後編
鬼塚アキラ、21歳。電気工事士の父親と専業主婦の母親を持ち、5歳上の兄と6歳下の弟に挟まれた長女。家族関係は良好だが、現在は実家を離れて一人暮らしをしているため日常的な交流はない。
小さい頃から腕っぷしが強く、同時に気も強い性格だったため、中高生の頃は毎日のように誰かと殴り合いの喧嘩をしてはその全てを制してきた生まれついての暴れん坊。一方で、他人に頼られるのが好きで面倒見も良いため、単なる乱暴者として周囲から嫌われているというわけでもなく、むしろ男女ともに慕う者は多い。
──それが、この体が覚えている”オレ”の人物像だった。
「好都合だぜ。たまたま運良く手に入れた”容れ物”が、こんなに強い体だなんてな」
大学の敷地を出て、オレの家へと歩みを進めながら、俺は拳を握りしめて呟いた。
昨晩、何もなかったかだって? 何も起きないわけがないだろう、あそこは噂だけの心霊スポットじゃない。無念、怨念、そういう悍ましい闇の吹き溜まりだ。実際のところ、オレ以外の連中が無事だったことすら奇跡みたいなものだと言える。あいつらはもっとオレに感謝した方が良い。
「もっとも、あいつらが感謝すべき相手は今ここに居ないんだけどな……!」
あの団地から出て自由になることをどれほど夢見ていただろう。もはや叶うことはないだろうと諦めていたが、まさかこんな形で実現することになるとは。俺もオレには感謝しておくべきか。こんな良い体を貸してくれてありがとう、俺が責任を持って有効活用してやる。
とはいえ、やはり他人の体というのは多少違和感がある。俺が目的を果たす為には、万全の態勢を整えたい。焦りは禁物だ、今はこの体で活動することに慣れるべきだろう。折角のチャンスを逃したくはない。目的を果たす前にうっかりもう一度死ぬなんて絶対に御免だ。
「……つーことは、しばらくはここが俺の城ってわけだな」
ボロボロというほどではないが、誰がどう見ても綺麗とは評価しない薄汚れたアパートの前で足を止め、俺は3階の隅にある一室へと目を向ける。アパート入口の郵便受けには、「301 鬼塚」という手書きの表札が貼られていた。実家を出たオレが家賃の安さと学校への距離だけで選んだ後、大きな不満もないまま住み始めて2年を過ぎた「我が家」である。
どうでも良さそうなチラシがささった郵便受けを無視して階段を上り、301号室の扉にポケットから取り出した鍵を挿す。昨晩、この体を手に入れてすぐにこの家に「帰って」きた。だから、オレの家がどんな空間なのかも、俺は既に知っている。
だが、扉を開けて改めてその光景を目の当たりにした俺は、昨晩と同じかそれ以上に深く溜息をついてしまった。
「……きたねぇ!」
脱いだ服が脱いだまま放置され、ゴミでパンパンに膨らんだゴミ袋は何故か縛るだけ縛って山積みになっており、フローリングにはうっすらと埃が積もっている。これが若い女の住む家か? こんな有様では落ち着こうにも落ち着けない。これからしばらくは俺の拠点になる場所だ、こんな惨状を放置しておくことなど出来るだろうか。
「くそっ! なんなんだこの段ボールは! 家の前に収集所があるのに何故捨てない! こっちはなんだ? 化粧品か? おい、マジかよ。このペットボトル、中にふわふわした何かが……げえっ、カビじゃねぇのかこれ!? 信じられねぇ、全部捨ててやるからな!」
散らかり放題の家を掃除しながら、俺は思わずそう叫ぶ。こうでもしないと、こんな面倒くさいことはやっていられない。何をどうしたらここまで散らかるんだ、あの廃団地の方がまだ綺麗だったぞ、生者が幽霊よりも淀んだ場所で生活するんじゃねぇ。
ひとまず寝室の床に綺麗な空間を作り、ゴミ袋の山が崩れてくるのを心配しながら腰を下ろす。さっきは良い体を手に入れたと思っていたが、前言撤回だ。ろくでもない女の体を借りてしまった。出来ることなら目に映るもの全てを処分して綺麗な新品に入れ替えたいくらいだ。
「……まあ、やらねぇけどな、それは」
俺は壁に立てかけられた姿見へと目を向け、今の自分がどんな姿をしているのか、改めて確かめた。俺とは似ても似つかぬ、目付きの悪い女の姿がそこにある。恐らく、生前の俺がオレと同じ学校に通っていたら、極力近づかないように過ごしていたことだろう。
だが、俺は知っている。オレは野蛮で喧嘩っ早くおまけに掃除の出来ないろくでもない女だが、腕っぷしだけでは敵わないであろう幽霊なんてものに襲われてもなお、後輩を守るために体を張れる大した人間だということを。
「オレは俺のことをろくでもない奴だと思ってるんだろうな。まあ、それはあながち間違いじゃねぇけどよ」
姿見に映るオレの顔を見ながら、返事があるわけでもないとは分かっていながら、俺は鏡の中のオレに語りかける。
「何年前かな、俺もあの廃団地に行ったんだ。ダチと一緒で……確か全員で5人だったか。そんで全員あそこで死んだ。もちろん普通の死に方じゃねぇ。死体が見つからないから今でも俺たちは行方不明者扱いさ。あそこで死に、今ここに居る俺だけが、死んだあいつらが今も地獄みてぇな思いをしていることを知っている」
だから、俺にはやるべきことがある。
「あそこに蔓延る連中は、誰もが生きた人間の体を欲している。だから体を奪い合い、最後には壊しちまう。感謝してくれよ、誰よりも先に体を奪ったのが俺だったから、オレの体は五体満足のままあの廃団地を出られたんだ」
だが、俺だけ助かって良かった、で済ませるつもりはない。
「不服だろうが力を貸せ、鬼塚アキラ。俺は俺のダチを解放するために、あの廃団地を地獄に変えている元凶をぶっ壊す。体を返すのはその後だ。それまで俺はオレとして生きてやる」
そして、あの廃団地で未だ置き去りにされているオレの魂をこの体に還し、代わりに俺は死人らしく消えてやる。文字通り命懸けでダチを守りきったオレには、それくらいの褒美があってもいいはずだ。
「あそこは地獄みてぇな場所だ。災難だな、全く。だが俺が体を乗っ取るしか助かる方法はなかった。だから恨んでくれるなよ。俺はずっとその闇に耐えてきたんだ、オレにもきっと耐えられるはずだ」
俺は鏡に向かってそう告げると、埃で汚れた膝を叩きながらゆっくりと立ち上がった。
鬼塚アキラの災難を終わらせるためにも、俺は、俺の目的を果たさねばならない。
鬼塚アキラの災難 桜居春香 @HarukaKJSH
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