♬2 不在のアイドル

 スタコラと歩き始めた狸は、そのまま驛舎えきの東側を南北に貫くアーケード商店街に入っていく。

 新旧入り乱れる雑多なその商店街は、狸のごく短い足でも、ものの数分でひとつ南側の石畳の道へ抜けられるだろう。

 その前にこの辺りで腹ごしらえをするならば、右手に見えてくる地下亀の『おしゃべりオムライス』の店か、左手の店のさらに奥にある隠れ豚の『超☆エアーズロック肉カレー』の店はどうだろうか。


 だが案の定、狸は素通りした。

 無理もない。この辺りは空間が入り乱れていて、〈入口〉を見つけるのが難しい。特に奥まった場所に構える場所に辿り着くのは、一見いちげんの来訪者には難しい。

 短く狭いその商店街にひしめく物々を、狸は意外にも器用にすり抜けて、南の石畳の道をトコトコと向こう側へ渡っていった。


 混み合った空間を抜けて安堵したのか、狸はそこでひと息つきつつ、辺りを見渡した。そして東へと足を向け、数歩歩いた先の餅屋で早速煎餅せんべいを手にしている。

 もちろん正当な方法で入手したものながら、狸という先入観ゆえ、葉っぱとの物々交換だろうか、などという疑念がちらと湧いてしまうのは、偏見という暴力に他ならない。


 狸が醤油味の海苔巻煎餅をバリバリとやっていると、心なしか辺りに人が集まり始めた。

 今日は朔日ついたち。奴らが出張ってくる。

 重厚なヒノキの一枚板の看板を掲げた餅屋の硝子窓は、キュキュッと音がしそうなまでに磨き上げられている。その向こう側に奴らが現れる頃には、人だかりとなり、辺りは熱気を帯び始めた。

 

 狸はと言うと、再び石畳の道の反対側へと小走りした。その幅せいぜい二メートル程度。

 近くではチビスケには到底見えないという英断だったのか、単に混雑から逃れただけなのかは定かではないが、遠目に眺めながら煎餅をもう一枚取り出して、またバリバリとやり始めた。

 何が起ころうとしているか、少なからず興味があるらしい。


「あれが〈神速餅つきかみだのみ〉かあ。やっぱ間近で見ると迫力あるなあ」などと、辺りからは感嘆の息が漏れた。

 人々が見守る中、筋骨隆々の金剛力士たちが物凄い勢いで湯気の上がる餅をついては返しているのだ。なんでも餅米が冷めないうちに超神速でつくことで、しっかりとコシがありつつも、ふわふわでよく伸びる餅に仕上がるという伝統製法らしい。

 朔月の日ついたちに金剛力士たちがやってきて生み出す、あの特製・仁王餅は、この餅屋の名物でもある。


 寺の連中は卓越したかみわざパフォーマーというわけだ。


 阿吽の呼吸で餅をつき終えた二人の金剛力士からは、もうもうと湯気が立ち上っている。そこへ控えていた小僧さんたちが一斉に駆け寄り、千切って餡を乗せ、器用に餅を丸め始めた。これも修行の一環なのだろう。

 とは、つまりだ。花形神仏アイドルを夢見る小僧さんたちにとって、修練の場でもあるのだ。


 金剛力士たちは表へ出てきて、早速注文を取り始めた。

 にこやかに声を張り上げて客を寄せ、時折写真撮影にも応じているのは、金剛力士の阿形あぎょう。もう片方のむっつりと黙って押し寄せる者たちの願いを書き留めているのは吽形うんぎょうだ。

 この界隈で人気の肉体派の花形神仏アイドルコンビで、どんな時も息の合ったその連携技は、誰の目をもみはるものがる。


 ナルホド。

 と思ったかどうかはさておき、狸はその場をふらりと離れた。

 恐らく狸には大きくダイナミックな金剛力士たちの動きしか見えておらず、小僧さん達がせっせと丸めるふわふわ餅は見えていない。物々の熱狂も、表へ出てきた花形神仏アイドルを間近で見たい、触りたいといった類のものと判断したのかもしれない。

 いずれにせよ小腹が膨れたのか、自身の食べた煎餅の成り立ちは相わかったと思ったのか、その顔は実に満足げである。


 さて、狸が上り始めたのは『幸せの寺』へと続く階段だ。これまた意外にもテンポよく上りきり、南側の入口からそこに広がる空間を眺めてほうと一息ついた。


 ふらりと手水舎ちょうずやに立ち寄る。柄杓ひしゃくすくった水盤の水を、先程煎餅をつまんでいた指先にチョロチョロとかける。その指先同士でゴシゴシともみ洗いし、手をフリフリしてピッピと水を払う。

 そしてもう一度水を掬い、何を思ったのか水盤へと滞りなく水を吐き出している水竜すいりゅうにそれをかけた。泰然たる水竜すいりゅうは特に動じた様子もない。

 狸は何かを心得たとばかりに、何度も繰り返し水をかけた。その様は実に愉快そうである。水竜すいりゅうもまた満更ではないような面持ちで、濡れた部分は艶めいている。狸はどんどん調子づいて、水竜すいりゅうは意気揚々と水を吐く。

 そのさまはまるで、どこかの部族の宗教的儀式。トランス状態というか、そこに立ち上るエネルギーの渦が、つまりは昇龍の姿が見えてくる。

 が……。


 スコーン!


 その終焉は唐突に訪れた。

 狸の柄杓ひしゃく水竜すいりゅうの頭をこっぴどく打ったのだ。無論ワザとではなかろう。まるで夢中になって遊んでいるうちに、うっかりやらかしてしまった子供のようである。

 これを人間の大人が見たり聞いたりした日には、どちらが悪いだの、謝罪だの反省だの、もう二度としないと誓えなどと、自らを棚の上に置いて、その高いところから偉そうにのたまうのだろう。

 が、元来人間の子供というのは大人が思っている以上に大人であって、肉体の成長が圧倒的に遅い。その見かけにより子供扱いすることで、精神の成熟を妨げたり捻じ曲げたりすることも決して少なくはない。

 やらかして手を止めた時点で、子供は全てを悟っているものだ。


 ここに居るのは狸だが。


 時が止まったような静寂の中、狸はそっと柄杓ひしゃくを戻した。そして水竜すいりゅうに向かってきっかり三秒こうべを垂れる。水竜すいりゅうも、ウムとでも言うように泰然と受け止める。

 その儀礼的な何かが済むと、狸はさっときびすを返して北へと向かう。


 一体、何だったのか。


 次に狸が見上げているのは、あのお手玉の数え歌にも登場する南円堂なんえんどうだ。八角形の荘厳な伽藍がらんで、なかなか見応えがある。

 ここを寝城にする『不空羂索ふくうけんさく観音菩薩』は鹿皮ろくひを纏う。この地の鹿は、鹿島かしま神社より来たりて、春日山に降り立った神の御使い。南円堂の菩薩は、仏ながらこの土地の氏神・春日との関係をチラつかせているのだ。神仏習合しゅうごうの残り香を漂わせていると言っても相違ない。

 当の狸はそんなことを知ってか知らでか、迫力のある屋根を見上げてひっくり返りそうになり、それを誤魔化すようにその場から移動した。


 今度は東へ。

 目の前にそそり立つのは五重塔だが、心なしか狸が涎のようなものを口元に湛えているように見える。まさかあのいにしえの耐震設計構造が、ヤゲン軟骨の串焼きにでも見えているのだろうか。

 チラチラと気にしながらも狸が向かったのはその足元にある平屋の建物。かつては寂れた資料館のような風体の頃もあったそれは、今では洒落た美術館のようななりをして、内装もどこか上品さを醸し出している。


 ほう。そこへ向かうか。


 どうせ目当ては花形神仏アイドル阿修羅あしゅらだろうが、そいつは人気であちこちに召喚される。故に今も居らん。


 残念だったな、狸よ。

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