第8話 ロールプレイ開始

「つまり、高峰さんはルル、……ルルーシア氏から雇われたと」

「はい。あなたの取材に同行、科学技術関係のアドバイスをする事になっています。今から三時間の間だけですが」


 突然現れた年下の黒髪美人は、契約コントラストIDを開示した。黒崎亨のIDで認証すると、内容が完全開示される。契約者はルルーシア、職業はコグニトームリソース投資家。間違いなくRMの偽装身分カバーだ。


 つまり、彼女はルルが差し向けた『お助けNPC』ということだ。一人用ソロシナリオでは、プレイヤーキャラだけではカバーできない必要技能を持ったNPCの登場は定番といえる。だが、そういった気を利かせるなら利かせるで、もう少し穏当な人選は出来なかったのか。


 向かいの席に座った本来は女子高生の娘の、そのピカピカの経歴を改めて確認する。


 彼女の名前は高峰沙耶香。年齢は本来の僕より二つ下の17歳。まず一目でわかるのが、かなりの美人だということだ。


 背中までのセミロングの艶やかな黒髪。女性の平均くらいの身長のすらっとした身体に、スーツの上からでもバランスの良さが想像できる胸とお尻のライン。きっちり揃えられた前髪の下に、整った目鼻立ちと細い顎。アーモンド形の大きな目が美しさと愛らしさを共存させている。


 一緒に歩けば、さぞ人目を引くだろう。言うまでもないことだが、密偵が美女を連れていていいのは映画コンテンツの中だけと決まっている。


 そして、彼女について最も特筆すべきステータスは容姿APPではなく知性INTだ。二歳年下にもかかわらず同じ大学一年生。つまり、二年飛び級している。教育制度上、中学生までは例外なく同じカリキュラムだから、高校を一年で卒業しているということになる。


 ちなみに所属は東京科学大学院大学。円形に埋め立てられた新東京区に立つ、リングサークルと呼ばれる最高ランクの教育機関群の一つだ。要するにSEAMの牙城に、二段飛ばしで入学している。


 いや、彼女はそんなただの天才ではない。紫色の文字で強調されているのが『アレクサンドリア・メダル』保持者という称号だ。コグニトーム科学財団の科学コンテスト入賞を意味する。このメダルの持ち主は、日本でも数人じゃなかったか。


 メダル授与は二年前だから15歳。生化学部門で最優秀賞。それに関連した特許IDを複数持っている。


 高校の時に、TRPG仲間が「これこそAPP18の美少女だ」と騒いでいたのを思い出した。その美少女がそのまま美人に向かって成長した姿が、まさか目の前に現れようとは……。


 あまりにけた違いのステータスに呆れ、残りを流し見していた時だった。一つの項目に目が留まった。


『83―58―86』


 目を引いたのはそれが三つの組の数字だからだ。確かハンドアウトの『遺伝子配列』のヒントも三つ組の数字だった。もしかして何か関係があるのか? でもあっちは三桁だったよな。


 んっ? 単位がセンチメートル。そして、その三つの次に書かれた数字の単位がまた二桁で、単位はキログラム……。


 これ、身体的データの項目だ。つまり、スリーサイズじゃないか。なんでこんなものを開示しているんだ。そりゃ、自慢したいくらいの見事な数字だろうけど…………。んっ? そういえば『メダル』あたりから文字が半透明っぽい紫色になっている。


 これ、明らかに非開示設定のデータが”丸裸ハッキング”にされているじゃないか。


「なにか?」

「いや、失礼」


 思わず彼女と数字の整合性を確認してしまった。僕の視線に気づいたのか、彼女の表情は警戒心に染まっている。


「コホン。ええっと高峰さん、とお呼びしていいかな。高峰さんはアドバイザーとして派遣された」

「そう説明しました」


 明らかに心証が悪化している。悪いのは僕じゃなくてRMだ。


 とにかく、彼女はRMから派遣された『お助けNPC』ということだ。ソロプレイヤーの手助けをしてシナリオを円滑に進めるための専門技能持ち。学会という高山で遭難していた僕には必要な存在だろう。


 だが、問題が二つある。


 TRPGにおける『NPC』つまりノン・プレイアブル・キャラクターの定義は、シナリオ内でGMが操作するキャラクターすべてだ。だがRoDは現実世界が舞台。『NPC』はもれなく生身の人間になる。


 つまり、ノンプレイヤーとはプレイヤーではない『ルールブック』を持っていない人間を意味する。【ニューロトリオン】のことを何も知らないということなのだ。


 TRPGならNPCが何も知らない“設定”でも問題ない。GMの操り糸に従ってシナリオ上必要な行動が期待できる。だが、彼女は僕にアドバイスするように言われているだけ。


 要するに、僕がこの天才女子高生、もとい女子大生をうまく使いこなす必要がある。超の付くSEAMエリートを当人の専門領域でだ。


 二番目の問題は「敵に自分の存在すら感知されないまま情報収集シナリオを終える」という僕の最優先事項にとって、彼女が大きな危険因子であることだ。


 もし、このいやというほど目立つ娘がシンジケートに目を付けられたら、そこから僕の存在が知られかねない。『主人公役プレイヤー1』じゃあるまいしヒロインを守って戦うなんてシナリオ展開は御免だ。


 レベル1の僕には自分すら守る力はないのだから。


 要するにこの高峰沙耶香、ちょっと扱いを間違えただけで、お助けどころかシナリオ難易度を上げる爆弾になりかねない。


「そういえば、突然の依頼だったと思うけど、よく引き受けたね」


 僕の沈黙にいぶかし気な目を向けている彼女にとりあえず聞いた。ルルはどうやってこのエリートを動かしたのか。この子の動機を知っておいたほうがいい。


「報酬として私の研究に必要なコグニトームリソースを提示されました。急な話でしたが、もともとこの学会には参加することになっていたのです。夕方に自分の発表がありますので」

「…………なるほど。それで十三時までの時間限定ということか」


 RM的には参加者を使った方が不自然じゃないという感じか。それにしても十七歳で学会発表ですか。もう驚く気にもなれない。


「ルルーシアさんの意識の研究に関しての見解がとても興味深かったのもあります」

「確かにルル……ーシア氏は色々特別だからね」


 天才同士、さぞかし興味深い会話が成り立っただろう。


「はい。ルルーシアさんの意識に関する考え方は独特で……。いえ本題にもどりましょう。黒崎さんは取材のためにどのようなアドバイスを必要としているのでしょうか。最初にそれを教えていただかなければ仕事が出来ません」


 冷や汗が背中を濡らす。こちらはさっきから「何が解からないのかも解からない」という劣等生のロールプレイ中だったのだ。ハンドアウトの情報からどこまでを彼女に伝えるべきかすら決められない。


 取り繕うようにカップに口を付けた。ぬるく、不味い液体を涼しい顔で飲み込む。もちろん、問題は全く解決しない。こちらを見る黒くて大きな瞳は、アイスコーヒーの温度だ。


 どうしてこの程度の温い演技しか出来ないんだと、心が焦る。


 だけど、仕方ないだろう。


 突如巻き込まれた非日常。放り込まれた高度な舞台。そして自分よりもはるかに優秀なNPCの押し掛け。こんなのどうやって対応しろっていうんだ。


 そもそも現実でロールプレイなんて無理げーなんだ。僕はあくまでTRPGが好きなだけの平凡な大学生で……。


 …………んっ? 僕は? いま、僕は、僕のことを、僕と呼んでいたか?


 半分になったカップを見る。黒い液面に天井のライトによって照らされる男の影が映る。キャラに合わせてワックスで上げた髪形が、自分でも見慣れない。


 ふと考えた。この黒い影は誰だ?


 非日常的な事態に突如巻き込まれ、慣れない場所に放り込まれ、その挙句に高峰沙耶香ギフティッドにビビっている。それは一体どんな人間キャラなのか。


 決まっている。それは僕、白野康之だ。突出した才能はなくスコアのまま大学生をやっているいつもの僕だ。


 そう、今までの僕は断じて黒崎亨ではなかった。そのIDを持ってるだけのニセモノだ。


 “僕”にとってロールプレイとはキャラクターシートを持っていることではない。ロールプレイとは、その世界の“自分”であることだ。自分が決めた自分キャラクターに責任を持つということだ。


 何の才能もない人間のささやかな趣味であっても、いやだからこそTRPGプレイヤーとしての僕の、それがプライドだったはずだ。


 そうだ、舞台がエリートの祭典だろうとNPCが天才だろうと何の関係がある。これがTRPGシナリオだというのなら、いつも通りに黒崎亨ロールプレイをすればいい。


 黒崎亨オレは密偵だ。戦士系のように直接的な戦闘能力は高くない、魔法系のように能力自体が特別でもない。だからこそ発想と工夫で立ち回る。そんなロールプレイを最大限生かせる役割、それこそが密偵なんだ。


 そして、密偵にとって最大の見せ場こそが情報収集だ。未踏破ダンジョンだろうと、近未来の地下研究所だろうと、目的である情報を獲得して生還するのが役目だ。

未知の場所に潜入するなんて当たり前のこと。今回はそれがたまたま学会というだけだ。


 急ぎの依頼だったために事前の情報収集が足りていないのは問題だが、科学のプロである必要なんて最初からなかった。俺はいつも通り情報収集のプロであればいい。

黒い液面の黒い影が不敵に笑った気がした。


 嘘みたいに混乱ノイズが消え、頭が澄んでいくのを感じる。自分が誰かを認識した脳が状況に合わせた振舞いを自然に組み立て始める。


「我々の雇い主、ルルーシア氏はコグニトームリソース投資家だ。つまり、彼女は自分が権利を持つ計算能力リソースを投ずるべき対象を探している」


 自分に言い聞かせるように設定を確認する。ID管理を除いたコグニトームの計算能力は投資対象であり、莫大な価値を持つ資産だ。その資産の運用をする富裕層を、リソース投資家という。


 ちなみに普通の人間にとっては雲の上の話に、高峰沙耶香は当たり前のように無言でうなずいただけだ。


 いいさ、そうでなければ頼りにならない。


「コグニトームによって企業の財務指標からの現在価値などの今の分析は機械任せで済む。所持している特許ポートフォリオから近い未来に生み出しうる価値もある程度は推測可能だ。つまり、問題はそのさらに先の未来に関する情報だ。つまり、俺が取材するのは『将来バイオ分野で利益を生む技術のシーズ』ということになる」


 経済の講義の記憶を探り、情報収集者としての信念を交え、それっぽいことを自信ありげに語って見せる。


「で、君への要請だ。まずこの学会の『バイオモニタリング』という分野自体について概要が知りたい」

「わかりました。ではまず黒崎さんの知識の程度を教えてください」

「一般人と同じと思ってほしい。実は、光るクラゲがどうしてノーベル賞か理解できてない」

「…………つまり最低限の知識もないということですか」


 硬質な言葉の棘。俺は大げさに両掌を天井に向けて応じた。冷たい目が注がれた。さっきまでなら気後れしただろうものだ。だが、情報収集の第一は情報ターゲットが存在する場、つまり文脈を把握することだ。


 情報というものは、あくまで文脈の中にある。それを掴まない限り何も始まらない。


「ルルーシア氏は色の着いていない生の情報を望んでいる。だからこそ素人の俺が雇われていて、そして専門家の君を俺に付けた」


 自分の鼻を指さして言った。我ながらよく言うな。本当はRMがバランス調整をミスったと思っているが。


「…………わかりました。その次の段階は?」

「概要が分かったら次は午後のポスター発表で取材する研究演題について候補を絞るつもりだ。その時にいくつか質問することになるだろう。まずはここまでだ。さて、君の契約時間内である残り二時間半で、これを片付けることは可能だろうか」


 試すような俺に、高峰沙耶香は顎に指を当てて少し考える。そして立ち上がった。


「時間がないので歩きながらバイオイメージングについて最低限の基本を説明します。その後で実物に触れてもらいます。私の考えではこれが最初の問題に対する最適解です。ただし、理解できるかどうかは」

「俺に掛ってるってわけだ。いいだろう。こう見えてもわりとお勉強は得意なんだ」


 レクチャーはともかく実物? まあいい、まずは専門家のお手並み拝見といこう。問題が起これば都度修正アドリブすればいい。


 筋書きのない、いや筋書きを作るゲーム、それが俺の仕事TRPGだからな。

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