つ一つを詳細にモニタリングするには感度も反応速度も従来のものでは十分じゃないんです。そこで我々が新しく開発したのがこの『Volt《ボルト》』です」


 主演を紹介するような動作で、女性研究者の手が一番上のポスターに向かった。手の動きに合わせて立体模型が正面に向き直った。俺の前にVoltの全容が明らかになる。それは三つの部分からなる遺伝子だった。そこから翻訳されるのは円筒が三つつながった形のタンパク質だ。


 先頭の円筒は緑色に塗られ『GrowGrass』と表記されている。中間の筒は灰色で『VSD』と描かれて細胞膜に埋め込まれている。そして三番目の筒は赤く塗られた『ColRose』。


 GrowGrass-VSD-ColRose


(なるほど、確かに『GrowGrass』と『ColRose』が使われているな。…………いや待て、何かおかしくないか?)


 お目当ての二つの蛍光タンパク質が登場してくれたのはいい。だが、なぜその二つが合体しているんだ?


 なるほど『GrowGrass』も『ColRose』も遺伝子だ。DNA配列なのだから二つだろうが三つだろうがくっ付けることは出来るだろう。核や細胞周期に関わる遺伝子と蛍光タンパクを繋げるのと、原理的には変わらないことは想像できる。


 だが、異なる色の蛍光タンパクを一つの遺伝子に二つも付ける理由は何だ? 蛍光タンパクは目的のタンパクXをマークするための発信機タグであるはずだ。一つの対象に二色を使う理由が想像できない。


 まずいぞ、どうも『生物学ロール』に失敗している気配がしてきた。


「ではVoltの機能を見てもらいましょう。こちらのポスターを見てください。Voltを導入した培養神経細胞です」


 落ち着け。これまでみたいに実際GrowGrassとColRoseがどう光るかを見れば何かわかるはずだ。


 次のポスターは黒い背景に尾の付いた星のような形の細胞がいくつも張り付いている。


 その特徴的な形から、俺にもそれらが神経細胞だとわかる。網の目のようにつながった十個以上の神経細胞は、すべて緑の光で縁取りされている。この緑の光がVoltの頭にある『GrowGrass』の蛍光だろう。


 そうか、Voltタンパクは灰色の中央の筒『VSD』で細胞膜に埋め込まれていた。縁が緑に光っているのは細胞膜に存在しているからだ。核で働くタンパクにくっつければ核が、細胞膜で働くタンパクにくっつければ細胞膜が光る。


「では動画を開始します。中央に並ぶ二つの神経細胞ニューロンに注目してください。ちょうど三秒後に電流が流れますので、お見逃しなく」


 言葉とともに画像が動き始めた。シークバーが3秒に到達したとき、中央の左右に並ぶ緑の細胞が赤く光った、そして二つの神経細胞の表面は、すぐに緑の光にもどった。


「スローモーションで流すとこうなります。左のニューロンが発火した後、それが右のニューロンを発火させる流れがはっきりわかると思います」


 色が変わる瞬間の前後を引き延ばした動画が流れる。まず左の神経細胞が緑から赤に変わり、次に右の神経細胞が緑から赤に変わる。そして、最初に赤に変わった左が緑にもどり、続いて右も緑にもどった。


「このようにVoltによって神経細胞の活動を高い時間的解像度でイメージングできます。これまでのGeVIsと比較して感度は1.3倍。反応速度は……」


 太田は次のグラフに進む。だが、説明が全く頭に入ってこない。次々と要求される生物学ロールに対応が追い付かないのだ。ここまでの二つの演題が、たまたま上手く行っていただけだと露呈した格好だ。


「ちょっと待ってほしい。少し頭を整理したい」


 この研究は最初の予想通り、神経活動バイオ可視化イメージングだ。つまり、神経細胞に流れる電流を蛍光タンパクで可視化している。今の動画は左の神経細胞から右の神経細胞に電流が流れる様子を表しているというわけだ。


 その形式としては、電流が流れていない状態の細胞は緑に光っていて、電流が流れる瞬間だけその光が赤に変わる。


 ここまではいい。


 問題はやはりVoltに二種類の蛍光タンパクがくっ付いていることだ。頭に『GrowGrass《GFP》』、尻尾に『ColRose《RFP》』だ。つまり、緑の蛍光はGrowGrass、赤の蛍光はColRoseからのはずだ。


 これらをまとめると、Voltというこの複雑なたんぱく質の機能は電流が流れていないときはGrowGrassが光り、流れているときはColRoseが光る。そう推測できる。


 ここまでで十分すぎるほど複雑。どうやったらそんなことが出来るのか理解不能だが、俺の疑問はもっと根本的で単純だ。問題は緑と赤の蛍光ではない。励起光、つまり細胞に当てるレーザーの方だ。


「確認させてほしいんだが。この神経細胞たちは、最初は全てが緑に光っている。この緑の光はVoltの頭にある『GrowGrass』の蛍光で間違いないかな」

「頭? ああ、N末のことですね。ええ、はい、そうですが?」

「ええっとだな。つまりだ……。ここに映った細胞は全部Voltが導入されていて、その細胞に『GrowGrass』の励起波長である395nmのレーザーが照射された状態で撮影が行われている」

「はい。その通りです」


 女性は頷く。俺の理解あしばは間違っていない。だが、それならばおかしなことがある。


「次に中央の二つの細胞だけが赤く光った。まず確認だが、この赤い光はVoltの尻尾についたColRoseの蛍光ですよね」

「C末……。はい、そうですね」

「ColRoseの励起波長は506nmだ。照射されている396nmとは違うだろう」

「ええっと…………。はい、ColRoseの励起波長は506nm、です」


 女性は最初のポスターを確認してから言った。なんでわざわざそんな細かい数字を覚えてるんだって顔になっている。直接数字を出したのは迂闊だった。


「ということは、この実験では最初から396nmだけでなく、489nmのレーザーも当てていると考えていいのだろうか」

「えっ? いえ、この実験で使っているのは395nmのレーザー一種類だけです。ええっと、VoltはFRETタンパクですから」

「フ、レット?」

「ええ、VOLTはFRETを使ったGeVIsです」

「ジェ、ジェビス……?」

「GEVIsはGenetically-Encoded Voltarge Indicatorの略です。日本語にすると【遺伝子として組み込み可能な電位センサー】ですね。ええっとFRETは日本語だと蛍光共鳴エネルギー移動、かな」


 また新しい専門用語が割り込んできた。それは日本語じゃない。生粋の日本人の俺が『解読ロール』に失敗している。


「ええっと、つまり神経細胞の電流がColRoseを励起させている?」

「えっ? いえそうではなくてですね。ああ、そう言えると言えば、言えるんですけど……」


 向こうも混乱し始めた。典型的なわからない人間に対したわかりすぎる人間の反応になっている。


 俺が聞きたいのはもっと単純なことだ。ColRoseの励起波長がどうして存在しないのかということなんだ。


 そう尋ねようとした時、脳に電流が流れた。もしも俺の脳にVoltが組み込まれていたら激しく赤く光っただろう。


 それは目の前の研究と、ハンドアウトの二種類の情報が融合した結果だ。最初に抱えていた違和感がある。ターゲットを現すキーワードは『三組の数字』だ。このキーワードが蛍光タンパクを指すなら、数字は基本的に二の倍数でなければおかしい。


 『GrowGrass』と『ColRose』ならキーワードは『396―496、506―632』でなければならないということだ。


 言い換えれば、ハンドアウトにはColRoseの励起波長が存在しない。そして、この実験にも存在しないのだとしたら?


 それは、目の前の研究こそが『ターゲット』であるということでないか?


 つまり、この生物学ロールさえ乗り越えれば、シナリオは解決する。ターゲットは目の前にあるのだ。そう考えた時、テックグラスの端に赤い警告シグナルが点滅した。


 これは、先ほどの索敵で記録したモデルの接近の合図か!?


 向かいの液晶ボードのポスターを順番に見ながら近づいてくる男が見えた。黒髪と金色のピアス。間違いなくスタンドで索敵したモデルだ。なんで戻ってきた。お前はもう正解ターゲットにたどり着いたはずだ。


 男は俺の背後、少し離れた場所でゆっくり振り返った。背後からじっとこちらを見る視線を感じる。まさか、自分と同じターゲットを嗅ぎまわるネズミに気が付いた?


 反射的に逃げ出しそうになる足を抑える。液晶ボードに映る背後の男を観察する。耳の金色のピアスの光を目印に男の視線の動きを追う。男の視線は俺から離れ、別の人間の後ろ頭に向かった。発表よりも、発表に近づく人間の頭部に着目していることが見て取れた。


 俺はいま基本スキルしか使っていない。DPCも持っていない。見つけることはできないはずだ。ならこいつは誰を探している?


 ルルの世界設定の説明が蘇った。シンジケートは三派に分かれ技術覇権争いをしている。つまりあいつとは別派閥のモデルが存在している可能性がある。


 俺はあいつを把握していて、あいつは俺を把握できない。圧倒的に有利なのはこちらだ。だが今の推測が正しければ、新しい問題が出現する。この周囲に俺が把握していない【モデルX】がいる可能性だ。


 どちらに見つかっても俺は終わりだ。何食わぬ顔で引き揚げるか。いや、さっきまで熱心に説明を聞いていたのに、モデルが現れた途端に場を離れるのは「お前に気が付いた」と教えるようなもの。


「シツモンイイデスカ?」


 固まっている俺の後ろから片言の声がした。ブラウンの髪の外国人らしき男性だ。


「ごめんなさい。まだこちらの方に説明中で」

「ソーリー。オワッ、タノカト」

「あ、ああ。ドント、マインド? ……いや、いまちょっと考えているんだ。お先にどうぞ」


 俺は場所を譲り、二歩斜め後ろへ下がった。二人は蛍光強度とかなんとかの話を始める。後ろのモデルの視線が今割り込んできた男に向かった。


 俺が何とか落ち着いて次の一手を考えようとした時、


「何が分からないのですか?」


 ビジネスライクな声と共に、隣に黒髪の美人が立った。さっき分かれたばかりの高峰沙耶香NPCだ。どうして君まで戻ってきた。


 君は知らないだろうけど、今ここはとても危険なんだぞ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る