♬3 修行に明け暮れる菩薩たち

「なあ咖喱菩薩カリーナ、本当にここで良いのか?」

SPICIAスパイシアの気高きおさたる薬師如来メディカが此処を訪ねよと言ったのだ。そこで学べ、と。普賢菩薩フーゲン、賢明な君なら、その意味が解るだろう?」


 向かい合って真剣に語り合う彼らは菩薩ぼさつ。悟りを求め、衆生の物々を救うため、日夜修行に励む者たちだ。

 狸が休憩がてら食事に入った店に、神妙な面持ちで座っていた先客である。


「いや、解せぬ」

「……?」

咖喱菩薩カリーナ、お前はコレを許容するのか?」


 なんだ、喧嘩か?

 といった風にカウンターに腰掛けている狸も聞き耳を立てる。

 普賢菩薩フーゲンは目前の一点を凝視しており、今まさにその白い御姿みずがたに手を合わせようとしていた咖喱菩薩カリーナは、一体どうしたのかという顔をする。

 彼らの目の前に置かれているのはホワイトシチューだ。

「む。要はホワイト・カレーだろう? ココナッツミルクベースのグリーン・カレーの親戚じゃないのか?」

 咖喱菩薩カリーナは数々のカレーを食べ歩いてきたかのように達観ぶっている。


「おい、アンタラ」

 しばらく見つめ合っていた普賢菩薩フーゲン咖喱菩薩カリーナは、同時に声の方へと顔を上げた。

 現れたのはこの店のあるじ。その名を六科ムジナという。

 とびきりの美貌の持ち主! というほどでもないけれど、得も言われぬ迫力をまとっている。何故かは言うまい。


「いつまでぼさっとしてんだ。俺が作ったものが食えねえってのか?」

「「いえ、滅相もない」」

 咖喱菩薩カリーナのソプラノと普賢菩薩フーゲンのアルトがハモる。

「人の味覚は食べたものによって変化する。苦手なものでも、食べ方ひとつで好物に変わることだってある。とりあえず騙されてみろ」

 ああいった強引さも時には魅力と言えるだろうか。

「でも……」

 なおも食わずに食い下がろうとする普賢菩薩フーゲンに、ジロリと目線だけを差し向けた六科ムジナ明王みょうおうさながらの迫力だ。しかし、ぶるりと身震いする咖喱菩薩カリーナとは対照的に、普賢菩薩フーゲンはあからさまに納得のいかない様子。


 張り詰めた空気に耐えられなくなったのか、コツン、と持っていたスプーンを皿に当ててしまったのは狸である。先ほど提供されたばかりの、ほかほかのオムレツの湯気を心ゆくまで吸い込んで、今まさに一刀目を挿し込もうとしたところで手元が狂ってしまったのだ。


 だが、そんなことは誰も気にしていない。

 そういうわけだから、かの席に話を戻そう。

 

 彼らなりの方法で、咖喱菩薩カリーナはさり気なく普賢菩薩フーゲンに合図を送っている。つまり

 咖喱菩薩カリーナは伸ばした人差し指でテーブルにそっと触れた。それは『触地印そくちいん』すなわち『降魔印ごうまいん』だ。


(『悪魔よ、去れ』 超訳:やめておけ、敵に回すな)


 それに対し、普賢菩薩フーゲンは右掌をこちらへ、左掌は掬い上げるように上に向けた。いわゆる『施無畏印せむいいん』と『与願印よがんいん』である。


(『恐れるな。そなたの願いを叶えよう』 超訳:怖いのか? だがお前の言う通りだ)


 互いに印を結び無言で交わした二人の視線を、六科ムジナは一刀両断した。

「ったく、何やってんだ? これはな、俺のとっておきレシピなんだ、まぁだグズグズする気か?」

 明王の憤怒ふんぬ形相ぎょうそうが再び。二人は慌てて手を合わせて合唱する。


「「南無!(超訳:いただきます!)」」


 揃って慎重にスプーンをシチューにひたした。


「「こ、これは……」」

「まさかシチューがライスに合うなんて!」

「カ、カレーがまったく辛くないなんて!」

「「え?」」

普賢菩薩フーゲン。まさかライスカレー・スタイルが気に入らなかったのか?」

「何言ってんだ。シチューとカレーは別物だろ」

 言葉を失った二人は、もうひと掬いを口に運ぶ。

「カレーが飲み物だとは言い得て妙だと思っていたが、これは白い味噌汁だな」

 普賢菩薩フーゲンが満足げな顔でニヤリと視線を送ると、六科ムジナも少し口角を上げた。

「シチュー on ライスは外道とでも思っていただろう? そういったのが俺の趣味なんだ」

「ああ、やられた。コクがあって旨いし、ライスにも合う」

 駄々をねていたのが嘘のように、普賢菩薩フーゲンはパクパクと食べ進めている。


「あ、あのう……」

(『恐れなくともよい』 超訳:恐縮ですが)


 おずおずと遠慮がちに『施無畏印せむいいん』をかかげたのは、若干取り残され気味の咖喱菩薩カリーナだ。


「ホワイトペッパーのほのかな辛みが絶妙で、白い皿から立ち上るナツメグの甘い香気はミルクによく合っています。そして溶かし込まれたチーズが濃厚さに磨きをかけていて……控えめに言ってもチョモランマ。ですが……どこか物足りない。それは私の未熟さゆえかと。しかし、どうしても普賢菩薩フーゲンのような反応がしっくりこないのです」


 ああ、と六科ムジナは何処からともなく取り出した小さな竹筒を、テーブルの上にコンと置いた。青竹に彫り込まれた竜の文様が見事である。

 驚きつつも促されるままに竹筒に刺さった細い栓を抜いた咖喱菩薩カリーナは、かぐわしい香りにか、瞬間うっとりとした。しかしすぐさま我に返って、皿の隅にその竹筒の中身を少し振りかける。


「白い皿に……白いライス、白いルウ。そして太陽の恵み!」


 咖喱菩薩カリーナはオレンジ色の粉がかかった白いルウを掬い上げ、恐る恐る口に運んだ。普賢菩薩フーゲンはゴクリと息を呑む。


「まさか。これは……?」


 咖喱菩薩カリーナはさらに魔法の粉スパイスを追加し、白いカンヴァスに灼熱の太陽を描いた。それを粗いタッチでせっせと混ぜ合わせ、夢中で口に運ぶ。

「濃厚な口溶けに爽やかな風味が加わって、身体の芯から満たされてゆきます。この風味はカルダモンに、クミン、チリ、そして温州蜜柑の皮――」

 咖喱菩薩カリーナの頬を涙が伝う。

「お前ってホント、カレーしか食わないよな」

「む、失敬な。……あれ? そういえば、味噌なんて入ってた?」

「ああ。これをわざわざカレーにするなんて。まあ、アリかもしれないけどさ」

 どうもボタンを掛け違えたようなすれ違いが生じているらしく、互いに頭を右にかしげた。そして大先輩である弥勒菩薩ミッキーの真似をして、揃って思惟手しいしゅを頬に当てる。いわゆる『今、考えてます』のポーズだ。


 その時、耐えかねたように六科ムジナが笑い出した。

「アンタラ、まだ気づかねえのか? だから騙されてみろって言っただろ」

 あー腹いてえ、と六科ムジナ思いきり笑う。

「ま、まさか」


 つまり二人は全く別の味付けがなされたシチューを食べていたらしい。

「ご明察。なあ、まだ食えるだろ?」

 六科ムジナは心底楽しそうだ。

「「む、無論。望むところ……」」

 あらたにテーブルに並んだのは、全く同じ見た目のホワイトシチュー。湯気まで白い。しかし、先程とは逆の中身らしい。

「「南無!(超訳:いただきます!)」」

 二人は早速、熱々のシチューを掬った。

「こ、これは……!」

「そっちは隠し味に白味噌を溶かしてある。どうだ? 魔法の粉スパイスは必要か?」

「いえ、必ずしも辛くなくとも……何よりこのコクと旨味。なるほど、こうした境地も――」

 普賢菩薩フーゲンは竹筒に手を伸ばした。

「やっぱりお前も物足りなかったのか?」

「いや、コレはコレで旨い。だが、という楽しみ方もある」

 二つの皿が空っぽになると、六科ムジナは満足げな顔をして、さっさと皿を持って厨房へ戻ってしまった。


 菩薩の修行が一体どういったものなのかはよくわからないが、彼らは紛れもなく菩薩なのである。

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