第13話 ターゲット研究(前半)

 階段を降りて、ホールの奥に並ぶ液晶ボードの列へと向かう。黒一色だった電子の壁にはカラフルな写真や動画、そしてグラフや数式が表示されている。ボードの前には、赤い花のホログラムを参加証に浮かべた発表者が立っていて、参加者に向かって説明をしている。


 区画に入ると【撮影禁止】とテックグラスに表示された。位置情報とコグニトームの連携、いわゆるデジタルツインだ。そこに隠された三人目Deeplayerがいることを俺は知っている。


 モデルはいなくなったとはいえ不用意な検索や行動、何より積極的なスキル使用は控えなければいけないだろう。


 大事なのはあくまで“生物学”の範囲内で行動しているようにみえることだ。文字通り付け焼き刃の『知識:生物学』のロールが試される。しかも、ポスター発表は午後三時まで、現在が一時半前だから、半分しか残っていない。


 幸いなのは、ここまでの探索で候補を三つにまで絞り込めていることだ。



045:『三次元培養環境でのガン免疫療法の研究』

118:『膵臓のベータ細胞の再生医療における分化段階の多角的評価』

155:『VoltというGeVIsを用いた神経活動のinvivoモニタリング』



 三題とも『GrowGrass《グロウグラス》』というGFPが使われていて。045と118は『Rasp』、155が『ColRose』というRFPが使われている。十二個に絞った段階では一番多かった『RubyRed』は一つも残らなかった。対象が二組になったのは調べやすくなったと言えるかな。


 とはいえ、タイトルを見ても全くピンと来ない。特に最後155なんかは最悪だ。いや、俺の知識で悩むのは時間の無駄だ。総当たりできる数なのだから見た方が早い。


 俺は最初の発表の前に向かった。


 045番『三次元培養環境でのガン免疫療法の研究』


 発表者の前に五人の聴衆がいて、熱心に説明を聞いている。周囲と比べると明らかに盛況だ。注目されているのだろうか。少し離れ概要を見る。


 『GrowGrass』を導入した緑色のガン細胞と、『Rasp』を導入した免疫細胞を、3Dプリンターで作った疑似的な生体環境の中で立体培養することで、免疫細胞とガン細胞の相互作用とそれに薬剤が与える影響を観察するための実験系の構築。


 十年くらい前から癌治療の主役になった免疫療法の研究らしい。一番目立つのは赤と緑の細胞が写った連続写真。その横に、同じく赤と緑に塗り分けられたグラフがある。


 これまでの知識を総動員してポスターを見る。気分は古代遺跡の碑文に挑む冒険者だ。


 …………なるほど『緑色に光るGrowGrassガン細胞』を『赤色に光るRasp免疫細胞』が攻撃してるわけだ。緑色のサンゴ礁を食べる赤いウニの水槽を見ているようなイメージだな。となると横にある緑色の棒グラフはガン細胞の増減ということか…………。


 喫茶店に入る前の状況で見たら意味不明だっただろう。『文脈バイオイメージング』の基本がわかるだけで、やってることが大まかに分かるようになった。


 内心頷いていると、聴衆の一人が「PD-1を抑制したらどうなるの」と質問した。発表者は「予備的な結果ですが、オプジーボを投与した場合に免疫細胞によるガン細胞へのアポトーシス誘導が、アップします」と言うと、それまでは表示されていなかった新しいグラフを出した。


 俺以外がみんな頷いているところを見ると、彼らにとっては当たり前の知識なのだろう。ちょっとでも踏み込まれると途端に意味不明になるな。


 だが、俺の目的はこの研究を理解するというより、ここにターゲットである『遺伝子配列』が存在するかどうかの判定だ。聞いている限り『GrowGrass』と『Rasp』は単に異なる細胞をマークするために使われているようだ。組み込まれている二つの蛍光タンパクの遺伝子を見ても、蛍光タンパク遺伝子単体を細胞に入れている。癌細胞も免疫細胞も全体が緑と、赤に光っている。


 説明が終わったのか聴衆が離れていく。発表者が一人後ろに残っている俺を見た。内心の緊張を隠し、質問を組み立てる。


「ちょっと技術上の質問をしたいがいいだろうか。がん細胞をマークするのに『GrowGrass』、免疫細胞をマークするのに『Rasp』を使っているようなんだが」

「はい。そうですが」

「この二つの蛍光タンパクの組み合わせでなければいけない理由があるなら教えて欲しい」

「……いえ特には? しいて言えば実験の都合ですね。ここでは二色ですが、こちらの実験ではYFPを使って血管の細胞も見ているので、励起光の切り替えなく映像が得られます」


 なんでそんなことを聞くのかという顔で答えが返ってきた。テックグラスに置いておいた例の蛍光タンパク質のデータベース『アンプル』を確認する。なるほど、レーザーはその波長を中心に山形に分布するから厳密に一致しなくてもいいのか。


 俺は礼を言って発表から離れた。045番は可能性が低いと判断する。二つの蛍光タンパクが使われているのは間違いないが、それに関連する遺伝子が目につかない。二つの蛍光タンパクは別々の細胞に組み込まれている。これが根拠だ。


 もちろん、遺伝子の関連のパターンなんて俺に把握できるはずはないし、遺伝子らしき名前はポスターのあちこちに散らばっている。完全に否定できないのは仕方ないと割り切る。


 予行演習と考えれば上々の滑り出しだ。間違いなくピントのズレた質問をしているが、最低限言葉が通じている。


118:『膵臓のベータ細胞の再生医療における分化段階の多角的評価』


 045番と同じで『GrowGrass』と『Rasp』が使われている研究だ。二人の人間が聞いていた。タイトル通り再生医療の研究だ。マウスの体内にiPS細胞という万能幹細胞を移植して、その移植細胞が特定の種類の組織になったのかを『GrowGrass』と『Rasp』の蛍光で調べているようだ。


 導入した細胞はすべてGrowGrassにより緑に光るので、元々の宿主の細胞と区別できる。なるほど、こういう使い方もできるんだな。さらにその緑の細胞の中で目的のベータ細胞になった場合は『Rasp』によって赤く光る。


 要するに移植した緑色に光る細胞の中で、さらに赤く光ることで黄色になる細胞が目的の再生ベータ細胞、というわけだ。ちなみにベータ細胞は膵臓の細胞らしい。


 念のため、蛍光タンパクの選択の理由を聞いたが、やはり実験の都合ということだった。さっきと違って二つの蛍光タンパクは同じ細胞に入っているが、両者に関連する遺伝子は見られない。可能性が高いとは言えないな。


 残りは最悪と思った最後の155番か。この調子なら実際に聞けば何とかなるだろう。だめならもう一周するしかない。


 最後の候補の前には、二十台半ばくらいの女性が一人立っていた。黒髪のショートボブの丸メガネの女性だ。ゆったりとしたサマーセーターとスカートを着ている。眼鏡型のテックグラスは珍しい。ボードの表示から名前は太田幸子。愛知の大学に所属しているとわかる。


 聴衆はいない。少しやりにくいな。距離を確保したまま、さりげなくボードを見る。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

155:『VOLTというGeVIsを用いた神経活動のinvivoモニタリング』


 位置記憶などの高次脳機能は最低でも数万のニューロンが関わる複雑な現象です。その解析には従来の神経モニタリングツールでは限界があります。そこで我々は『Volt』を開発しました。

 Voltは従来のGeVIsと比較して高感度かつミリ秒レベルの活動電位をモニタリング可能であることを、培養細胞で示しました。さらにVoltを導入した遺伝子編集マウスの大脳皮質での同時多数の神経活動の測定に成功しました。

 今後の課題として、ヒト脳オルガノイドの深部モニタリングにおける精度向上を目指しており……。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 やはり、今までの中で一番手ごわい雰囲気だ。位置記憶、GEVIs、オルガノイド? 専門用語の羅列だ。


 とにかく、脳の研究なのだろう。バイオイメージングの文脈で考えれば、蛍光タンパクで脳の神経活動を視覚化しているに違いない。これまでの二つと同じように、蛍光タンパクがどう使われているかだけに注目しよう。


 一番上のポスターにある立体画像が主役っぽい『Volt《ボルト》』だな。何か微妙に傾いているが、正面に緑色に塗られた部分がある。そこに浮かぶ文字は、斜めで見づらいが『GrowGrass』だ。どうやらVoltというのはGrowGrassと何か神経関係の遺伝子の融合タンパクの様だ。


 となると残った『ColRose』はどこに……。


「よろしければ説明させていただきましょうか?」


 首をひねって他のポスターを確認しようとした時、発表者と目が合った。見つかったなら仕方がない。最後の生物学ロールのつもりで挑もう。

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