♬1 驛前の噴水広場

 そこでポカンと口を開けて、射出された水を一身に浴びる行基菩薩ぎょうきを眺めているのは、そのじつ、狸である。

 うまく化けたものだが、都のような有象無象うぞうむぞうの物々が集まる場所では、何者も〈人〉の姿でいることがマナーだ。

 狸は単にそれにならっているだけで、悪気やたくらみがあるわけではない。


 行基菩薩ぎょうきはこの駅前の噴水広場の名物みたいなものだ。

 円形の池のぐるりに並んだ噴水孔から、細長いいくつもの水の糸が、中央のお立ち台に向かって放出される。


 行基オン・ザ・ステージ。

 いつだってそこにいて、誰かにその晴れ舞台を明け渡すことはない。もちろん雨の日も風の日も。

 その身は昔、赤膚あかはだだったのに、今はブロンズだ。長い年月がそうした変化をもたらすのかと感慨深く思っていたが、実は三代目だということを最近知った。

 まあ変化には違いない。

 ちなみに青銅ブロンズは銅とスズの合金で、十円玉そのものだ。


 さて、誰かと待ち合わせている風でもなく、一体いつまでそうやっておちょぼ口を開けたままにしているのかと思いきや、狸は不意にビクリと背後を振り返った。

 そこにあるのは地下道への入り口で、その階段を降りた先には電竜でんりゅうが控えている。存外耳は良いようで、それが轟々ごうごうと発進していく音が狸には聴こえたらしい。


 電竜でんりゅうは長くうねる蛇みたいだ。物々を飲み込み、腹が一杯になったら流れるように走り出す。適当に止まっては吐き出して、適当なところで戻ってくる。

 なんとも不可思議な性質の存在ながら、非常に便利であるため、人々は電竜でんりゅうに便乗して移動することをひらめいた。

 電竜でんりゅうたちが駆けるルートや止まる場所はおおよそ一定で、大体その辺りに驛舎えきと呼ばれる竜の止り木を造った。それがいつしか電竜でんりゅうたちの拠り所のようになったらしい。なんでも今では、電竜でんりゅうたちの溜まり場を設けた驛舎えきも、在るところには在るのだとか。


 もちろんこの狸も此処へ至るに電竜でんりゅうを利用したようだが、どうも喰われるのが初めてだったのか、命からがらといった体で驛舎えきの口から、文字通り転がり出てきたのだ。

 だからいつまでも行基菩薩ぎょうきの前にいるのだって、何か思うところがあるというよりは、単に放心しているだけではないだろうか。


 そんなだから、こちらも笑いをこらえつつ、さっきからこの狸を興味深く観察しているわけだ。


 我に返った狸がようやく移動し始めたので、こっそりと跡をつけてみようと思う。

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