♬4 いにしえの異端者

 広々とした公園のベンチに腰掛ける狸が何を考えているのかは知る由もない。

 腹ごなしの散歩の途中に通りかかっただけで、特に目的もなさそうである。


 そういうわけで、先ほどの回想でもしているのだろうと勝手に当たりをつける。

 一応説明しておくと、狸は泥棒猫に路銀をスられたらしい。


 オムレツが収まって膨れた腹を満足気に撫でていたところ、狸は不意に何か違和感を覚えたようにポケットを探り、そしてキョロキョロとし始めた。

 そして首に引っ掛けた手ぬぐいで冷や汗を拭う。

 それは六科ムジナの店に至る前に手に入れたもので、金剛力士の吽形うんぎょうが二色刷りされたものだ。なかなかの迫力の、いわゆる花形神仏アイドルのファン向けのグッズである。

 狸のミーハー心なのか、単に水竜すいりゅう手水舎ちょうずやで濡れた手をピッピとやったのを恥じたのかは判らない。


 ともかくそれを握りしめることで、少しばかり心の拠り所を得たような顔をしている。が、そう長くは持たなかった。

 かの二人が去り、六科ムジナが狸のところへやってきた。

 それはもちろん空いた皿を片付けに来たのだが、「美味うまかっただろ?」と声をかけられて、あまりに挙動不審になった狸を六科ムジナは見逃さなかった。


「美味かったか?」


 再び問われて、コクコクコクとそういう人形のように首を縦に振る。


「そうか。そりゃ良かった」


 コクコクコクと続けて、もはやチビる寸前である。もちろん狸の話だ。

 

「アンタ、金持ってないな?」


 コクコ……


 その後どうなったか?

 それは想像にお任せする、と言いたいところだが、六科ムジナが一体どういう奴なのかという話でもあるし、放心状態の狸はもはや放っておいてもいいだろう。


 結論から言えば、狸は無事に店を出た。


 六科ムジナは金を要求しないのだ。

 客が対価として金を置いていくことはある。だがそれは、店の入口に置いてある招き猫に食わせ――つまり口から投入する形で勝手に貯金し、そのまま店を出る。

 それは今食べたものに対する代金ではなく、今此処で体験したことを、この先この店を訪れた誰かにも味わって欲しいというの〈祈り〉なのだそうだ。

 

「また食べたいって、心の底から感じたか? 嘘や誤魔化しは要らねえ。狐や狸じゃあるまいし」


 落ち着いたトーンで話す六科ムジナの言葉を聞くうちに少し平静を取り戻した狸は、今度は一度だけコクリと頷いた。見ると口の端に涎が滲んでいる。トロけたチーズに絡まって、ゴロゴロとじゃがいもやベーコンが転がり出てきたオムレツが忘れられないのだろう。


 そうして「またな」と見送られて店を出て、今の狸に至るのである。



 ところで、向こうから白鹿が悠々と歩んでくる。それは紛れもなく神の御使い。こんな機会は滅多にないだろうが、狸は狸でそれどころではないらしい。


「ええ。我々SPICIAスパイシア使命ミッションは、"Pay Forwardペイ・フォワード"の思想を布教することです」

 鹿の傍らを歩く偉丈夫が話している。

 何ともタイムリーな。このように都合の良いことが起こると、やはり物事の采配には何者かの意図が介入しているような気がするものだ。


 そう。あれがこの都を拠点とする慈善団体 Spiritual Club for Invisible Aid、通称SPICIAスパイシアの主導者である薬師如来メディカだ。

 実際には薬師如来メディカ一人が語っているだけだが、狸に動きがなくて暇を持て余しているからアテレコでもしてみようか。


SPICIAスパイシアに所属する菩薩たちは、悟りを得るため日夜修行に励んでおります」

『そうか。シカし、ただ与えるだけが救済ではないぞ。そこには『流れ』が必要なのだ。施しを受け、得た活力で何をするのか。それが肝心だ』

 SPICIAスパイシアは持続可能なエネルギーの潮流を生むための方法論を研究し実践する慈善団体で、わかりやすく言えば、腹を空かした者を救済し、同時にオマエにできることは何だと問いかける活動を行っている。


「かつて仏教が寺に籠もって国のために祈るものであった時代、この地で修行した行基菩薩ぎょうきは外で教えを説いて歩き、貧しい人々に寝食を施し、土木工事に勤しみ、民衆を助けて回りました」

『ほう。アレは初めの頃、異端とされておったがな』

「ええ、承知しております。ですが、いつまでも同じ輪廻を回していては一向に解脱げだつなどできません。思い切った舵取りを、それこそ逆回しするくらいのことをしなければ」

『ほう』

「あの御方は朝廷に弾圧されながらも布教を続けました。いつしか賛同する者たちを土木や福祉の専門家集団に育て上げ、驚くべき速さで寺院をいくつも建設するなどの偉業により、ついには民衆が自ら動く有意義性を、実力で朝廷に認めさせたのです」

『うむ。それは尊いことだ」

 鹿はふと立ち止まって薬師如来メディカを見上げた。

『それをあのムジナという者と共にやろうと? たしか先入観を叩き壊すのが趣味だとかいう酔狂なあの者と』

「いえ、私はフラれてしまいました。如何なるしがらみにも捕らわれず、自由で居たい人です。でも、もうすでに人の心を静かに捉え始めている。あの人の店に食材を持ち寄り、店を掃除し、旨い飯を食うためには何をすればよいか、客が考え始めている。衆生を縛る『かね』というしがらみを砕く方向へと、逆向きの舵取りが生まれ始めているのです。私はそれを布教し、陰ながら支える所存です」

 わずかに寂しそうではあるが、薬師如来メディカ六科ムジナに寄せる信頼が厚いことは明らかだ。

『ふむ、それは見ものだ。シカと見届けようぞ』

「精進してまいります」


 そこで鹿が深々と頭を下げたので、薬師如来メディカも慌ててそれに倣う。

 するとバラバラと軽い音を立てて黒いパチンコ玉のようなものが、いくつも地面へと降り落ちた。鹿は軽快に短い尾を振っている。

 ちなみにこの地の土産物屋でアレに類似するものを見かけるが、ソレはチョコレートであるから悪しからず。


 おや、狸が居ない。と思ったら、少し離れたところで所謂いわゆる■■■座りをしている。周囲には遮るものなど何も無いが、見て見ぬ振りをした方が良いのだろうか。

 やれやれ、まったく。


 視線を戻すと薬師如来メディカが丁度頭を上げたところで、そこにはもう白鹿は居なかった。

 こうして狸について回り、神仏またその使いがこうも集まる土地は他にあるだろうかと改めてしみじみした。そりゃああるだろうが、こうして様々な物々が集まり、人なのかそうでないのか、それすらもはや曖昧な場所は。


「何かお探しかな」

 狸は驚いて顔を上げた。声をかけたのは薬師如来メディカだ。用を足していたわけではなく、地面に這いつくばって小銭でも探しているのだろうか。

「ああ、なるほど」

 薬師如来メディカはそっと指し示された狸の指の先を見て微笑んだ。

「綺麗だろう。それはルリセンチコガネだ。ここは彼らにとっても聖地だからね。なにせ丸める必要がない」

 彼らの足元では指先ほどの宝石がうごめいている。せっせとブツを転がし運んでいるところだ。じぃっとそれらを見つめていた狸は、不意に薬師如来メディカを振り返ってその顔をまじまじと見た。

「ああ、この眼は……そうだね。瑠璃色の瞳だ。自分でも時々、嫌気が差すほど目ざとくて困る。でも、生まれ持ったものをどう活かすか……そう、君はもう知っているだろうね」




 この地を訪問する者の殆どは、一日足らず、あるいは半日ほどで立ち去ってゆく。

 けれど時々、その深淵に触れてしまい、没入する形で居着いてしまうものもいる。

 この狸も、もしかすると。

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