第9話 光るクラゲの照らす世界(前半)

「バイオイメージングとはその言葉通り、生命現象を可視化する技術を言います。具体的にはそうですね。……中学の理科実験で細胞核を観察しませんでしたか。タマネギを使うのが一般的だと思います」

「タマネギ。そういえばそんな実験をしたかな。顕微鏡で紫色に染まった丸い物体を見た記憶がある」


 喫茶店から出た俺は高峰沙耶香NPCと並んで歩きながら、彼女のレクチャーを受けていた。どこに向かうのかは知らされていない。実にエリートらしい時間重視のプレイスタイルとでもいうのか。


「広義にはあのタマネギの実験も一種のバイオイメージングです。核や染色体を色素によって視覚化することで生命現象、例えば細胞分裂などですね、これを解析するのですから」

「なるほど。思ったより身近な概念なんだな。でも、これだけの頭脳が集まって玉ねぎを染めてるわけじゃないだろう」

「はい。より厳密に言えば、バイオイメージングは“生きたままの生物”の中で“リアルタイム”に生命現象を”視覚化”する、という研究分野になります。それも分子生物学レベルで」

「分子生物学レベルとは?」 

「…………可能な限り簡単に言えば『遺伝子レベル』でということです。正確には、遺伝子の産物であるタンパク質の動向の可視化ということになります」


 可能な限り簡単があまり簡単じゃないのはともかく、彼女が一応こちらに合わせて説明しようとしているのは感じる。見た目の雰囲気通りの真面目な性格のようだ。


「生物を研究するんだから、遺伝子を生きたままの状態で調べようとするのは理解できなくもない。むしろ当たり前のことに聞こえる」


 分からないことは隠さない。俺の目的は、あくまで情報収集、その為に必要ならどれだけの恥でもかく。


「その当たり前のことが難しかったのです。黒崎さんの言う「光るクラゲのタンパク質」が用いられるようになる前は。それについては今から直接見ていただきます」


 高峰沙耶香は目の前に近づいていたホールの入り口を掌で指した。そこはさっき俺が空振りした場所だった。


 …………


 自動ドアを通ると、半分に切ったレモンのような高い天井の下、コンサートが開けそうな広さの長方形の空間が広がる。このホールは、バイオモニタリング学会の『ポスター発表』の会場だ。液晶ボードに表示された研究を、前に立つ発表者が説明する形式だ。ビルの口頭発表より簡易な形式だが、俺にとっては本命だからMAP確認の際にチェックしている。


 ただし、ポスター発表は午後一時から。現在は午前十一時半。ホールの奥に並ぶボードは真っ黒のままで人もまばらだ。俺が下見した時と変わらない。この状態で何を見せるというのか?


 「こちらです」と言って高峰沙耶香が向かったのは、奥のポスター会場ではなく、玄関を入ってすぐの綺麗に区画されたスペースだった。白い壁で仕切られたブースが密集しており、各ブースには企業ロゴが掲げられている。


 案内図によるとここは協賛企業の展示スペースだ。学会参加者に機器や試薬を宣伝する場だ。どう考えてもターゲットとは関係ないので先ほどは素通りした。こんなところで何をするつもりなのか。


 俺の疑問をよそに、高峰沙耶香は展示場の中央の通路を進む。そして、正面奥に陣取る、ひときわ大きなブースの前で立ち止まった。U字型のロゴは誰でも見たことがある企業のものだ。日本最大の製薬会社上杉UesuGi。科学技術機器部門の子会社だが、それでも堂々たる上場企業だ。


 中に入ると、周囲にはおおよそ何に使うのかわからないピカピカの機器が並ぶ。高峰沙耶香はその中を迷いなく進み、三十代くらいの女性スタッフに話しかけた。

展開がスピーディーなのはいいが、そろそろ説明が欲しいとことだ。


 …………


「そろそろ何をするのか教えてもらえるかな」

「最初に説明した通りです。バイオイメージングについて実際に体験してもらいます」


 満面の営業スマイルに見送られて戻ってきた高峰沙耶香は、俺を一台の機械の前にいざなった。双眼鏡のような二つの接眼レンズがついた一抱えはある装置だ。本体にはいくつもの筒やコードが連なっており、見た目からして厳つい。


「ずいぶん高価そうな機械だ」

「レーザー共焦点顕微鏡。バイオイメージング研究で一番使われる実験機器です。そうですね、この機種なら一台三千万円程度です。多光子タイプなら数億の機種もありますから、そこまでではないですよ」


 顕微鏡一つで家が建つ。金額に絶句する俺をしり目に、彼女は装置の横の扉を開いた。網目状の棚に並ぶシャーレの中から一つを取り出し。レーザー何とかの台の上に置いた。


「これを見てください」


 彼女と入れ替わりで、顕微鏡の前に座った。美人の温かさが残っている椅子。だが、余計なことを考える余裕は俺にはない。無免許で高級車のハンドルを握らされた気分だからだ。


「例の中学の実験の話だ。実は顕微鏡のレンズの先でカバーガラスを割ったことがある」

「セーフティーが付いているから大丈夫です」


 ロールプレイを壊さないギリギリで不安を伝えるが、あっさりと躱された。恐る恐る接眼レンズ? を覗き込む。両眼で焦点を合わせるのに苦労しながら、眼を開閉していると、黒い視界の中にたくさんの緑色の水玉模様がみえた。


「何が見えますか?」

「緑色に光る水玉模様だ。そういえば、さっき隣のビルで似たようなのをいくつも見たな」  

「黒崎さんが見ている緑の丸一つ一つが培養細胞の核です。タマネギの実験のような細胞の外から加えた染色液ではなく、細胞に導入されたGFPによって生きたまま視覚化されています」


 日本人が発見したGFP。それを直接見ていると思うと一種の感慨がある。だが今やってるのは理科の実験でも社会見学でもない。純然たる情報収集だ。


「生きたまま、リアルタイムで、分子レベルでというのがバイオイメージングとやらの重要ポイントだと言っていたな」

「はい。まずこの緑の光はGFP遺伝子から生産されたGFP、つまり緑色蛍光タンパク質のものです。GFPを用いる最大の利点は、生命の基本原理であるセントラルドグマに組み込むことが可能であることです」


 テックグラスに表示されたアイコンに視線を合わせる。『GFP gene』と書かれた二重螺旋から『GFP mRNA』が転写され、そのmRNAに従ってアミノ酸だったか、が並んでいく。アミノ酸の連続で作られる数珠は、編み物のように絡み合い、やがて灰色の立体模型が出現した。

 その立体模型には、GFPタンパクと表示されている。


 遺伝子の転写、翻訳ってやつだよな。生命の設計図であるDNAから実際に生命活動を担うタンパク質が出来る過程だ。流石にこれくらいは常識だ。


 出来上がったGFPタンパク質は、レトロな編み篭のような、あるいはファンタジーのランタンのような形をしていた。そして、その籠の中心にまるで燈心のように飛び出た構造が強調されている。


「GFPの中心にあるのが『発色団』です。これはGFPの65,66,67番目の三つのアミノ酸が組み合わさって出来ます。この発色団は395nmの紫外線を吸収して、509nmの緑色光を放出する性質を持ちます。このレーザー共焦点顕微鏡は、細胞に紫外線レーザーを当てることで細胞内のGFPタンパクを励起させ、そのGFPから発生した緑色蛍光を検出する仕組みになっています」


 編み籠状のGFPタンパクの立体模型に紫色の光が当たり、GFPの中心から緑色の光が発生するアニメーションがARで表示された。


「要するにGFPというのは紫外線を吸収して、緑色の光を出す性質をもったタンパク質で、この細胞はそれを自前で作っているから紫外線を当てただけで光る。だから生きたまま見ることが出来る。そういう理解でいいのか」

「はい。重要なのはGFPがタンパク質単独で蛍光を発する性質を持つことです。つまり、GFP遺伝子を組み込むことで大腸菌から人間まであらゆる生物で蛍光を発生させることが出来ます」

「なるほど。ちなみにこの細胞は?」

「人間の癌由来の培養細胞ですね」


 元はクラゲの遺伝子が他の動物や植物の中で普通に光る。考えてみれば不思議だが、生命共通のシステムに組み込まれるというのは、そういうことなのだろう。


「また、GFPは他の遺伝子を標識マークすることが出来ます。これによってありとあらゆる遺伝子の動態を視覚化する『タグ』として用いることが出来きます。つまり、ありとあらゆる生物の、ありとあらゆる遺伝子を――」

「ちょっと待ってくれ。タグ? 悪いが意味が分からない。もう少し詳しく頼む」

「そうですね。…………遺伝子というのは、その全てがATGCという4種類の文字で書かれています。ですから、ある任意の遺伝子の配列の後ろに『GFP』の遺伝子配列を繋げれば、その遺伝子とGFPの融合タンパク質が作られます」

「文章のコピペみたいなことが出来ると。いや、3Dプリンターの設計図同士のコピペみたいな感じだろうか?」

「いささか乱暴ですが、そう考えていいでしょう。この『GFP融合タンパク』は元々のタンパク質に蛍光を発するGFPが結合した形で、一つのタンパク質として翻訳されます。今見ている細胞のGFPは核だけにありますよね。実はこの細胞に組み込まれたGFPは単体ではなく、核で働く『ヒストンの遺伝子』との融合だからです。仮にGFP単体なら光は細胞全体に広がります」


 新しいアイコンがテックグラスに現れる。視線を合わせるとヒョウタン、あるいは西洋梨のような立体模型が表示された。よく見ると、ヒョウタンの上の方はさっきのGFPだ。ヒョウタンの下の部分であるヒストンが、DNAを現す二重螺旋にくっつくと。結果として、GFPがDNAから突き出しているような配置になる。


「つまり、今見ているのはGFPの蛍光を通じてDNAに結合するヒストンという別の遺伝子産物タンパクを見ているということか。で、同じことが他のあらゆる遺伝子に対してもできると」

「そうです。例えば細胞のどこで働くかわからない『遺伝子X』があったとします。X-GFPという形で融合遺伝子を作り細胞に導入してやれば、GFPの光で遺伝子Xが細胞のどこで働くかわかります。例えばそのX-GFPがミトコンドリアに集まればX遺伝子はエネルギー生産に関わる機能を持つ可能性が高いと推測できます」


 なるほど。確かに発信機タグだ。


 それも、ありとあらゆる生物の、ありとあらゆる遺伝子に使える、その上生きたまま観察できる。確かにタマネギの染色とは得られる情報量がけた違いだろう。


「次は、もう少しだけ複雑な例を見ていただきます。生命現象は単独のタンパク質がバラバラに働いているのではなく、多くのタンパク質の相互作用によって引き起こされます。つまり、GFPという1種類の蛍光タンパク質だけでは不足します。したがって、多くの研究では、複数の色の蛍光タンパクを組み合わせて使います」


 高峰沙耶香はそう言うと、次のシャーレを取り出した。どうやら今のシャーレは前菜だったらしい。


 結構食いでがあったとおもうが。

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