第14話(終)
ほんとうに、と翠は朱音の横を歩きながら短くため息を吐いた。
「なんとかならないわけ、それ」
翠の言葉に朱音がむっと眉根を寄せる。
「感情表現は大事でしょ?」
「学校ではやめてほしい」
そう言って翠はあたりをきょろきょろと見回した。不安そうなそのそぶりのあと、翠はなにかを確認して安心したのかほっと息を吐いた。
「なに?」と朱音が問う。
「昨日のあれ、だれも聞いてなかったみたい」
よかった、と心底安心した様子でいる翠の横で朱音はぐるりとあたりを見ながら微笑む。
「だれも聞いてなかった、ってわけじゃあ、ないと思うけどなあ」
「え?」
翠が首をかしげる横で、朱音はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「あたし昨日めちゃくちゃ勉強したんだあ」
今日のテストは自信ある、と話題を変えた朱音の姿を翠は不思議そうに見つめた。なんだか上機嫌なように見える。
「どうして今日はそんなにやる気に満ちてるの」
「今日は、じゃなくて今日から」
「だから、なんで」
翠の問いかけに朱音は楽しそうに答えながらふりかえった。セーラー服のスカートがひらめく。
「翠と一緒の高校行きたいもん」
「…………」
私の行きたいところも知らないのに? 翠は思ったが、せっかくの彼女のやる気をそぐようなことは言うまいと考えて口を閉ざす。
「あと、勝ちたいから」
「…… だれに?」
「翠がひとめぼれしたひと」
翠は一瞬首をかしげそうになって、それから思い出す。そういえば前にそんな話をした。というかまさに、それが原因で言い合いになったのだった。あのときはおたがい必死だったはずだが、今考えるとそんなことですれ違っていたのがばからしい。自身の唇に無意識に浮かんでいた笑みに、朱音が「なに?」とけげんそうな顔をしたことで気づく。
「べつに、なんでもない」
「笑ってたじゃん」
「なんでもないって。…… ていうか気づきなよ」
肩をぱしんと軽い力で押されて、今度は朱音が首をかしげた。どこかすねたような表情で先を行こうとする翠の背を、朱音はいそいで追いかける。
「えっ、もしかしてそういうこと? ―― ねえ、待ってよ翠!」
後ろから追ってくる朱音の気配に、翠もまた、足を速めた。それを見て、また朱音が足を速め、最後はもうほとんどかけっこのようにして、ふたりは校舎のなかに入っていった。
二日目の試験の後は通常授業で、そのあとにはそれぞれ部活動がある。野球部の活動を終えて帰宅した翠が階段を上がっていくと、翠の部屋の隣にある紫の部屋のふすまがタンと音を立てて開いた。
「これあげる」
「なに?」
紫が手渡してきたのは何枚かのプリントが収まったファイルで、翠は首をひねりつつも受け取った。
「私が一年と二年のときに受けたテストの問題用紙だけまとめてある。五教科だけだけど」
「そりゃ助かるけど…… なんで今このタイミング?」
もう少し早く渡してくれたら今回の試験に役立てることができたのにと思いつつ聞くと紫は「さっき見つかったから」と口にする。
「それ使ってあの子と勉強したら」
そう言い残して、姉は部屋に引っ込んでしまった。翠も部屋に戻って渡されたファイルを見ると、たしかに試験の問題用紙だけがファイリングされている。このまえはあんなことを言っていたくせに、なんだか知らないが急に協力的だ。前の時のように、まただれかになにか聞いたか聞かされたかしたのだろうか。というか、あのときは黒田に聞いたとか言っていたが紫は朱音の兄の空とも仲がいいのだから、そこから情報がもれている可能性もあるわけで……。いや、というかむしろ、筒抜け、なのでは?
そこまで考えて、翠は自身の顔にかあっと熱が集まってくるのを感じた。
ずっとふたりだけの秘密であると思い込んでいたが、転校してきたばかりの白川にもすぐにばれてしまって―― 黒田だって、てっきり朱音がばらしたと思っていたが黒田自身もわかられるほど、自分がわかりやすかったのかもしれない。
翠はそこではたと気づく。今朝がた朱音が言った言葉。
『だれも聞いてなかった、ってわけじゃあ、ないと思うけどなあ』
…… まさか、そういうことなのか。自身と朱音の仲を茶化す男子も、仲良いよねと笑いながら話す女子たちも。みんながみんな、ではないだろう。しかし……。
「あいつッ……」
知っていたのか、朱音は。いったいいつから。
じわじわと熱くなってきた顔を翠は両手でぎゅっとおさえた。それから畳の上に倒れこむと、はあ、と息を吐きながらあおむけになった。
明日、どんな顔で学校に行こう。
「…… まあ、いいか……」
いいということにする。これ以上考えてもなにも変わらない。
「宿題やろ……」
翠はゆっくりと立ち上がって、机に向かった。
淡々とニュースが流れる筒井家のリビングを、朱音がせわしない足取りで駆け抜けた。洗面所に飛び込むと、先に鏡の前にいた兄が呆れたように言ってくる。
「高校生にもなって朝から騒がしいなあ」
「一本早い電車で行くこと忘れてたの。ねえ、終わったんなら早くどいてよ」
「ああ、待ち合わせ? もうちょっと待って」
鏡の前で身だしなみを整える空をせっつくがまったく場所を明け渡してくれそうな気配はない。
「どうせ短いんだからそんなことしたってたいして変わんないよ」
「こっちのせりふ」
無理やり鏡の前に割り込もうとすると、ここ数年でぐっと大きくなった体躯で押し返される。
「そっちこそどうせゴムでまとめちゃうんだから必要ないじゃん」
近頃見た目を気にするようになった空と、鏡の前でやり合うのは朱音にとって日常茶飯事になった。
駅までは入学祝いに買ってもらった自転車で向かう。母は白や明るいブラウンを推していたのだが、好きな色にしたらと言われて結局黒にした。通学用に買ったかばんも、教科書の量を加味して大きめのスポーツリュックだ。こちらも自転車同様、色は黒。
ホームに列車が入るアナウンスを聞きながら改札に駆け込むと、翠が毎度のことながらあきれ顔で朱音を迎える。
「待ってるこっちがはらはらする」
「でも、間に合ってるでしょ?」
息を切らしながら言えばため息で返される。ホームへ滑り込んできた電車へ乗り込むと同時に、背中やら肩を押されてあっという間に翠と朱音はすみっこへ追いやられる。つま先同士を合わせて揺られていると、ふと翠が口を開く。
「髪は結局どうするの」
「髪?」
「短くするとかしないとか言ってたじゃん」
「あー」
たしかにそんな話をした。朱音は左右に結んだ自分の髪を引っ張った。
「翠はどっちがいいと思う?」
問いかけに翠は間髪を入れずに眉根を寄せる。
「朱音が自分の過ごしやすいと思う髪形にしたらいいじゃん」
「そうだけどー」
相変わらずの調子の翠に向かって、今度は朱音がため息を吐いた。
「もういい。…… そういえば翠、今度の大会に出るの?」
朱音が話題を変えると翠は「うん」とうなずいた。
「部員少ないからね」
「あたしも試合見に行きたかったなあ」
翠は高校でソフトボール部に入った。ソフトボール部に限らず大会があるのはほとんど授業のある平日で、中学の時もそうだったのでなんだかんだで朱音は翠の出ている試合を見たことがない。
「大人しく授業受けな。吹奏楽部もそのうちコンクールあるんでしょ?」
「あるけど、でもあんまり成績悪いと出られない」
言うと、翠が小さく噴き出した。朱音がすかさず軽い攻撃を繰り出すと、彼女は「ごめんごめん」と笑いながらも謝罪した。
「がんばれ」
他人事のように言ってかばんのなかから本を取り出し読み始めた翠にもう一度攻撃をするが軽く受け流され、そのままその手を握られる。めずらしい、と思うが声には出さないでおく。
朱音は外の景色に目を向けた。青空と田畑の間を吹き抜けるさわやかな風が、どこまでも続いていくようだった。
終
翠と朱音 水越ユタカ @nokonoko033
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