「列車にて」
車窓を通り過ぎて往く土手沿いに植えられた桜並木は、昨夜の雨に若葉を濡らして輝かせている。眼下に流れる川面は薄く濁り、普段よりもその水嵩を上げて河岸のコンクリートブロックを黒く染め上げている。六両編成の列車はその流れに沿うように緩くカーブを描き、車輪がレールの継ぎ目を矢継ぎ早に踏んで足元で大きな音を立てている。きみはそういった外の景色を首を傾けて眺めていたが、やがて線路わきの木々に視界を閉ざされてしまった。間近をただ高速で流れていくばかりの新緑の壁に目が回るように感じ、逃げるように今度は車内に目線を向けた。扉の隣に立っているきみには、車内の様子をよく見渡すことができる。大きなリュックサックを背負った高校生たちが、ロングシートに横並びに座っている。彼らは一つのスマートフォンを囲って、何やら騒がしく盛り上がっていて、周りからの疎ましく思う視線には気づいていない。彼らの向かい側に座っているスーツを着た男の人は、死んだような目で宙を眺めている。
きみはポケットからウォークマンを取り出して、そこから伸びるイヤホンを耳につけた。プレイリストの中から、いつも通学の時に聴いているものを選択して、再生ボタンを押す。短いイントロの後に、軽やかな歌声がきみの耳元で溢れ出した。
電車が緩やかに速度を落とし、次の駅に滑り込んだ。きみの反対側の扉が開いて何人かが降り、入れ替わり何人かが乗り込んでくる。きみはその中に見知った顔があるのを見つけた。
彼女はスマートフォンをいじりながら、ちょうど空いていたロングシートの一番端の席に腰掛ける。高校の頃より少し短くなった髪を茶髪に染め上げ、アイメイクで強調された目元は力強く、険のある顔つきをしている。彼女はきみに気づくことなく、スマートフォンの画面を指で弄んでいる。
きみは彼女に話しかけるべきだろうか。最後に彼女と話したのはまだ高校生の頃で、その頃のきみは同級生たちに少し距離を感じ始めた時期だった。馴染めていないわけではないけれど、会話の節々にきみの知らない出来事や人物が登場し、話題はめまぐるしく移ろっていき、それについていくのに必死なっていた頃。卒業して以来会っていなかった同窓生に、きみはどう話しかけるか迷った末に、窓のほうに向きなおして見ないふりを決め込んだ。
列車は県境の山間部を抜け、低い屋根が立ち並ぶ住宅街のわきを駆け抜けていた。駅に停まる度に幾らかの人を吐き出してはそれ以上の人を飲み込んで列車は街へと向かって進んで往く。少しずつ増えてきた乗客に押され、きみは体をドアへと寄せた。吐く息が窓ガラスを白く曇らせ、外を眺める視界が濁る。
彼女は確か二つ隣の県にある専門学校に進学していたときみは思い出すだろう。今となっては高校生の頃に親しかった人たちと連絡を取り合うこともなくなってしまった。毎日顔を合わせることがなくなれば、次第に縁は薄れ、遠のいていく。きみ自身も新しい環境の中で新しい人間関係を築いて、果てにはそれも思い出の中に薄れていくのかもしれない。きみはそんなことを考えながら瞳を閉じ、足元から伝わる車輪の振動に身を委ねた。
列車はいくつかの駅を通り過ぎた後、乗り換えの駅にたどり着いた。降りていく人たちに紛れるように君もホームへと足を踏み出す。降り際にちらりと彼女を見遣ると、彼女もきみのことを不思議そうな目で見ていた。ほんの僅かな時間きみたちは見つめ合い、しかし言葉は交わすことなくきみはホームへ降り立った。
朝のターミナル駅は人ごみで溢れかえっていて、鈍く動く流れに身を任せてきみは階段へ向かう。その途中、自動販売機の陰に小さな子どもが立ち尽くしているのが見える。その子どもは今にも泣きだしそうに顔をしわくちゃにして、ただ歩いている人々の顔をひとつひとつを確認するようにじっと見つめている。
きみはそれを少し不思議に思い歩みを止めようとすると、きみの後ろを歩いていたさっきの高校生たちが、その子どもを囲んで話しかけた。
「どうしたの、お父さんとお母さんとはぐれたの?」
子どもはしわくちゃの顔のまま彼らに目を向ける。仲間のうちの一人が続けて語り掛ける。
「お父さんかお母さん、どこにいるかわかる?」
「わからない」
そういうと今度こそ子どもは泣き出してしまった。
高校生たちはその子を宥めながら目くばせをして、そのうち一人が駅員を呼ぶために階段へと駆け出した。残った彼らは腰をかがめて子どもの手を握り、近くのベンチに座って待つように促している。きみはその様子を、ただ眺めている。
子どもはえんえんと泣きながら高校生たちに従って、ゆっくりとベンチに腰掛けた。手を握り、地面に膝をつきながら彼らは子どもに何かを語り掛けている。階段から駅員を伴って先に駆けていった仲間が帰ってきた。きみはその様子を、何もできずにただ眺めていた。
タイトル未定 冬井 桃花 @FuYUI
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