夢・人生・恐怖

青羽真

夢・人生・恐怖

「うん……?」


 アオイが目を覚ましたのは明らかに寝具の上では無かった。背中に伝わる硬い感触。寝ている間に床に落ちてしまったのだろうか。


 眠さで目を開けるのもつらく感じたアオイは、手を使って自分の置かれている状況を確認する。まずアオイが触れたのは自身が寝転んでいる床。ごつごつしているのが分かった。どうやら岩の上で寝ているようだ。


「へ?」


 アオイは違和感を感じる。そりゃあ、そうだ。家の床はフローリングであり、岩ではない。一気に意識が覚醒し、アオイは体を起こした。

 薄暗いがすぐに目が慣れる。想像通り地面は岩で出来ている。天井は高くて視認できない。もしかしたら天井なんて無いのかもしれない。そして四方の壁は本で埋め尽くされていた。


「?」


 アオイは何が起こっているのか分からずにきょろきょろと視線を動かす。アオイの中に「誘拐」「監禁」といった単語が浮かんだのは数分が経過した後だった。そしてその単語が思い浮かんだことにより、アオイの恐怖心は何倍にも膨れ上がった。ここでアオイの脳に「これは夢だ」という考えが真っ先に浮かばなかったのは、そこがあまりにリアルだったからなのか、それともそう考える事を許可されていなかったのかは不明だ。

 アオイは自身の背に冷や汗が噴き出るのを感じた。アオイは冷静になろうと客観的に自分を捉え、そして思った。これほどまでに恐怖を感じたのは初めてだな、と。いや、あの時の方が恐怖したか? いや、あの時は実害は無かったし、今の方が状況的には危ないか。

 冷静になろうとしてかえって嫌なことを思い出してしまった。取り敢えず状況を打破する方法を考えよう。


「……」


 しかし、アオイはどうしたらいいか思いつかなかった。大声を出して助けを呼ぶ? 駄目だ。そんなことをすれば、誘拐、監禁した犯人に気付かれる。抜け道を探す? 駄目だ。仮に見つけたとしても、下手に逃げようとして犯人に捕まれば、何をされるか分かったものじゃない。


 アオイは取りあえず静かに様子をうかがう事にした。







一分






二分





三分




四分



五分



十分


ニ十分


三十分


一時間

二時間

三時間

……


 アオイの時間感覚が徐々に狂い始めた。いったい何時間経ったのだろうか? 始めの内は恐怖心や緊張感から一分が長く感じていた。「犯人が来たらどうしよう」という思いが、時間の流れをゆっくりにさせていた。しかし、現在、アオイは「私は一生ここから出られないのでは」と思い始め、その絶望感のせいで一時間すら数分であるかのように感じている。



 その時、突然ドサリという音が鳴った。ビクンとアオイの体が跳ねる。そっとそちらを見ると、本が落ちているのが分かった。本棚から落ちてきたのだろうと考えた。


 その本を掴む。すると、先ほどまで暗かった部屋に突然明かりが灯った。アオイはその変化を気味悪く思うことはなかった。彼女は、さも先ほどからずっと明かりが灯っていたかのように感じているのだ。夢ならそういう事が良く起こるだろう? 先ほどまで学校を舞台にした夢を見ていたのに、急に自宅を舞台にした夢に切り替わっていた……のような感じだ。


 その本を開く。するとそこに写っていたのは、とある男性の顔だった。



「っ!」


 その男の写真を見て体を震わせるアオイ。その男はアオイがずっと恐怖し続けている対象なのだ。


 アオイがまだ小学生低学年の頃、友達と遊んだ帰りに細い路地を通っていた時のことだ。突然、見知らぬ男性に声をかけられたのだ。「んだてめえ?」と。後になった分かった事だが、その男は社会不適合者の無能、所謂ヤクザと呼ばれる存在であった。そして、運の悪いことにアオイが通った道は彼らが同類とつるむ場所だったのだ。

 アオイのような一般人からすると想像出来ない世界であり、アオイは彼らに恐怖した。彼らがアオイに向けて放つ怒りと殺気。世紀末のような雰囲気。唯一の救いはアオイがまだ小学校低学年であった事だろう。金品を碌に持っていないであろう小学生をカツアゲするほど彼らは馬鹿では無かったのだ。


 命からがら?家にたどり着くも、彼らとの遭遇はアオイの心の中に一種のトラウマを植え付けた。これこそが、アオイにとって最も大きな恐怖なのだ。



 本が姿を変える。例の男の姿へと。そしてアオイに向けてナイフを振りかぶった。なお小学生のアオイがナイフで襲われたという事実は無いので、おそらく彼女が今見ている風景は「殺気」の具象化なのだろう。


「ひ……!」


 後ずさるアオイ。

 一歩近づく男。

 後ずさるアオイ。

 一歩近づく男。

 後ずさるアオイ。

 一歩近づく男。

 後ずさるアオイ。

 一歩近づく男。

 後ずさるアオイ。

 一歩近づく男。


 アオイはさらに後ずさろうとして、壁……ではなく本棚に背中をぶつけた。もはや逃げられない。



 その時、ふと声が聞こえた気がした。自分の声とよく似ている声だった。その声が言うのだ、「トラウマを倒すには、大切な記憶で対抗せよ」と。


 アオイは後ろの本棚から本を抜き取った。それはノートだった。試験に向けて何時間もかけて勉強した歴史のノートである。振りかぶって投げるアオイ。男は少しだけひるんだように見える。


 その隙に、アオイは再び本を抜き取った。それはアルバムだった。中学校の卒業アルバムだ。親友の■■や■■などが写っている。■■先生のおやじギャグで授業が白けた事もあったっけ。様々な思い出が詰まったアルバムである。それを振りかぶって投げるアオイ。男はナイフを下ろし、アオイを警戒しているようだ。


 アオイはさらに本を手に取る。それは一枚の写真だった。ずっと昔、今は亡き母と共に旅行した時の写真である。振りかぶって投げるアオイ。男は不服そうにしながらもその場を去って行った。



 緊張から解放され、ほっとするアオイ。その時、アオイが閉じ込められていた部屋がぼやけ始めた。良く見えない。先ほどまではびっしり本が詰まっているのが見えたのに、今ではぼんやりと何かがある程度にしか見えない。同時にアオイの意識もぼやけ始め……。











 朝。目を覚ましたアオイは、いつも通り学校へ向かった。


「今回のテスト、どうだった?」


 アオイの友人と思しき人物がアオイに話しかける。


「歴史がやばい。どうも暗記系が苦手でさ」


「分かる! 今回、特に範囲広いもんね……」



 昼。アオイはSNSを見ていた。ふと、同窓会(といっても高校生同士の飲み食いだ)の案内が届いていた。


「大した思い出も無いし、参加しなくていいかな……」



 夜。部屋の片づけをしていると、写真が見つかった。


「お母さんの写真か……。どんな人だったんだろう……。なんにも覚えてないから未練はないけど、気にはなるなあ」











 ねえ、知っているかい、そこの君? ヒトは寝ている間ね、毎夜毎夜自分のトラウマに襲われるんだ。そして、そのトラウマから逃れるために、大切な思い出を消してしまうの。そんなことをしても、どうせ次の夜にはトラウマは舞い戻ってくるのに。それを覚えていられたら、もしかしたら大切な思い出を犠牲にしなくて済むかもしれないのにね。

 でもね。どうしたってヒトは、夢から覚めた時それらの事を忘れてしまうんだ。そして、思うんだ。「早く夢の世界に行きたいな」って。あの恐怖を忘れているからそんな事を思うんだよね。




 似たような事例がもう一つあるんだ。それが『人生』ってやつさ。人生、楽しい事もあるけど、苦しい事も多いよね。むしろ苦しい事の方が多いんじゃないかな?どれだけ成功した人も、最期は死の恐怖に襲われることを考えたら、やっぱり人生って大変だよ。

 なのにね、天国に旅立った人はその事を忘れてしまうんだ。そして僕にこひねがうんだ。「早く現世に行きたいな」って。あの苦しみを忘れているからそんな事を思うんだよね。


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夢・人生・恐怖 青羽真 @TrueBlueFeather

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