愛憎内臓妄想、哀よ恋

黒羽椿

愛憎内臓妄想、哀よ恋

 ぼくはかおる。かん字は書けん、むずいから。今日もね、父と母は帰らない。でもいつも、めずらしいことじゃなかった。けどぼくは、一人でも大丈夫。ぼくにはね、いつもいっしょ、クロという黒い何かが、そばにいるから。クロはこう、いつもすみっこですわってる。ぼくの家、そこにはぼくしか、いないはずなのにふしぎだよね。


 さい初は、それがこわくてむししてた。けどだんだん、なれてきたから近づいた。そうしたら、黒い何かも一人だった。だからぼく、黒い何かにこう言った、あそぼって。するとクロは、どこかに逃げた、人見知りだったのかもね、分からないけど。


 その日から、クロに近よって、あそぼって言い続けるのが、楽しくなった。クロはよく、日かげやかげに、とけ込んでた。ぼくはそれが、かくれんぼだと思ってた。クロがぼくの、ただ一人の友達。クロ以外、友達はいない、だからこそ、ぼくたちはすぐ、仲良くなった。


 クロはなんと、女の子だった、分かったのは、クロが自分から、教えてくれた。おどろいた、けど意味はない、だってさ、女の子でも、友達だから。そういうと、クロはぼくに、巻き付いた。クロがこう、黒い何かでも、関係ない。僕たちは、すでに友達、そうでしょ?


 二人は、変な目でみる、僕のことを。ははには、あたまがおかしい、そう言われた。クロが見える、間ちがいなくそこにいるのだ、ぼくだけの、黒い友達。そう言うと、頭をなでて、泣いていた。よくわからないけど、まぁよしとする。


 ちちには、気味が悪いと、告げられた。どうしてと、わけを聞いたら、殴られた。とうさんはよく、あらっぽくなる。ねていると、クロが小さく、つぶやいた。あいしてる、かおるのことを、限りなく。だれよりも、あなたのことを、あいしてる。そういうと、クロは二人の方へ行った。ねむかったから、いつのまにかねてた。朝起きると、二人はどこか消えてた。


 クロに聞くと、二人は遠くに行った。そういって、僕にだき着いてきた。いないのが、当たり前だしまぁいいや。ちちとははがいなくなってから十日。大人が来て、色々話、してくれた。つまんない、そうつぶやくと、大人らは、紙の束を残して帰った。数日後、おじいちゃんが、家に来た。といっても、僕はこの人、知ってない。無口で無表情な彼。消えた二人の代わりらしい。


 この人、二人とちがってなぐらない。どうしてと、理由を聞いた、そうしたら力強くだきしめられた。クロよりも、温もりがあり、どうしてかとても安心してしまった。それを見た、彼女はすぐ、消えていた。彼にそれを話すと、涙を流したのでつられて泣いてしまった。その日から、クロは見えなくなっていた。


 それから一年後、おじいちゃんが唐突に倒れて入院したの。最初は、夏バテだってことだったのに。いつまでも、おじいちゃんは帰らない。ふとあの二人のことを思い出した。もし彼も、二人や彼女のようになってしまったらと。妄想をめぐらせてると、クロが来た。ゆっくりと、隅にたたずむ彼女は、始めからそこにいたみたいだ。今までどこに行っていたのか聞くと、ずっとそばにいたとそういった。


 耳元で、また彼女がささやいた。愛してる、あの男より、ずっとずっと愛し続ける。死ぬまで永遠に愛してる。だから、必要ないよね。彼女がそういうので否定すると。お腹から、内臓を吐き出してきた。いつのまにか、真っ黒な顔がおじいちゃんとそっくり変わっていて。まるで、おじいちゃんがこうなるみたい。僕はクロを必死で止めたの。おじいちゃんは優しいから許して、無視してしまったのは謝る。だから、もう一人にしないでと言った。


 したら、彼女はこう続け始めた。私がずっとそばにいるから、絶対に一人にしないからいいよね。あの男を殺して独占しても。そう言った彼女はどこかに消えた。僕はただ泣きわめくだけで行動を起こすことすらできなかった。最悪の妄想ばかり浮かぶだけ。その晩は、一睡もすることはなかった。寝たら、おじいちゃんが死ぬ気がしたの。僕にとって、おじいちゃんが死ぬのはそれほど怖いことだったの。


 クロの愛。それは嬉しいはずだった。ずっとそばで、僕だけ愛してくれる。なのに、今はおじいちゃんが大切。自分でも、何が大切なのか分からない、何が欲しかったのかも。クロは僕を愛し続けてくれるの。だから、僕も彼女を愛さなきゃ。でも、あのおじいちゃんの温もりがね。本当に、僕が欲しかったのかすら、もう分からない、分かりたくない。


 どっちも大切で、どっちも欲しいのに。けれど、手に入るのは一つだけなの。そんなこと、とっくの昔に知ってた。だったら、これは僕への天罰だな。どちらも求めるなんて、許されない。僕は、静かに絶望して泣いたの。そうしたら、クロが僕のことを抱いた。そのまま、耳元でまたも囁いた。あの日のように、永遠の呪いだけ。


 次の日、おじいちゃんはいなくなった。僕の前からも、この世全てからも。僕はまた、ひとりになった、永遠に。あの温もりも、もう現れないのだ。いや違う、クロだけはずっと一緒。今までも、これから先も、ずっとだよ。


 だから、だからだからだから,,,もう辛いことなんて無いんだ。


 「そうでしょ? クロ,,,」


 私は、目線をどこか遠くに投げた彼を見据えた。手元には、先ほどまで読んでいた自由帳があった。後半まではなんとか読めるものだった。しかし、後半は文字のような絵のような不気味なものになっていて、解読は困難を極めた。


 だから、途中には少し意訳が入っている。彼の傷を知ることができるかもしれないと思ったが、それは無意味だった。


 阪柳薫さかやなぎかおる。彼はどこにでもいる普通の少年だった。そんな彼が、妄想の黒い何かに縋るようになってしまったのは、運が悪かっただけなのだろう。偶然、彼の両親は子供の存在を喜ぶ人たちでなかった。だから、ネグレクトに近い扱いを受けた。けれど、それは彼を妄想にひたらす原因ではない。


 この自由帳に書かれていることを真実とするなら、彼は両親がいないことをごく自然なものとして考えていた。ということは、彼をこのような状態に陥らせたのはもっと別の原因だ。私は、それを両親の永遠の失踪と考えている。


 彼の両親が生きているのか、とっくに死んでいるのかは分からなかった。問題なのは、彼が両親の失踪を自分のせいだと思い込んでしまったことだ。おそらく、自分が両親に望まれていないことを、子供心に悟っていたのだろう。理解はしていても、受け入れることはできなかったようだが。


 彼も、一般的な子供のように愛されたかったはずだ。けれど、その願いは果たされることはなかった。当たり前に享受できるはずの幸福を受け取れなかった彼は、どんどん現実を捨て去り、ついには自分の記憶すら曖昧にしてしまった。


 それは、自分には黒い何かが見えていて、両親はそれを気味悪がって出ていった、もしくはその黒い何かが二人を追い出したという偽りの記憶だった。彼は、黒い何かに全ての不条理を託すとともに、それに名前をつけて依存した。


 その後の、彼のおじいさんの不幸も、彼は黒い何かのせいにして、蓋を閉じた。そんなことをしなくても、相次ぐ不幸は彼の責任ではないというのに。


 きっと、黒い何かは彼の本心の表れなのだ。ずっと自分だけを愛して、ずっとそばにいてくれる、そんな存在。おじいさんと暮らしていた期間に、黒い何かが現れていないところを見ると、彼を救うことはできたかもしれない。


 だが、現実は非情だ。彼から当たり前の幸福を奪うだけでは飽き足らず、ようやく手に入れた温もりをも、奪い去ってしまったのだから。


 「うん,,,うん,,,そうだね」


 私は逃げるように部屋を出た。未だ妄想の中の恋人と楽し気に話す彼に、現実を直視させるのは正しいことなのか。私がしようとしていることは、本当に治療なのか。もう、私には正解が分からない。仕事部屋に戻っても、そのことで頭が埋め尽くされていた。


 その時、視野の隙間に、何かが現れた。蛍光灯の光を浴びても、変わることのない暗闇。一切の光を受け付けず、ずっとそこにいたように錯覚する黒い何か。私は、しっかりとそれを視界にとらえて、じっと見つめ続けた。

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