鬼塚アキラの災難

桜居春香

前編

 行きたくもなかった心霊スポットに連れて行かれた挙句、そこにたった1人で置き去りにされた人間がどんな考えに至るか、馬鹿な彼らには全く想像できていなかったのだろう。

 オレが話しかけても多少驚きつつヘラヘラと謝るばかりで欠片も警戒しなかった馬鹿が、今は鼻血を出しながら地面に倒れ伏している。そんな姿を見下ろして、俺はじんじんと痛む右拳をさすった。

「昨日の件はこいつでチャラにしてやる。もう二度と、面倒な遊びに誘うんじゃねぇ」

 聞こえているんだか聞こえていないんだか、足元の男は血だらけの手で鼻を抑えながら涙目で頷いている。まあ……仕返しはこの程度で良いだろう。正直なところ俺は、こいつのことをそこまで恨んじゃいない。が、それはそれだ。落とし前はきっちりつけさせないと、今後も舐められるからな。いくら馬鹿でも、これだけやれば考えを改めるだろう。

「さて、これでお礼参りは終わりか。大学生の男が3人も揃ってこの始末とは、情けねぇ。格好つけるなら最後までやれってんだ」

 そもそも、事の発端は昨日の夕方。足元に転がっているこいつと、さっき同じように殴り倒してきた2人の馬鹿男どもが、同じサークルの後輩である女子2人を交えてだらだら駄弁っていたところまで遡る。

 どうも3人の馬鹿男のうち誰かが、後輩のどちらかに片思いをしていたらしく、詳しいことはよく分からないが、ともかく、その後輩に格好良いところを見せたかったのだろう。夏ということもあり怪談の話題で盛り上がった流れから、その格好つけたがりな馬鹿は急に「肝試しへ行こう」と言い出したらしい。

 そいつが目的地として挙げたのは、オレたちが通う大学と同じ地域にある廃墟群だった。元々は公営団地だったが、借金を苦にした一家心中事件の発生を皮切りに「よくないこと」が頻発するようになり、解体工事すら進まず放置されている曰く付きの場所だ。

 そこは地元民の間でそれなりに有名な心霊スポットであり、肝試しに誘われた後輩たちもその場所を知っていたらしい。当然、そんな怖い場所には行きたくないと拒否するのだが、吊り橋効果でも狙っているのか、男どもは揃いも揃って引き下がらず、いくら馬鹿とはいえ仮にも先輩が相手では後輩たちも強くは拒めない。しかし、だからと言ってこんな馬鹿どもと一緒に肝試しなど行けばどうなるか分かったものではない。そうして困った後輩の1人、岡野が助けを求めた相手というのが、「バイト先が同じで連絡先を知っており、同じ大学に通う先輩であり、少なくとも馬鹿男どもよりは頼れるマトモな人物」……つまりオレだった。

 オレに反省すべき点があるとすれば、岡野から連絡を受けた段階で3馬鹿どもを抑えて後輩たちを帰そうとしなかったことだろう。もしそうしていれば、実際に心霊スポットまで行くことも、あまつさえオレがそこに取り残されることもなかったはずだ。

 だが実際のオレは、「後輩たちを連れて行くためにお前もついてこい」と目で訴えながら「邪魔だけはするなよ」とも言いたげに睨む馬鹿男どもと揉めるのを嫌がり、いざとなればオレが後輩たちを逃がせば良いか、という甘い考えで彼らの肝試しに同行してしまった。

 ああ甘い、甘すぎる。だからあんな目に遭ったのだ。しかし、今さらそれを言っても仕方がない。現に俺は今、あの廃団地から帰ってこれたのだ、それだけで良しとしよう。

 そんなことを考えていると、足元で倒れていた男が不意に口を開いた。

「鬼塚、お前、置いていったのは悪かったけどよ、マジで何もなかったのか?」

「どういう意味だ、それは?」

「だってよ、ほら、俺らが逃げ出したのって、物凄い量の足音に囲まれて追い回されたからじゃねぇか。俺はよ、マジで幽霊が出たんだと思って、やべぇと思って、気づいたら走り出してたんだよ。そしたらお前、いつの間にか居ねぇじゃん。俺らほんと、終わったと思って、もうダメだと思って帰ったわけよ。でもお前いま、普通にしてんじゃん。あんな足音してて、何もないわけないだろ」

「ああ、お前ら馬鹿男どもは、あれだけ後輩相手に見栄張っておきながら我先に逃げ出したからな。オレがわざわざ最後尾で後輩たちを庇いながら逃げてたのも見てないわけだ。何もなかったわけないだろ。あの団地に幽霊は本当に居るし、オレらは間一髪、たまたま運良く助かっただけだ。これに懲りたら二度と心霊スポットになんか行くんじゃねぇ」

 俺がそう言って拳を握ると、足元の馬鹿は咄嗟に顔を庇うような姿勢で身構えた。まあ、これで懲りればそれで良い。あんなところ、興味本位で行くような場所じゃないからな。

 そういえば……オレが逃した後輩たちは無事だろうか。昨日、あの廃団地でスマホを紛失してしまったせいで、こちらからは連絡を取る手段がないのだ。少なくとも建物を出て逃げ延びたことは確かだが、あんな体験をしたのだ、精神面が無事であるとは限らない。

 そう思った矢先だった。

「お、鬼塚先輩!? と……槇原先輩? これは、どういう……?」

 オレの名前を呼ぶ声に反応して振り向くと、今まさに俺が顔を思い浮かべていた人物──後輩の岡野が、俺と足元の馬鹿を交互に見ながら戸惑いの表情を見せていた。

「よう、岡野。昨日あの後、大丈夫だったか?」

「えっ、あ、はい、大丈夫でしたけど……鬼塚先輩こそ大丈夫だったんですか?」

「まあな。階段から転げ落ちてしばらく気絶してたみたいだけど、それだけだ。怪我も大したものじゃない」

「階段から……あれ、でも、あのとき私たちを追ってきていた幽霊は……」

「さあね、オレらが勝手に怖がっただけで、本当に足音だけの幽霊だったのかもしれないぜ。現にオレはあそこでしばらく気を失っていたのに、今はなんともないしな。まあそれでも、あんな場所には近づかない方が良い。こいつにも今、そう言い聞かせてやったところだ」

 嘘をついた。なんともない、そんなわけはない。だがそれは、岡野たちに話すべきことではない。

「ともかく、オレがちょっと痛い目を見ただけで岡野たちが無事に逃げられたなら十分だ。ただ、これに懲りたらこういうろくでもない連中とは付き合いを改めろ。先輩だからって、言うこと聞く必要なんかねぇよ。なあ?」

 そう言って睨みつけると、未だに鼻血を手で抑えている馬鹿男は無言で首を縦に振った。

 その様子を見て、岡野は憐れむように溜息をつく。幽霊騒ぎで自分を置いて逃げ出した男が、それ以上に情けない姿を見せているのだ。もう以前のように、突然の無茶振りを受け入れるような関係にはならないだろう。

「さて、じゃあ俺は帰るかな……講義を受けるような気分じゃねぇし、ぶっ壊れたスマホの代わりを用意しないといけないし。それじゃあ岡野、またバイト先で」

「あ、はい! ありがとうございました!」

 深々と頭を下げる岡野に「よせやい」と手を振り、俺はその場を後にしようとする。だが、その背後からボソッと聞こえてきた馬鹿男の一言に、俺は再び足を止めた。

「顔が良いだけのメスゴリラめ……」

「……何か言ったか?」

 聞き返されて顔を青くするくらいなら、そういうことは俺が立ち去ってから言え。思わず呆れ返った俺は再び殴りかかる気にもならず、深々と溜息をついた後、今度こそ帰路につくのだった。

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