第11話 絞り込み
「最初に確認しておきたいことがいくつかある。さっき見せてもらったGFPやRFPといった蛍光タンパク質だが、この蛍光タンパク質の性質を示すのは『励起波長』と『蛍光波長』と考えていいだろうか」
学会の会場を見下ろすスタンド席で、俺は高峰沙耶香にそう訊ねた。
「そうですね。実験の目的や対象によっては
「OK。次の質問だ。その励起波長と蛍光波長だけど大体三桁の数字の範囲に収まると思っていいだろうか。確かGFPが『395』nmと『509』nm、RFPが『562』nmと言っていたが」
「はい。生きている細胞に当てる以上『励起波長』があまりに短い、つまり高エネルギーの光を照射することは悪影響を与えます。『蛍光波長』も人間の目で観察することから可視光範囲です。紫外領域の中でも生体ダメージが少ない380nmから、可視光域の中でも肉眼で検出しやすい650nmの範囲に収まります」
彼女は俺の質問に少し首をかしげた後、すらすらと答えた。
ここまではビンゴだ。俺の仮定は「ターゲットである『遺伝子配列』は蛍光タンパク質のものであり、ヒントである三つの数字はその蛍光タンパク質の種類を示す」というものだ。『394―496ー632』は三つすべて範囲内に収まった。
次はこの三つの波長の素性について、現段階で推測できることを確認する。
「蛍光タンパク質の『励起波長』と『蛍光波長』だけど。“励起”の方が“蛍光”よりも必ず高エネルギー、つまり波長としては小さな数値になると考えていいかな」
「はい。蛍光波長は励起波長のエネルギーから生まれますから、与えられた以上のエネルギーを放出することはできません。二光子顕微鏡のように二つの光子を同時に当てることで励起する場合は見かけ上の励起波長は半分になりますが、励起自体は二つの光子が重なった倍の励起波長で起こったと見なして問題ないでしょう」
まず三組の中で、一番小さな数値『394』は紫外領域だ。紫外線は人間の目では見えないし、励起波長は蛍光波長よりも短いなら、必然的に『励起波長』となる。同じ理屈で一番大きな数字『632』は蛍光波長、波長の領域的には『赤』の蛍光だと推測できる。
問題は真ん中の『496』だ。波長の範囲で言えば緑だから緑色の蛍光波長か。緑よりも波長の長い例えば赤の蛍光タンパクの励起波長か、どちらも考えられる。
394《レイキ》―496《レイキ/ケイコウ》ー632《ケイコウ》
数字が三つの組であるという問題も残っているが、まずはもっとも単純なパターンで行こう。
「午後のポスター発表の中で『新しい蛍光タンパク』を作り出した演題を絞り込むことはできるかな」
「可能です。ですが、ないと思います」
「…………理由は?」
「発表の日程分けです。バイオイメージングの研究対象は多岐にわたります。大まかに言えば分子レベル、細胞や組織レベル、そして個体レベルの三つですね。発表はこの順番で行われます。新規蛍光タンパク質の開発は分子レベルですから一日目。昨日終わっています。そうですね、昨日のポスターでなら五つほど該当する演題がありましたが」
「そ、そうなのか。……つまり、今日は細胞、組織レベルの研究ということだな」
いい感じだと思っていたのに、いきなり本命が消えた。蛍光タンパク自体がターゲットなら、数値的に一意に決まりそうだし、五つならこの後の展開的にもやりやすかったのだが。
方向修正だ。他の可能性としては、蛍光タンパクがターゲットの『遺伝子配列』が含まれる研究を指定する『タグ』になっているパターンがあり得る。つまり、この数字の組に当てはまる蛍光タンパクが使われた研究の中にターゲットの『遺伝子配列』が存在するという可能性だ。
「細胞や組織レベルというのは、さっきの展示ブースで見せてくれた細胞周期のような感じで、既存の蛍光タンパクを使って特定の遺伝子の働きや関係を調べるって考えればいいのかな」
「そうですね。基本的にそう考えて問題ありません」
「それらの蛍光タンパク質は、ツールとして販売されている。さっきのブースのような企業で」
「はい」
「そういった、既存の蛍光タンパクの励起波長や蛍光波長を調べることはできないかな。できれば、リスト化して一望したい」
「可能です。『アンペル』という蛍光タンパク専用のデータベースがありますから」
「アンペル?」
「ドイツ語で信号機という意味です。ドイツにある研究所が運営しているからでしょう」
「なるほど。ちなみにそのデータベースだが一般的なものと考えて大丈夫なものか?」
「ええ、ここの研究者なら使ったことがない人の方が少ないでしょう」
「…………そのデータベ―スから既存の蛍光タンパク質の励起波長と蛍光波長の一覧表みたいなのは出せるだろうか」
「今送ります」
テックグラスに現れたアイコンを開く。千以上の蛍光タンパクが並ぶ表だ。名前の欄を見るとSirius《シリウス》、Venus《ビーナス》と言ったしゃれた名前からAzami《あざみ》-Greenなんて日本人が作ったと想像がつくもの。Raspberry《ラズベリー》なんて美味そうな名前もある。
名前の横には色付きの欄に数字が降順に並ぶ。なるほど、紫からピンクまで『蛍光波長』順に並んでいるんだな。その横には励起波長も示されている。
監視のことを考えれば、直接数字を検索しなくていいのはラッキーだ。これなら順番に見ればわかる。俺は情報を確認していく。
まずは一番目の数字『394』。これが励起波長に対応する蛍光タンパクだが……。いくつかあるな。もし仮に次の数字である『496』が蛍光波長だとしたら……。よし、ぴったりのが見つかった。
『GrowGrass《グロウグラス》』というGFPだ。『394ー632』の組み合わせの蛍光タンパクは他にないから、このGrowGrassが
俺の直感が正しければ『394―496ー632』の中で『394―496』は『GrowGrass』というGFPを指しているということだ。
残った『632』だが、これは赤の蛍光波長の可能性が高い。念のために確認するが、リストには632どころか600以下の励起波長は存在しない。一方、『632』の蛍光波長をもつ赤色蛍光タンパク《RFP》は三つある。
どれも赤い光にちなんだ名前が付いている。
『ColRose』は『励起波長:506』で『蛍光波長:【632】』。説明には珊瑚由来と書いてあるから最初のColはコーラルの略だろうか。
『RubyRed《ルビーレット》』は人工配列から人工進化で作られたRFPで『励起波長:580』で『蛍光波長:【632】』。
『Rasp』は『励起波長:486』で『蛍光波長:【632】』。Rasp《ラスプ》というのはラズベリーの方言らしい。
つまり、俺の直感が正しければ『GrowGrass《396―496》』というGFPは確定。残ったRFP《632》は三つのうちのどれかだ。これで、無機質な数字の組が
394ー496 ― 632
『GrowGrass』―『ColRose』
―『RubyRed』
―『Rasp』
のいずれかの組み合わせに翻訳されたことになる。名前付きの歴史的な『宝石』の行方を追っている探偵っぽくなってきたな。無機質な数字よりもずっととっつきやすくていい。
後はこの三通りの
「今日のポスター発表の中から『GrowGrass』単独、あるいはGrowGrassと『ColRose』、『RubyRed』、『Rasp』の蛍光タンパクの両方を使った研究を絞り込むことはできるか?」
「それぞれの蛍光タンパクの遺伝子IDで検索すれば可能です。演題には使用した蛍光タンパクのタグが付いています。例えばGrowGrassなら<gID495959>ですね。ちなみにGrowGrassは蛍光強度が高いことからGFPの中でもメジャーですから……。100を超えます」
「それは回り切れないな。じゃあ、この三組のいずれかの組み合わせだったらどうなる」
「三組合わせて十二ですね」
007:アカゲザルにおけるBMIと神経細胞のインタラクション効率の改善のための。
045:三次元培養環境でのガン免疫療法の研究
103:線虫コネクトームの運動過程におけるネットワーク網羅的解析。
117:膵臓のベータ細胞の再生医療をGGとRF1を使って研究
122:ショウジョウバエの味覚記憶の形成におけるMed遺伝子の役割。
155:VoltというGeVIsを用いた神経活動のinvivoモニタリング
178:ヒト培養細胞に神経回路形成刺激を与えた時に発現するプロモーターの解析
………………
…………
……
テックグラスに表示された演題リストから、十二個の番号が赤く光った。絞り込んだタイトルだけをリスト化して並べた。もちろん意味は分からない。俺に分かるのは
『ColRose』絡み二題、『RubyRed』絡み六題、『Rasp』三題ということだけ。
「OK。ずいぶん絞れたよ。これでいけそうだ。取材候補はこの十二題に決めよう」
「…………蛍光タンパク質の組み合わせに焦点を当てる理由が理解できません。可能なら説明を」
高峰沙耶香は一瞬きょとんとした後で、問うてきた。そりゃ、今のやり取りで決まったといってもわからないだろう。
「うーん。実は最後はフィーリングなんだ。実際に見てビビッときたやつをってこと。素人の勘、とでも思ってくれていい」
「そんな非合理…………感覚的な基準でですか? いえ、確かに最初からそういう方針だと聞いていましたが……」
無茶苦茶なのは俺自身がわかっている。だが、純粋に『生物学』で絞り込むならこれが限界。いや、想定したよりも絞り込めた。
それは彼女が期待通り、いや以上の働きをしてくれたからだ。だからこそ、これ以上の“深層”をのぞかせるわけにはいかない。俺のためにも、そして彼女のためにもだ。
「ルルーシア氏には君の貢献は期待以上だったと伝える」
「つまり、私の仕事は終わりということですか」
「ああ、ここからは俺の仕事だ。ほら、もう約束の時間だ」
俺は時刻を指摘した。今は12:55。彼女の拘束時間は後5分だ。
「……わかりました。そうですね、私も夕方の準備をしなくてはいけません」
何か言いたげだった高峰沙耶香だが、表情を変えない俺にあきらめたように席を立った。俺は立ち上がって彼女を見送る。だが、階段に向かおうとした彼女は、振り返った。そして、少し迷ったあと口を開いた。
「一つだけ忠告があります。…………黒崎さんの知識レベルなら五つ、いえ三つくらいに早めに絞ることをお勧めします。ポスター発表は二時間しかありませんから」
「わかった。最初にざっくりと見た後で、君の忠告に従うことに努めるよ」
俺は頷いた。
階段の向こうに消えて行く彼女を見守った後、スタンドにもう一度腰を下ろした。
眼下の会場を見る。さっきまでガラガラだったポスター会場には、発表者らしい男女が集まってきている。真っ黒だった液晶ボードにも、ちらほらと明かりがともり始めている。
時刻は12時57分。発表開始まであと3分、次のステップに何とか間に合った。そして、彼女に言った通り、これからが俺の仕事だ。
優秀なアドバイザーのおかげで絞り込めたとはいえ、相手は最先端の生物学研究だ。彼女が危ぶんだ通り、十二個は候補としては多すぎる。いや、本当なら三つでもきついくらいだろう。
だが、今からの『探索』には手ごろな数だ。これから俺がやることはいわば索敵。つまり、この十二個の“地点”に網を張りモデルを見つける。そしてそのためにいよいよ
リュックサックからカロリーフレンズのコーヒー味を取り出す。口の中に薄いコーヒーの味が広がる。脳内にキーワードを浮かべ、キャラクターシートを呼び出す。
【―Cogito ergo sum―】
灰色になった視界の中で、それだけが色づいて見えるスキルコードの中から、一つを選択する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます