殺される

成阿 悟

殺される

 ……恐る恐るクローゼットを開ける。

 そこには行方不明だった、家庭教師仲間のサトシがいた。

 布団圧縮用のビニイル袋の中に。

 あきらかに死んでいる。

 僕は全身の毛が逆立った。

「先生……」

 声に振り返ると、美波みなみちゃんが部屋の入り口に立っている。

 人形のような美しい顔の口元には、凍りつくような笑みを浮かべ、その手には、鈍色にびいろに光るナイフが握られていた。

 僕は固まったように動けなかった……。


 ――と、そこまで読んだところで文庫本を閉じた。

 心臓は激しく高鳴っている。

 ゆっくりと大きく息を吐き出して、心を落ち着ける。

 僕は人一倍怖がりなのに、なぜかこの手の本が大好きだ。

 自分でも不思議に思う。

 ようやく暑さが遠ざかり始めた、秋の入り口。

 祭日の、日が沈んだ頃。

 こんな田舎では電車も空いている。

 少し落ち着いたところで、近くから、ひそめたような声が聞こえるのに気づいた。

 ちらと左隣に目線をやると、小説に出てきた美波みなみちゃんと同じ、中学生くらいの女の子ふたりが、スマホの画面を見ながら会話をしている。

「これ、殺せるよね」

「どうやって殺す?」

 あどけない見た目とあまりに似合わない恐ろしい台詞せりふ

 僕は鳥肌が立った。

 ふたりの女の子の表情には好奇の色も浮かんでる。

 僕からでは、スマホの画面の中は見えないが、まさか裏動画サイトでも見ているのだろうか?

 今僕が読んでいた本の中にも、人を殺すところを動画生配信している描写が出てくる。

 僕は想像するだけで、吐き気がしてきた。

 この子たちは、本当にそんな恐ろしい動画を観てよろこんでいるのだろうか?

 女の子のひとりが僕に視線を向けた。

 全身から汗が噴き出す。僕は慌てて視線をそらした。

 そこで、ちょうど自宅の最寄駅に着いた。

 僕は、飛ぶように立ち上がる。

 扉が開くまでがもどかしい。

 開き始めたと同時に、半分ドアにぶつかるように車両から降りると、急いで改札を抜けた。


 駅から少し走ったところで立ち止まり、安堵のため息を漏らす。

「あー、怖かったぁ……あの子たち、どんな恐ろしい動画観てたんだろ」

 持っていたペットボトルの水を一口飲むと、家路へと歩き出す。

 田舎は、このくらいの時間でも人通りは少ない。

 しばらく歩いたところで、蛩音あしおとが聞こえる事に気づいた。

 僕の後ろからだ。ちょっと怖い。

 スマホをミラー機能にして、振り向かずに後ろを確かめる。

 歩いてくるのは、電車に乗っていた女の子たちだ。

 きっと猟奇的な動画を観ながら、会話をしていた中学生くらいの女の子二人組。

 僕は、道なりを自宅とは反対の方向に曲がって様子を見る。

 女の子たちもいてくる。

 次も反対に曲がる。

 まだけてくる。

 間違いなく僕の後をけてきている。

 ――「殺せるよね」「どうやって殺す?」

 電車の中での女の子たちの会話が頭の中に再生され、冷たい汗が噴き出す。

 次の角を曲がったら、全力で走ろう。

 女の子たちに意識を集中させながら、進む。

 よし、曲がり角。

 僕は、一気に重心を前に移し、走り出そうとした

 ――ところに声をかけられた。

「すいませーん!」

 女の子たちが駆け寄ってくる。

 僕は固まったように動けなかった。

「あの、これ落としましたよ」

 女の子のひとりが差し出した手には、文庫本が握られていた。

 タイトルが見える。

『僕は殺される』

 僕が電車の中で読んでいた本だ。

「え、あ、す、すいません。あ、ありがとう……」

 ぎこちない動きで本を受け取る。

「よかったぁ」

「ほんとだね」

 女の子たちは、ほっとした表情で微笑ほほえむ。

 全然芝居には見えないけれど、油断はできない。

「じゃ、私たちはこれで」

「あ、ありがとう」

 僕はおどおどと頭を下げた。

 女の子たちは、僕の行く方向と同じ道を先に歩いていく。

 僕も、緊張しながら、少し遅れて彼女たちの後ろを歩く。

「――殺したんだね」

「ほんとだ、死んでる」

 またスマホ画面を見ながらの、恐ろしい会話が聞こえてくる。

 メガネをかけている方の女の子が、ちらりと、こちらを振り返った。

 見られた瞬間、僕はまた全身の毛がひりりと総毛立ち、固まったように動けなかった。

 そして、髪の長い方の女の子が言う。



「さすが、芝山棋聖! 難解な死活しかつだったのに、秒読みでも完璧に白の大石を殺したんだね」

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殺される 成阿 悟 @Naria_Satoru

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