世界で一番幸せな恋の話

茜ジュン

世界で一番幸せな恋の話

「その本、しってる! おもしろいよね!」

 はじめて話した日のことを覚えている。

 小学生のころ、朝の読書タイム。先生に注意されたくないからと適当な児童文学を開いていたら、隣の席にいた君は瞳を輝かせながらそう言ったね。

 でも「そうでもないよ」と返したら、ちょっとしょんぼりした顔をしていたね。


「これ、キミのだよね? そこに落ちてたよ」

 君がハンカチを拾ってくれたことを覚えている。

「ありがとう」と言って受け取ったら、君は「どういたしまして」と笑ったね。

 お礼を言われて嬉しそうな君のことを、少しだけ「かわいい」と思ったんだ。


「あっ、また同じクラスなんだ。よろしくね」

 クラス替えの日のことを覚えている。

 また隣の席になった君は、ひらひらと控えめに手を振ってくれたね。

 慣れない教室に見知った顔があって、実は少しだけホッとしたよ。


「おはよう! 今日も頑張ろうね!」「バイバイ。また明日」

 いつからか、君と挨拶を交わすようになったことを覚えている。

 朝は「おはよう」、帰りは「またね」。

 それほど親しい間柄じゃあなかったけれど、君は日常風景に溶け込んでいたよ。

 欠かせない存在ではなかったけれど、当たり前の存在にはなっていたよ。


「キミ、随分背が伸びたよね。今どれくらいあるの?」

 中学に上がってしばらくした頃、制服姿の君がそう訊ねてきたことを覚えている。

「一緒にいる友だちより背が高いから目立つね」と笑う君のほうこそ、昔より随分身長が伸びたね。

 こっちだって、君の姿は遠目からでも見つけられるようになったよ。


「英語がヤバい、赤点ギリギリ……ねえ、勉強教えてくれない?」

 中間試験の結果を手に、青い顔でお願いしてきた君のことを覚えている。

 君は本が好きなわりに、意外と勉強が苦手だったね。

 思えばあの時から、二人で一緒にテスト勉強をするようになったんだよね。


「キミは志望校、どこにするの?」

 高校受験が翌年に迫ったある日、向かいの席で勉強してきた君に聞かれたことを覚えている。

 決めかねていた候補のなかから適当な学校名を答えると、「えっ、キミもあそこなんだ!?」と君は表情を輝かせたね。

 君がそう言わなかったら、二人一緒に赤本を買いに行くことなんめなかっただろうね。


「合格おめでとう。やっぱり、キミはすごいね」

 合格発表の日、いつも通りの笑顔をみせようと必死だった君のことを覚えている。

 悔し涙を堪える君のほうこそ、すごい努力を重ねてきたはずなのに。

 また君と同じクラスになりたかったよ。自分の番号より先に、君の番号を探してしまうくらいには。


「あーーーっ!? 久しぶりだね、元気だった!?」

 覚えているよ、街中で一年ぶりに君と再会したあの日のことは。

 だって、君が知らない誰かと仲睦まじげに歩いてきたんだから。

 その人が君のきょうだいだったと知ってどれだけ安堵したかなんて、君は知る由もなかっただろうね。


「やっぱりキミと話すと落ち着くよ。『いつも通り』って感じがする」

 人気の喫茶店でお洒落なコーヒーを飲みながら、君がそう言ったことを覚えている。

 君から『遊ぼう』のメッセージが届いた時、なぜだかものすごく嬉しくなったよ。

 制服は別々になったけれど、君の笑顔は相変わらずだったね。


「今日はお招きありがとう! すごく楽しみだよ!」

 君を高校の文化祭に招待した日のことを覚えている。

 学校のなかを案内していたら、悪友連中に「デートか~?」なんて茶化されてしまったね。

 君はすごく恥ずかしそうだったけれど、なぜか普段よりテンションが高かったね。


「キミと同じ大学に合格出来たら、付き合ってくれないかな?」

 まるで似合わない真剣な調子で、君がそう持ちかけてきたあの夜を覚えている。

「嫌だよ」と即答したら、君は世界の終わりのような顔をしていたね。

 でも、景品みたいに扱われるのは嫌だよ。

 もしも君が合格出来なくたって、君の恋人にしてほしい。

 君よりも真剣な声でそう告げると、君は顔を真っ赤にして俯いたよね。

 結論から言えば、「もしも」の時のことなんて考える必要はなかったみたいだけれど。

 だって君はあんなに苦手だった英語で満点をとるくらい、本気で頑張ってくれたんだから。


「おはよう。今日からまた同じ教室に通えるね」

 大学生になった君がそう言ったことを覚えている。


「今日はあそこに行ってみようよ!」

 恋人になった君が、あちこちのデートスポットに連れていってくれたことを覚えている。


「この本、きっとキミが好きだと思って買ってきたんだ」

 誕生日プレゼントにずっと欲しかった本を贈ってくれたことを覚えている。


「卒業したら一緒に住もうよ」

 簡単にそう言った君に、簡単に「いいよ」と答えたことを覚えている。


「美味しい! キミってこんなに料理上手だったっけ!?」

 慌てて覚えた手料理を褒めてくれた日のことを覚えている。


「電気を消し忘れたくらいでそんなに怒らなくたっていいじゃないかあっ!?」

 些細な出来事で大喧嘩した日のことを覚えている。


「おはよう。今日はどこへ行こうか?」

 君と同じベッドで目覚めた休日のことを覚えている。



「キミのことを一生幸せにします。僕と、結婚してください」

 ――君が誓ってくれたことを、私は一生忘れない。



 覚えているよ。君とはじめて話した日のこと。

 優しくてどこか頼りない君のこと。

 私より身長が高い君のこと。

 誰よりも私を好きでいてくれた〝あなた〟のこと。


 仕事で疲れて帰って来ても、「ただいま」と笑うあなたのこと。

 休みの日は昼過ぎまで眠っているあなたのこと。

 産婦人科で苦しむ私の手を握ってくれたあなたのこと。

 生まれてきた新しい命を私ごと抱き締めてくれたあなたのこと。


 いつも私たち家族のことを一番に考えてくれていたね。

 子どもたちを叱る私の姿に子どもたちよりも怯えていたね。

 反抗期の息子と大喧嘩をしていたこともあったね。

 娘の結婚式で周りが引くくらい号泣してたね。


 また二人きりに戻っても、やっぱりあなたはあの頃のままで。

〝君〟の笑顔も〝あなた〟の笑顔も私は好きで。

 私は皺が増えたけれど。あなたは白髪が増えたけれど。

 それでもやっぱり、私はあなたのことが大好きで。


「今までありがとう――愛しているよ」

 あなたの最期の言葉を覚えている。

 小さな病院の一室で、私の両手からあなたの手のひらが滑り落ちた。

 振り返ればはじめてのことだね。あなたが私に嘘をついたのは。

 あなたがいなくなったら、私は「一生幸せ」じゃないもの。


 それでも覚えているよ。あなたが世界中の誰よりも私を愛してくれていたこと。

 私が世界中の誰よりもあなたのことを愛していたこと。

 私が終わる日、泣きながら私の手を握る愛しい我が子の名前さえ思い出せなくなっても。

 あなたが私を幸せにしてくれたことだけは覚えているよ。

「一生幸せ」じゃなくっても、「世界一幸せ」だったことは覚えているよ。


 あなたと過ごした日々は全部、まだ昨日のことみたいに覚えている。

 地味で平凡な毎日だったけれど、私は誰よりも幸せだった。

 生まれ変わったら、また〝君〟と一緒に過ごしたいな。

 朝は「おはよう」、帰りは「またね」って。

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