第7話 エリートの祭典(後半)

 テックグラスに今回の依頼書ハンドアウトを表示する。


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ターゲットID:DPC-G-34214

カテゴリ:DPCの生体適合に関わる遺伝子配列

レーティング:コモン

研究キーワード:『394―496―632』

場所:第52回日本バイオモニタリング学会2日目ポスターセッション

補足:該当研究とディープフォトンの関係を認識した人物が出た場合、情報秘匿のため拉致を推奨する。止むをえない場合は殺害も許可する。その場合の処理についてはDeeplayerを通じて連絡する。

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以下が『インビジブル・アイ』に提示された『シンジケート』からモデルへの案件です。あなたの使命は以下の二つです。

1,ターゲットである『遺伝子配列』の特定、それに加えて該当研究と【ニューロトリオン】の関連を調査すること。

2,この案件に対して派遣された『モデル』を特定すること。

以上の二つの情報を獲得、依頼者である私、ルルーシアに送信することでシナリオ達成となります。


注意:シンジケートは『Deeplayer』を通じ学会周辺のコグニトームを監視しています。よって、不用意なネットの使用は感知されるリスクを伴います。また、上記のデータは現時点の情報であり、モデルはこれ以降に追加される情報を活用することが考えられます。

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 昨夜のRM《ルル》の説明によると、シンジケートは『Deeplayer』というコグニトームを裏側から監視する仕組を持っている。そして、それを使って自分たちの【ディープフォトン】技術の開発に有用であったり、あるいはディープフォトンの存在に気が付いてしまいそうな研究および研究者を探している。


 研究あるいは研究者が見つかったら『インヴィジブル・アイ』に登録され、情報の奪取や秘匿を行うためにモデルが派遣される。それが敵の業務形態ということだ。


 現実とネットの連動を『デジタル・ツイン』という。位置情報GPSに合わせて映る宣伝や、街の片隅に住んでいるポケットサイズのモンスターなんかだ。だが、デジタルの方にもう一人の隠れた双子がいたわけだ。近代フランスが舞台なら『三銃士』という名の『四人パーティー』が活躍しそうなシナリオだが、現代なら完全なディストピアだ。


 冗談を考えている余裕なんてなかった。


 このハンドアウトからわかるように、仕事のターゲットは二つ『遺伝子配列』と『モデル』だ。まず遺伝子配列の方だが、『カテゴリ』と『ターゲット』から【DPC】に関連する遺伝子であることが分かる。そして『三つの数字の394―496―632』がその遺伝子配列を示すヒントということになる。


 一方、『モデル』についてはほぼノーヒントだ。ただし、この案件のレーティングが『コモン』であることから、報酬が低いので最低ランクのモデルしか関わらない。


 シナリオのクリア条件はこの『遺伝子配列』と『モデル』の情報収集だけに限定されている。研究がシンジケートに渡るのを防いだり、モデルを倒したりする必要はないということだ。これは一番大事なポイントだ。


 ついでのように最後に付け加えられている「拉致、殺害」という文字。見ただけで背筋が寒くなる。現代ではまずありえない凶悪犯モデルと接触する可能性は極限まで減らす必要がある。


 つまり、優先すべきは『遺伝子配列』で決まりだ。こちらとあちらの共通のターゲットである『遺伝子配列』を見つけることが出来れば、それを監視することで比較的安全に『モデル』を見つけ出すことが出来るからだ。


 さらに言えば、『遺伝子配列』を研究している研究者にも、自分がニューロトリオンなんかに関わっているなんてことは知らずに終わらせたい。見も知らない科学者エリート様を守ろうなんて正義感ではもちろんない。モデルの行動が過激になってはこちらの危険が上がるのだ。


 よし、ここまでは大丈夫だ。TRPGの『探索パート』で僕がいつもやってきた流儀だ。問題は、その探索が超高難易度であることだ。


 まずこの学会で発表される『演題』のどれにその『遺伝子配列』が登場するのかを絞り込まなければならない。一応は『午後のポスター発表』と絞り込まれてはいるが、それだけで演題数は300を超える。


 ヒントはキーワードだけ。それも『三つの数字の394―496―632』という無味乾燥なもの。必要な知識系のスキルが存在しない。その上、下手にネット検索をすれば藪蛇になる。おまけに、モデルはターゲット情報の更新によってこちらよりも明らかに有利。


 となると、残された手段は人間経由ヒューミントなんだけど……。


 周囲の参加者たちを見る。


 会場の前で見たのと同じくバラバラの服装の男女だ。学術集会という名称が想像させるよりずっとフランクな雰囲気だ。同じくらいの年代の人間も珍しくない。なのに誰一人として同じ世界の住人と感じない。ここにいるエリート様はあのキラキラした研究を理解できるのだ。


 そんな連中にどうやって話しかける。「あの緑と赤のアメーバ綺麗でしたね」って感じか? 間抜けすぎる、多分アメーバじゃないし……。


「気の利いたGMならお助けNPCを出すべき難易度だぞ。何がテストシナリオだ……」


 思わずぼやいた。円形のカップに黒いさざ波がたった。一口も飲んでなかったコーヒーを口に運ぶ。酸味が喉に突き刺さった。食欲を無くす単語ハエが周りを飛び交っているからではなく、冷めてしまったからだ。


 残りを飲む気にもなれず、カップをテーブルに置いた時だった。


「あなたが『黒崎さん』ですか?」


 背後から突然の誰何すいかが掛かった。背筋に冷たい汗が流れる。なんで今朝えたばかりの『名前』を知っている。まさか早くも敵に見つかった? 気が付かないうちに致命的失敗ファンブルをしてたってのか。


 恐る恐る顔を上げて声の主に振り返った。


 背後に立っていたのは、紺のスーツを着た黒髪の女の子だった。大人びた格好だが、顔には少しあどけなさが残る。本来の僕よりも一つ二つ年下、女子高生くらいの美人だ。


 アイドルグループで二番人気の、一番綺麗な子という表現がしっくりくる容姿の持ち主は、こちらの胸元に冷たい視線を向けていた。


「あ、ああ。そうだけど」


 かろうじて頷いた。名札には『黒崎亨』の名前がある。隠せば余計に怪しい。

突然現れた若い美女は礼儀正しく会釈して、


「初めまして。私は高峰沙耶香と言います。ルルーシア氏からの依頼で、黒崎さんの取材のアドバイザーを……」


 その美貌に相応しい怜悧な表情で、彼女は僕に自分の役割ロールを紹介した。

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