タイトル未定
冬井 桃花
傘の墓場
打ち捨てられたビニール傘は、どこへ辿り着くんだろうか。
梅雨明けの眩しい日差しが降り注ぐ県道の、ガードレールの片隅に立てかけられて放置されたそれを見て、ふと思った。何本かの骨は「く」の字を書くように無様に曲がっていて、捨てられてから時間が経っているのか、畳まれた内側にも透明な雨水が溜まっている。石突からしずくがぽつぽつと、アスファルトに黒い染みをにじませていた。
「そりゃゴミとして回収されるんじゃない?」
大地くんは配られた授業のプリントを後ろの席に回しながら答えた。教授はプロジェクターとノートパソコンを繋ぐのに必死になっている。
「そのあとは?」
「普通に燃やされるんじゃないかな。あ、ビニール傘って燃えないゴミだっけ」
講義室の三人掛けの長机で、一つ間をあけて座っている彼は私のほうをまっすぐ見て言う。わたしはノートを開いて今日の日付をそこに書き記した。
「俺の住んでるとこ、ごみの分別厳しくってさ。こないだ燃えるゴミにプラスチックのストローが混じってたってだけで管理会社から連絡来てたわ」
「プラスチックって燃えないの?」
「地域によって違うらしいよ。実家のほうは全然分別なんて意識したことなかったんだけどな。冬井のとこはどんな感じ?」
教壇の上では教授がプロジェクターの設定を諦めたらしく、前のほうに座っていた学生に手伝いを求めていた。
窓の外を見ると、大学の隣にあるマンションのベランダに、小さな二枚の布団が干されていた。大きくプリントされたウルトラマンがぐったりと倒れているのを見て、そういえば弟が持っていたウルトラマンの柄の傘もいつの間にかどこかへ失くしてしまったなと思い出した。
「どうしてそんなことを考えたの?」
ほぇちゃんはスラックスにアイロンをかける手を止めて、私の目を見た。西日に照らされた作業場は蒸し暑く、わたしもほぇちゃんも額に汗をにじませている。
「みんな雨が降るとビニール傘を買うでしょ、でも大事に持ち続ける人ってあんまりいないんじゃないかと思って。」
「ふーん、私そういうの使ったことないから」
ほぇちゃんは興味なさげに目線を手元に戻した。作業場には私たちのほかに、パートのおば様たちがテレビ俳優の不倫の話題で盛り上がっている。
わたしも今手掛けているカッターシャツ*¹に注意を向けた。襟元にはクリーニングをしても落ち切らない汗の黄色い汚れが残っていて、上から三つ目のボタンは糸がよれて外れかかっている。
「きっと捨てられた傘たちが集まる楽園があるんだよ」
18時を知らせるベルが作業場に響いたとき、ほぇちゃんが口を開いた。
「行き場を失くした傘たちは、下水道を流れてながい旅をして、その果てに傘たちの楽園に辿り着くんだと思う。」
「楽園ってどんなところ?」
「傘たちが、自由に暮らせるところ。思い思いに体を広げて、風に乗って空を飛んだり、みんなで身を寄せ合って大地を覆いかぶせたり。」
「どこにあるのかな」
「知らない。きっと雨がよく降る場所なんじゃないかな」
そう言ってほぇちゃんはタイムカードを押して作業場から出ていった。
傘たちの楽園。役目を終えた傘たちが、思い思いに余生を過ごす場所。そういう場所があるのであれば、そこはきっと人間が誰もいない世界なのかもしれない。
帰り道。朝方見かけたときと同じ場所に、ビニール傘はまだ捨てられてあった。地面に横たわるそれを手に取ると、ザリガニの絵のパターンが入ったテープが巻かれている。
空に向けて開いてみると、くすんだビニールの向こう側に生駒山の尾根が見えた。内側に溜まっていた雨粒が、傘を開いた勢いでおろしたてのワンピースに大粒の染みをにじませる。くるりと傘を回しながら、わたしは家へと歩きだした。
*¹ 関西における方言でワイシャツのこと。
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